45人が本棚に入れています
本棚に追加
「説明してもらおうか」
上座に立つ男が言った。
「あの娘は何だ?」
背は高く、声は低い。年齢は20代半ばごろで、服は洋装。
黒縁のメガネの奥の眼光は鋭く、下座を冷徹に見据えている。
「私の質問に答えろ、二郎」
「迷子です!」
答えたのは二郎ではなく、彼の隣に座る三郎だった。
「あの娘は13丁目に迷い込み、狸に襲われていたそうです。二郎兄さんは偶然に見つけて、助けたんです!」
冷たい視線が三郎へ投げかけられる。
「三郎、お前には訊いていない。あと私がここへ呼んだのは二郎だけだ。何故、お前までいる?」
「っ! それは……」
「お前は今年でもう18だろう。いつまでそうやって、兄の後ろにくっついているつもりなんだ?」
「迷子です」
今度は三郎ではなく、二郎が答えた。
「まだ子供ですし、狸の妖気を浴びている可能性があったので、保護しました」
「そうか。ならばもう体調は良くなっているはず。今日中に帰すのだろうな?」
「……」
「近衛家は、外の人間とは関わらない。そう決まっている」
「……」
「……ほう。お得意のだんまりか?」
広い座敷に数秒の沈黙が流れた後、
「っ! 二郎兄さん!」
三郎の叫び声が沈黙を破った。
上座にいた男が瞬時に距離を詰め、下座で座る二郎の首を掴んでいた。
「当主さま! いえ一郎兄さん、やめて下さい!」
三郎が懇願するように言ったが、男はーー、当主の一郎は続けた。
「もう一度、問う」
「……」
「あの娘は今日中に帰すか?」
「……」
二郎には痛がる様子はなかった。大人の手が細い首に喰い込み、顎を無理やり持ち上げる様は、見ているだけで息苦しいというのに。
〝バサッ〟
風が吹くような音がした。
音の正体を辿って、三郎はますます焦った。
二郎の背後で控えていた梟が両の羽を広げている。羽根が何枚も落ちてきて、刃物のようにグサグサと畳を刺していく。
威嚇だ。梟は、主人への暴挙に怒っている。
「梟さん、どうか収めてください!」
「三郎、無駄だ。そいつは我々の命令は聞かない」
一郎は口元を吊り上げた。
「人が留守にしている間に余計なことをして……。死に損ないの梟の次は、どこの誰か分からない小娘か? ろくでもないものばかり拾って、何のつもりだ? そんなに私を困らせて貴様は楽しいのか?」
「……」
「二郎よ。その目障りな梟に命じろ。〝羽を閉じろ〟と」
「……」
「それとも、梟を使って私を討つか?」
「……爺や」
ようやく二郎が口を開いた。
『はい、二郎さま』
「羽を……」
『羽を?』
「羽を、閉じるな」
「「っ!」」
一郎と三郎が目を見張った。
「二郎兄さん!?」
「貴様……!」
弟の顔は真っ青になり、兄は怒りでカッと赤くなる。
しかし二郎は、兄弟にかまわず動いた。
一郎の手を引き離し、畳に刺さる羽根を1本手に取る。
それを、真横へ向けて素早く放った。羽根は障子を破り、外へ飛び出す。
『痛いっ!』
直後、子供のような声がした。
次は梟が動く。
羽を大きくはためかせて強い風を生み、障子を数枚吹き飛ばす。
一郎と三郎の目は驚愕でさらに大きくなる。
障子の向こうは近衛家の中庭だ。
そこにいたのは、
『うう、痛いのう』
狐だった。
白い額には、二郎が投げた羽根が刺さっている。
『うぬぅ。限りなく気配を消したというのに……』
「狐だと……!?」
「いつからそこにいたんだ!?」
『この長男と三男はともかく、やはり二郎が相手では隠しきれぬか』
水に濡れた犬のように狐が体を震わせると、羽根が地面に落ちた。
『屋敷に忍び込み、盗み聞きするとは趣味が悪い』
梟が羽を開いたまま言うと、
『違うぞ。我は人助けをしたのじゃ』
狐はムッとして答えた。
『二郎に会いたがっている子供がいたので、手を貸してやったのじゃ』
狐の隣の空間が歪む。
『病み上がりで動くのが辛かろうと思って、空間を繋いでやった。……しかし、お前たちの話が立て込んでいたから、出るに出られなかったのじゃ』
喋っている間にも空気にスッと1本の縦筋が入り、左右に開いた。
『そうじゃな? 娘よ』
開かれた歪みの中に見えたのは、布団の上に座る花だった。
裂かれた空間は、花がいる部屋に繋がっていた。
『ほれ。あそこに二郎がおるぞ』
「……」
『どうした?』
「……」
『お前は1日に何回、我を無視する気じゃ。そろそろ傷つくぞ』
「……です」
『ん?』
「……もう、大丈夫です」
花の消え入りそうな声は、3兄弟には聞こえなかった。
『そうなのか? さっきまで会いたがっていたくせに、よく分からん娘じゃな』
花の心変わりを狐は特に追求せずに、
『では二郎が本気で攻撃してこないうちに、我は退散するかのう』
土を蹴って空へ消えた。すると空間は元に戻り、花の姿も見えなくなる。
「……二郎さま。花さんは今の話を全て聞いてしまったのでは?」
梟が囁くと、二郎は立ち上がろうとした。
「何処へ行く?」
しかしすぐに一郎に止められる。
「まだ話は終わっていない。座れ」
「……」
二郎は中庭の方を1度だけ見つめたが、無言で座った。
彼は終始静かで、中庭からいなくなった花を見た時に何を思ったのか、誰にも分からなかった。
最初のコメントを投稿しよう!