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第四話 理想のかたち
「ああ、これは絶対に筋肉痛になるなぁ。明日かな、明後日かな」
有山家の正方形のダイニングテーブルに突っ伏して、啓貴が言った。
梨枝は、そんな啓貴にコーヒーを淹れて差し出した。今日は、仕事を定時で切り上げて帰って来た。今は夕ご飯の支度中だ。一騎は一度帰って来たが、美沙姫と一緒に遊びに行くと言って出かけてしまった。子どもたちはすっかり意気投合したらしい。
「子どもの順応には驚きますわ……一昨日まで知らないもの同士だったのに、すっかり仲良くなって」
梨枝の言葉に、「いいじゃないですか」と啓貴は答えた。
「大人になったら、嫌でもなにかを選ばなくちゃならない。子どものうちは、目に映るすべてが友だち、それでいいんですよ」
コーヒーの湯気をあごにあて、ぼんやりと座っている啓貴。目の下に、うっすらと隈が出来ている気がする。
「あの、今日はどんなことを? 一騎はどうでしたか?」
「あぁ、野球をね。いや、おじさんにはハードでした。一騎くんはそれは楽しそうで……ぜんぶのスポーツの中で、一番野球が好きなんだそうです」
一騎が野球を好きなことは梨枝も知っていた。だが。
「あの子、クラブ活動はやらないって。どうしても入らなくちゃいけないなら文化部にするって言うんです。たぶん、私に気を遣っていると思うんですけど、『そんなこと気にしなくていいから、野球部に入っていいのよ』って言ってあげられない。自分が情けなくて……」
梨枝の両親は資産家で、母は数年前に他界したが父は存命だ。その父が、ことあるごとに口を挟むのだ。一騎のことが心配なのだろう、母子家庭の自分たちを不憫に思うのだろう、と分かっているのだが「こっちに戻って一緒に住め。金なら出してやる」という態度がどうにも受け入れられない。貧しくても苦しくても、これが自分の選んだ道なのに。
コーヒーを飲んでいた啓貴が、「ひとさまの事情に口を挟むなんて、えらそうなことはできませんけど」と口を開いた。
「あなたの一番の味方は、一騎くんだ。だから、困ったことはなんでも相談して、ふたりで乗り越えたらいいんじゃないですかね」
「興山さんのお家では、そうしてらっしゃるんですね」
「えぇ、まぁ。僕より、娘のほうがよっぽどしっかりしてますからねぇ」
おしゃまな美沙姫の姿を思い浮かべて、梨枝は少し笑った。
次のセリフを言うのには少し勇気が必要だった。けれど、一騎ならきっと背中を押してくれると思うから、思い切って言ってみる。
「あの……美沙ちゃんのお父さん、啓貴さん。今日が終わっても、良かったらまたいっしょに夕飯を食べていただけませんか?」
啓貴の返事は、目じりにやさしい皺を刻んだ笑顔だった。
「いいですね。僕も、また一騎くんと野球をやりたいなと思ってたんです」
玄関の扉が開いて、ふたりの子どもが駆け込んできた。
「母さん、お腹空いた!」
「ねぇ、晩ごはんなに?」
啓貴が椅子から立ち上がり、ふたりの背中を押した。
「さ、ごはんの前に手を洗ってきなさい」
いつの日か、こんな光景が日常になればいいな。
梨枝は微笑みながら、コンロに火を点けた。
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