585人が本棚に入れています
本棚に追加
だって、実際、わたしにとって良いことがあった後には、しょっちゅう、何かしらアクシデントが起こったりするのだから、仕方ないじゃない。
お誕生日プレゼントをもらって喜んだ直後にお気に入りのマフラーをどこかに置き忘れてしまうとか、
受験に合格した日に電車のドアにスカートを挟んで恥ずかしい思いをするとか、
はじめて彼氏ができた夜に家の階段を踏み外して捻挫するとか、
ああ、希望の会社に受かって入社式の帰り道に道端で派手に転んだりなんかもあった。
ひとつひとつは大したことないかもしれないけれど、嬉しい出来事に胸が弾んでいた分だけ、落ち込みはより深まってしまう。
“喜んじゃいけない。この後に悪いことが待ってるかもしれないんだから”
そう構えていながらも、悪いことがあるとかなり落ち込んでしまうのだから、有頂天なんかになってたら、きっと、その落差についていけなかっただろう。
そんなこんなで20年以上も生きていると、さすがに、幸せを幸せと、単純に感じることが難しくなっていった。
そして、そういう悲観的な性格は、連鎖的に、わたしから社交性とか積極性を奪ってしまうのだ。
例えば友達との会話でも、『こんなこと言って相手は嫌な思いをしないかな』『今の、感じ悪い言い方じゃなかったかな』『わたしばっかりが喋ってないかな。大丈夫かな』そんな不安が頭に湧いて溜まっていく。
他にも、例えば電車内でお年寄りや妊婦さんを見かけた際は、「こちらへどうぞ」と席を譲ることですら、かなりの勇気が必要だった。
『声をかけて迷惑じゃないかな』『お年寄り扱いして気分を害されないかな』
心の中では譲りたい気持ちが満杯なのに、考えすぎるネガティブ思考が邪魔をして、それを伝えられない、行動に移せないのだ。
……消極的過ぎて情けなくなってくる。
最初のコメントを投稿しよう!