【1月10日】ふとんのルーシー

1/1
前へ
/366ページ
次へ

【1月10日】ふとんのルーシー

「ただいまー」 「あ、おかえりなさい」 「え?」  深夜。  誰もいないはずの私のマンション、電気のついていない部屋から女の子の声が聞こえた。  玄関でコンビニの袋で音を立てないように全身の全ての筋肉を緊張させて私は立ち竦む。おかしい。ここは4階で、窓から入ってくるのは不可能なはず。玄関から入ろうにも鍵はかかっていたし……いや、そもそも中に入れたのだから鍵を内側からかけ直すのは容易いだろう。問題はどうやって入られたのか、だ。朝、鍵をかけ忘れたのか? いや、たしかに閉めたはずだ。小学生の頃、実家が空き巣に入られてから、鍵を閉めたかどうかは3回チェックするのがうちの家訓だ。以来毎日のように欠かさずチェックしている。当然今朝もチェックして出たはずだ。では窓の鍵は? 最近は換気の時以外は開け閉めしないから、もしかしたら鍵をかけずにいたかもしれない。しかし先述の通りここは4階なので地上からの侵入は困難のはず。ではどこから入ってきた? いや、そもそも空き巣なら、見るからに一人暮らしの女の部屋に座り込んでいたとして、「ただいまー」の声に「おかえりなさい」と返事をするだろうか? 返事をすれば、怪しくないと思っているのか? 私だったらそうはしない。ただいまーの声と同時に息を潜めてどこかに隠れるか、即、玄関まで駆け込んで相手を組み伏せるか。だが、そういうそぶりもないので…… 「わからない……!」  どう出るべきか?  その時、私の目に入ったのは、廊下に面したシンク付きのキッチン(ガスコンロ)と、そこに立てかけてあるひと振りの包丁だった。      ◯ 「うわあああああ! うわあああああ!」  お父さんが言っていた。  泥棒や不審者と相対した時、とにかく大きな声を出し続けること。いろいろな効果があるのだ。相手を威嚇する。大声を出すことでアドレナリンが出る。呼吸を深くするようになるので意識が鮮明になる、などなど。  部屋の電気をつけるなり私は絶叫した。闇雲に振り回すのではなく、真っ直ぐに包丁の切っ先を空中へ向ける。がたがた震える手では正直なんの頼りにもならなそうだけれどないよりましだ。 「お、おおおおお! あああああああ! うわあああああ!」 「きゃああああ!?」  悲鳴が耳をつんざいた。  ベッドの上に見知らぬ女の子がいた。中学生くらいで、白い髪の毛と浅黒い肌、そして水色のストライプが入ったワンピースのような服を着て、ベッドの上に寝転がっていたようだった。 「誰! 誰! だれえええええええええ」 「きゃあ――――! や――め――て――!」 「うわあああああああ!」  5分後。 「で、あなた誰? どうして私の部屋にいるの、どうやって入ったの!」 「そんなに問い詰めることないじゃない」  つん、と唇を尖らせる彼女は、いかにも外国人みたいな風貌だけれど流暢な日本語で喋った。 「私はルーシー」 「え、誰? 外人の知り合いなんていないはずだけど」 「ひどい! ずっと一緒にいたじゃない、私たち」 「怖い怖い怖い! え、なに、何なの、ストーカー? 不法侵入の上に?」 「違うって。私はずっとここにいたの」 「ええ……」  背中を冷や汗が伝った。  昔の都市伝説番組を思い出した。部屋に監視カメラを仕掛けていたら、誰かが襖の中に入っていく映像が記録されていた、という奴だ。そしてもうひとりの人物がカメラに映る、それは帰宅した自分だった……という奴だ。 「とにかく、出てって。私は疲れているの」 「ええっ、大丈夫?」 「あなたに心配される筋合いはありません! とりあえずベッドから降りてよ、それは私のベッド!」 「違うわ、私のベッドよ!」 「図々しい! どうしてそんな――」  と、私はそこで気が付いた。  ルーシーと名乗ったその少女が腰かけている私のベッド。たまの憂さ晴らしでゲーセンのUFOキャッチャーでとってくるぬいぐるみや、読みかけの本が大量に積まれている。中学生のころからずっと使っている枕、ふかふかのマットレス……  ない。  本来あるべきはずのものがそこにはない。 「かけぶとんと……ブランケットは?」 「そろそろ察してよ。私はあなたのかけぶとんだよ、美月ちゃん」  幻覚でも見ているのかと思った。とうとう仕事のストレスで頭がおかしくなってしまったんじゃないかと思った。そう思った私は、ルーシーと名乗ったその女の子がどうやら物盗りや強盗めいたことを目的としているわけではないことを聞いて、とりあえずはその言うことを信じることにした。  話をとっとと切り上げたかったし、もう疲れていたので眠りたかったのだ。 「じゃあ、ベッドは好きに使っていいから」  私はソファにぐったりと寝そべった。身体が激しく波打ったこの姿勢、なんとも眠りづらい。 「こっちに来ないの? せっかく温めておいたのに」 「なんで知らない女の子と添い寝しないといけないのよ」 「私はずっとあなたのそばにいたのに。たぶん何年も」 「ひーっ! 気持ち悪い。いいからおとなしくしててよね」  電気は点けたまま眠ることにした。