近衛屋敷(後)

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「説明してもらおうか」 上座に立つ男が言った。 「あの娘は何だ?」 背は高く、声は低い。年齢は20代半ばごろで、服は洋装。 黒縁のメガネの奥の眼光は鋭く、下座を冷徹に見据えている。 「私の質問に答えろ、二郎」 「迷子です!」 答えたのは二郎ではなく、彼の隣に座る三郎だった。 「あの娘は13丁目に迷い込み、狸に襲われていたそうです。二郎兄さんは偶然に見つけて、助けたんです!」 冷たい視線が三郎へ投げかけられる。 「三郎、お前には訊いていない。あと私がここへ呼んだのは二郎だけだ。何故、お前までいる?」 「っ! それは……」 「お前は今年でもう18だろう。いつまでそうやって、兄の後ろにくっついているつもりなんだ?」 「迷子です」 今度は三郎ではなく、二郎が答えた。 「まだ子供ですし、狸の妖気を浴びている可能性があったので、保護しました」 「そうか。ならばもう体調は良くなっているはず。今日中に帰すのだろうな?」 「……」 「近衛家は、外の人間とは関わらない。そう決まっている」 「……」 「……ほう。お得意のだんまりか?」 広い座敷に数秒の沈黙が流れた後、 「っ! 二郎兄さん!」 三郎の叫び声が沈黙を破った。 上座にいた男が瞬時に距離を詰め、下座で座る二郎の首を掴んでいた。 「当主さま! いえ一郎兄さん、やめて下さい!」 三郎が懇願するように言ったが、男はーー、当主の一郎は続けた。 「もう一度、問う」 「……」 「あの娘は今日中に帰すか?」 「……」 二郎には痛がる様子はなかった。大人の手が細い首に喰い込み、顎を無理やり持ち上げる様は、見ているだけで息苦しいというのに。 〝バサッ〟 風が吹くような音がした。 音の正体を辿って、三郎はますます焦った。 二郎の背後で控えていた梟が両の羽を広げている。羽根が何枚も落ちてきて、刃物のようにグサグサと畳を刺していく。 威嚇だ。梟は、主人への暴挙に怒っている。 「梟さん、どうか収めてください!」 「三郎、無駄だ。そいつは我々の命令は聞かない」 一郎は口元を吊り上げた。 「人が留守にしている間に余計なことをして……。死に損ないの梟の次は、どこの誰か分からない小娘か? ろくでもないものばかり拾って、何のつもりだ? そんなに私を困らせて貴様は楽しいのか?」 「……」 「二郎よ。その目障りな梟に命じろ。〝羽を閉じろ〟と」 「……」 「それとも、梟を使って私を討つか?」 「……爺や」 ようやく二郎が口を開いた。 『はい、二郎さま』 「羽を……」 『羽を?』 「羽を、閉じるな」 「「っ!」」 一郎と三郎が目を見張った。 「二郎兄さん!?」 「貴様……!」 弟の顔は真っ青になり、兄は怒りでカッと赤くなる。 しかし二郎は、兄弟にかまわず動いた。 一郎の手を引き離し、畳に刺さる羽根を1本手に取る。 それを、真横へ向けて素早く放った。羽根は障子を破り、外へ飛び出す。 『痛いっ!』 直後、子供のような声がした。 次は梟が動く。 羽を大きくはためかせて強い風を生み、障子を数枚吹き飛ばす。 一郎と三郎の目は驚愕でさらに大きくなる。 障子の向こうは近衛家の中庭だ。 そこにいたのは、 『うう、痛いのう』 狐だった。 白い額には、二郎が投げた羽根が刺さっている。 『うぬぅ。限りなく気配を消したというのに……』 「狐だと……!?」 「いつからそこにいたんだ!?」 『この長男と三男はともかく、やはり二郎が相手では隠しきれぬか』 水に濡れた犬のように狐が体を震わせると、羽根が地面に落ちた。 『屋敷に忍び込み、盗み聞きするとは趣味が悪い』 梟が羽を開いたまま言うと、 『違うぞ。我は人助けをしたのじゃ』 狐はムッとして答えた。 『二郎に会いたがっている子供がいたので、手を貸してやったのじゃ』 狐の隣の空間が歪む。 『病み上がりで動くのが辛かろうと思って、空間を繋いでやった。……しかし、お前たちの話が立て込んでいたから、出るに出られなかったのじゃ』 喋っている間にも空気にスッと1本の縦筋が入り、左右に開いた。 『そうじゃな? 娘よ』 開かれた歪みの中に見えたのは、布団の上に座る花だった。 裂かれた空間は、花がいる部屋に繋がっていた。 『ほれ。あそこに二郎がおるぞ』 「……」 『どうした?』 「……」 『お前は1日に何回、我を無視する気じゃ。そろそろ傷つくぞ』 「……です」 『ん?』 「……もう、大丈夫です」 花の消え入りそうな声は、3兄弟には聞こえなかった。 『そうなのか? さっきまで会いたがっていたくせに、よく分からん娘じゃな』 花の心変わりを狐は特に追求せずに、 『では二郎が本気で攻撃してこないうちに、我は退散するかのう』 土を蹴って空へ消えた。すると空間は元に戻り、花の姿も見えなくなる。 「……二郎さま。花さんは今の話を全て聞いてしまったのでは?」 梟が囁くと、二郎は立ち上がろうとした。 「何処へ行く?」 しかしすぐに一郎に止められる。 「まだ話は終わっていない。座れ」 「……」 二郎は中庭の方を1度だけ見つめたが、無言で座った。 彼は終始静かで、中庭からいなくなった花を見た時に何を思ったのか、誰にも分からなかった。
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