2256人が本棚に入れています
本棚に追加
「おそいなあ」
お気に入りのカフェで、テラス席から道行く人を眺めるのにも飽きてきた。
時刻は7時。
今日はノー残業デーなので、5時半には退社しなければいけない。それなのに待ち人が現れない理由はただひとつ。どうせまたタイムカードを押した後で、こっそり仕事をしているからだろう。
さらに深いため息が文字盤に落ち、それを拭うようにガラスを撫でたのは、ふたりの関係が曇ってしまわないようにと、無意識の抵抗なのかもしれない。
『メリー・クリスマス、新作のペアモデル、カジュアルにもビジネスにも使えて、なかなか悪くないだろ』
そう言ってこの腕時計〝セイコー・ドルチェ&エクセリーヌ〟をプレゼントしてくれたのは、恋人であり、職場の上司でもある〝佐々木 要〟だ。同時に「大事な話がある」と真剣な目で見つめられた私は、プロポーズされるのだと思い込み。
ああ、やっと彼のお嫁さんになれるんだ。
木下朝子から佐々木朝子になるんだ。
夫婦で同じ職場っていうのもなんだし、ゆくゆくは家庭に入ったほうがいいかな。
なんて、愚にもつかない妄想を膨らませていた。
けれども。
はい、よろこんで――のかわりに私の口から吐き出されたのは。
「は、なんで?」
およそクリスマスには似つかわしくない、不機嫌な声だった。
最初のコメントを投稿しよう!