箪笥の奥から予備のブランケットを持ってきて身体に巻き付けるようにして私は目を閉じた。エアコンも効いているし、これくらいなら大丈夫だ。  だけど結局よく眠れなかった。ルーシーは言いつけ通りに私のベッドの上にいて、身じろぎひとつしなかった。       ○ 「うぅー……頭痛い……」  そんな生活を続けて一週間も経たないうちに私はめでたく熱を出して寝込んでしまった。溜まっていた仕事は、気合いとテクニックで何とか今日のうちに終わらせ、年度末へ向けての有給消化も兼ねて私は丸一週間の休みを会社から拝領した。  当然である。電気は点けっぱなしでよく眠れない、ブランケット1枚で寒くて仕方がない、何より見知らぬ人間が常に部屋の中にいるというストレス。私は限界まで追い詰められていた。 「ただいまー……」 「おかえりなさい」  ルーシーの声がする。彼女はいつも電気を消した部屋の中で私の帰りを待っている。  私は市販の解熱鎮痛剤を飲み、カロリーメイトで小腹を満たすと、スウェットに着替えてそそくさと眠ることにした。 「はっくしょい!」  しかし寒い。発熱のせいか寒気までしてきた。こういう時は当然、温かくして安静にしているのが一番だという。しかし今の私には、その術がない。エアコンで温められる部屋の温度には限度があるし、あんまり高い温度で設定すると室外機に霜が降りてしまう。 「ねえ、あんたふとんに戻ってよ」  ルーシーに尋ねてみた。彼女は私のファッション雑誌を勝手に読みながら、自分の家であるかのようにベッドの上でくつろいでいた。 「戻るも何も、私ふとんだよ」 「人間の形をしたふとんじゃなくて、ブランケットとかけぶとんに戻れって言ってるの。私体調が悪いのよ、風邪よ、風邪、インフルエンザかもしれないわね。とにかく温かくして眠って、明日は病院に行かなくちゃ。その間にあんたのせいで病気が悪化したらどう責任取るつもり?」 「風邪か。めずらしいね、美月ちゃんが風邪引くなんて」 「え……」 「インフルエンザも毎年、予防接種しなくても絶対かからないし。でも一度だけ、大学生のころかな? ずっと付き合ってた先輩と別れた時、失恋のショックで熱を出して寝込んだ時があったよね。あの時以来かなあ」 「なんでそこまで知って……」  そこでルーシーははじめてベッドから降りて、私のことを正面から抱擁した。  もっふという音を身体全体で感じた。身体全体、綿でも詰まっているかのように軽くて柔らかい。髪の毛の一本一本が私を包んで、温めてくれる。ルーシーの着ている服の肌触り、感触……間違いない。ふだん、ずっと使っていたブランケットの手触りにそっくりだった。 「ほんとうに、私のふとんなんだ……」 「やっと信じてくれた?」  ルーシーの金色の瞳がきゅっと細く笑った。 「それじゃあ、今日はもう寝ちゃおうよ。私が温めてあげるからさ」  電気を消し、私は数日振りにベッドで横になった。  頭痛が辛いとき、いつも私は左半身を下にして、両手で頭を抱えるようにして眠る。小さいころからこれが一番落ち着くのだ。ルーシーは自然に私の右隣りへ添い寝すると、背中からむぎゅっと私のことを抱きしめた。 「ほわああぁあぁぁああ」  あったかい……  得も言われぬ幸福感が私を包んだ。身体の芯から温まっていくような…… 「いつも、頭痛い~頭が痛い~って言ってるとき、こうやって寝てるもんね」 「そんなことまで知っているんだ」 「ずっと見てたから。美月ちゃんのこと」  ルーシーのささやくような甘い声は、私の中に蓄積されていた疲れをどっと洗い流してくれるようだった。ふとんってすごい。こんなに私のことを癒してくれているなんて、知らなかった。  だけど、私はひとつ気になっていたことがあって、それをルーシーに尋ねてみた。 「彼のことも知ってるってことは……その……」 「ん?」 「見てたの? ずっと?」 「うん、見てたよ。ふたりが裸で寝てるときも、キスしてるときも、それから――」 「だああああっ。もうやめてええええ」       ○  幸いにしてインフルエンザのようなタチの悪い病気ではなかったようで、単なる風邪と診断された。それでもしんどいものはしんどいので、薬局で簡単に食べられるものと栄養ドリンクを買いあさり、家でゆっくりしていることに決めた。 「ただいまー」 「おかえりなさい美月ちゃん」  家に帰ると、またベッドの上でごろごろしているルーシーが私を出迎えてくれる。 「外、すごく寒かった。添い寝させて」 「いいよ。私が温めてあげる」 「ありがとうルーシー」 「いいえ。私はあなたのふとんですから、当然です」  私はルーシーと一緒にベッドに寝転がった。  ルーシーが背中から私に腕を回す。すると、柔らかい感触と、温かい起毛が私を包んだ。 「あったかい」 「でしょ。それだけが取り柄だからね」  ルーシーは今でも私の部屋に住み着いている。  しばらくはこの子のお世話になりそうだった。
/366ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加