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【1月14日】暖炉
「うち、暖炉あるんだけど、良かったら見に来る?」
「マジで?」
という、下校途中の軽い話の流れで、舞ちゃんの家に遊びに行くことになった。
学校からバスで一時間、そこから歩いて十分ほど。街中からは遠く離れた場所に、ぽつん、とその家は建っていた。周囲の他の住宅や建物とは切り離された、不思議な立地の家だった。
「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」
舞ちゃんのお母さんに促されてリビングへ入っていくと、そこには舞ちゃんが言っていた通りのものがあった。
「うわー、すごい! 本当に暖炉だぁ」
広いリビングの中央に、煌々と燃える炎が鎮座している。赤褐色のレンガに囲まれた小さな空間で、ぱちぱちと音を立てて薪が爆ぜていた。その前に小さな丸テーブルと、ロッキングチェアがふたつ、並んでいる。
オレンジ色の炎がゆらゆら揺れて、かすかにぼすぼす、という音が聞こえてくる。
ほんとうに暖炉だ。私は、炎が燃えているところをほんとうに久し振りに見た。せいぜい、誕生日ケーキの上で燃えているろうそくの火くらいしか見たことが無かった。
「すごいすごい」
舞ちゃんはちょっと誇らしげに私のそばに立った。
「いいでしょ。うちのじいちゃんが、どうしてもって言って作ったんだって」
「え、自分で?」
「そうらしいよ」
「すご。おじいちゃん天才的だよ、このセンス」
「まあ、とりあえず座んなよ」
舞ちゃんに促されて、私は生まれて初めてロッキングチェアに座った。
「すごい揺れる。楽しい」
「お菓子もあるよ。焼きマシュマロとか」
「え、なにそれ最高」
というわけで舞ちゃんのお母さんが運んできてくれたマシュマロを、長い金属の串に刺して暖炉の火にかざしてあぶって食べることにした。
暖炉の炎の、てっぺんあたりを狙って白いマシュマロを翳す。
たったそれだけの時間なのに、ちっとも待っている間が苦痛じゃなかった。私はわりと待っている時間が億劫になりがちで、カップラーメンですら割と退屈になってしまうくらいなのに、マシュマロが焼けるまで待っている時間はずっと楽しいような、生命力に満ちた時間を送っていた。
「もう焼けたかな?」
「いい感じじゃない? 火傷しないようにね」
こんがり焼き目がついて、じゅくじゅくに焼けたマシュマロは、見るからにトロトロでおいしそうだった。
丸テーブルの前に置かれた小皿に移したあと、フォークでさして口に運ぶ。
「あっふい!」
「だから言ったじゃん、気を付けて」
「あっふ……で、でも美味しい、甘くて」
「でっしょー。勉強で疲れた時とか、これをやると最高なんだよ」
「考えただけで、もう……すごいなああ。うちにも欲しい」
それからぐだぐだと、暖炉の炎を眺めながら、私たちは駄弁って過ごした。
舞ちゃんのお母さんが運んできてくれた紅茶を口に運びながら、学校の愚痴を言ったり、宿題のこと、針路のこと、部活のこと、ふたりで何でもないことを適当にぐだぐだと話していた。
「火ってすごいね」
私は暖炉の脇に山と積まれている焚き木を一本、手に取って、炎の中に投げ入れた。
「なんか、見ているだけでエネルギーを感じるっていうか。ただぼんやり見てるだけでも、凄く心が安らぐね。これが家にあって、毎日眺めてられるって幸せだろうなあ」
「うん。ここで読書とかするとね、すごいリラックスできるよ」
「最高だね」
暖炉の火に照らされた舞ちゃんのきれいな横顔を見た。
舞ちゃんは顔が小さくて、色白で、ちょっとサイズの大きい制服がよく似合っていた。
今日は前髪を上げているから、顔が余計によく見える。
「実は、今日、うちに誘ったのはほかでもなくてさ」
舞ちゃんは焚き木を暖炉に放り込みながら、口火を切った。
「なあに?」
「悩みというか、相談したいことがあって」
「相談?」
「実はこんなものを貰いまして」
おもむろに舞ちゃんはポケットから何かを取り出した。
それは薄いピンク色の便箋だった。既に封は切ってある。中身を舞ちゃんは見たのだろう。
「今日の昼休みに渡されたの」
「それはまさか……」
「びっくりした。ラブレターだよ、今どきさ」
「ラブレター?」
「部活の後輩の男の子から」
あえて中身を読み上げたりとかはしなかったけれど、舞ちゃんの顔は困惑に歪んでいた。
「困っちゃってさ。どうしたらいいかなって思って、一日考えますってその場しのぎで返事したんだけど、どうしようかなって」
「それをどうして私に相談するの……?」
「えっなんか……なんとなく……」
がっくりという音がした。私の肩が落ちるのを感じた。
そんな理由でわざわざ連れてこられたのかと。今まで恋愛経験なんてほとんどないのに、どうして私に白羽の矢が立ったのかは分からないが……
「舞ちゃんはさ、その後輩の子のことをどう思っているの?」
「うーん……いい子だとは思うよ。でも、男として恋愛対象になるかは微妙かなあ」
「だったら、バッサリ断っちゃえばいいんじゃない?」
「でも、それはそれでなんか気まずい感じになりそうでさ」
「断らないままずるずるしていく方が、きっと気まずくなると思うよ。相手の子も、この高校生の若い時間を、真剣じゃない恋愛で潰されちゃう方が不幸だと思うけどな……」
言いながら私はなんとなく罪悪感に襲われた。
まるで舞ちゃんが誰かと付き合ったり、恋人になったりするのを必死に止めようとする、卑怯な人間みたいに思えてきたからだ。別に私と舞ちゃんはそんな深い仲じゃない、たまにクラスで話をしたりする程度の仲だ。部活も委員会も違うし、性格も、クラスの中での立ち位置も、何もかも違う。
なのに……
「うん、やっぱりそうだよね」
だけど舞ちゃんの決断は早かった。
「あっ!」
私が止めるまでもなく、舞ちゃんはその手紙を便箋にしまい込むと、さっと暖炉の中に投げ込んでしまった。音を立てるまでもなく、後輩くんがしたためた想いは、炎に包まれて消えて行ってしまう。
「暖炉ってこういうとき便利だよね。イプセンの『人形の家』でもこういうシーンがあったから、真似して見たかったんだ」
「えっ、いいの?」
「うん、いいよ。明日、はっきり断ってみるからさ。ありがとう、相談に乗ってくれて」
ロッキングチェアを軋ませながらゆらゆら揺れる舞ちゃんの横顔は、つるんとした笑顔だった。
炎に照らされた白い肌。
やっぱりきれいだと私は思った。
「別に、私はそんな大したことは……」
「良かったら、今度もまたうちに来なよ。マシュマロだけじゃなくて、リンゴとかもあぶっても美味しいよ」
「そう……ありがと」
それから私たちはふたりで、暖炉の火を眺め、焚き木を放り込みながら、ゆっくりと時を過ごした。
何を話したり、語り合ったりするわけではなかったけれど、幸せな時間だった。
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