【1月17日】色鉛筆

1/1
前へ
/366ページ
次へ

【1月17日】色鉛筆

「ねえ知ってる?」  というのが唐沢(からさわ)の口癖だった。 「なにを?」  と返すのがお定まりのパターン。 「太陽の色について」  唐沢はスケッチブックを抱えている。 「赤いね」  私は有線イヤホンを耳につけて、スマホを片手にそれを見ている。 「光って、全部混ぜると、白くなるでしょう」  唐沢の足元には色鉛筆がたくさん、たくさん転がっている。 「絵の具は黒くなるんでしょ? それは、この間、教えてもらった」  私の足元には、ほどけたスニーカーの紐が散らばっている。 「だから太陽って白く見えるじゃない?」  おもむろに、唐沢は青い鉛筆を手に取った。 「赤いと思うけど」  私はスマホの光る画面を適当に見ている。 「赤いのは、空。太陽は白いの」  唐沢のスケッチブックに、青い鉛筆が走る。 「それで?」  私のスマホの上を、親指があてどなく滑る。 「じゃあ、白く見えている太陽って、本当は何色なんだろうって思ったの。それが今日のテーマ」 「ふーん」 「悠里(ゆうり)なら知ってると思ったけど、そっか、知らないか」 「知らない……太陽のこと、そんなにまじめに見たことないからさ」 「直に見たら、失明しちゃうからね。危ないよ」  がりがりがりがり。  唐沢は色鉛筆を足元に放り投げた。からん、と、ほかの鉛筆に当たって音が鳴る。そしてしゃがみ込んで今度は黄緑色の鉛筆を拾い上げると、スケッチブックにがりがりと色を刻み始める。 「唐沢ぁ」 「なに?」 「あんたっていつもそうやって、ヘンテコな絵、書いてるけどさ」 「うん」 「なんで?」 「なんでかなあ。私、あんまりよく見えないから。景色とか風景とか」  唐沢はがりがりと描き続ける。  私はそれを見ている。 「文字とかならいいんだけど。色とか形とか、よく分からないっていうか。だからぜんぶ色鉛筆で描いてみて、自分のものにしちゃうの。そうすればよく見えるでしょう? でも、太陽っていくら描いても、そうならないからすてき。空や星も。ぜんぜんよく描けないの」 「絵の勉強とかしてないからじゃないの?」 「独学だから?」 「そう、そう」 「だったらもうしょうがないね」  からん。  また唐沢の足元に、色鉛筆が落ちる。またしゃがんで赤い鉛筆を取る。  私のイヤホンから流れる音楽は、ピアノ・ロックのインストに変わる。 「ねえ唐沢」 「なあに?」 「私のことも描いてよ」 「やだ」  唐沢は相変わらず太陽を描き続けている。  私のほうからは、スケッチブックは、スケッチブックと唐沢は、ちょうど逆光になって見ることができない。真っ赤な夕陽に向かって立つ唐沢。 「なんで?」 「悠里のことを描いたら、たぶん悠里のことを友だちだと思えなくなっちゃう」 「そんなことないよ」 「あるんだよ。絵を描くってことは、私のものになるってこと、さっき言ったでしょ、私の手や足は私だけど、私の友達じゃない。悠里は私の知らないことを知っていて、私の知ってることは知らないかもしれない。だから友だちでいられるんだよ」 「そうなんだ」  唐沢のいうことは相変わらずよく分からない。  私は唐沢の後ろ姿を見ていた。  唐沢は一心不乱に色鉛筆を拾って、スケッチブックに色をのせては放り投げ、しゃがんで拾って、また色をのせては放り投げ、延々とそれを繰り返していた。  そうしている間にも太陽は沈んでいき、あんなに真っ赤だった空はだんだん黒く、青くなり始める。空には星が瞬き始める。 「できた!」  唐沢がスケッチブックを高々と掲げる。 「見せてよ」  私はスマホをポケットにしまい、イヤホンを耳から外して立ち上がる。 「いいよ」 「これはなに?」 「太陽だよ」  唐沢が笑う。  その割には水色とか緑色とか、おおよそ太陽らしくない色が多いような…… 「できばえは?」 「今までの中では、いちばんかな。わかる? 私、太陽を食べちゃったの」  たしかに地平線の向こう、太陽の姿はすでに見えない。 「いいね。こんな太陽も」 「さー帰ろう。帰ろう。寒いからね、まだまだね、行こう悠里」  唐沢はどっかどっかと大股で歩き出す。 「色鉛筆くらい片付けて行きなさい」  私は唐沢の足跡、散らばった色鉛筆を拾おうとしゃがみ込んだ。  一見、無秩序に散らばったこの色鉛筆。でも、これが唐沢にとっては世界を得るための器官であり、大切なものなのだろう。 「悠里、はやく!」  唐沢が叫ぶ。 「待ちなって」  私は散らばった色鉛筆を拾って、唐沢の後を追う。 「明日はなにを描こうかな」  唐沢が鼻歌を歌う。 「何だっていいんじゃん? 描きたいものを見つけたら、すぐ描けば」  私はイヤホンを耳にかける。 「また太陽を描こうかな。明日の太陽、地球は傾いてるし、回ってるし、たぶん違う太陽が見られるんだろうなあ」  唐沢はスケッチブックをうっとりと眺める。 「それでもいいね」  私はスマホを眺める。 「でも、唐沢」 「なに?」 「たまにはあんたの描いた人間が見てみたいな」 「やだ」 「あっそ」 「そー」 「私はいつでもモデルになってあげるよ。それで唐沢の一部になってみるのもいいかも」 「キモい。ふつうにキモい」 「キモいかー」  唐沢は笑う。  私は唐沢の手を握る。 「待ってるよ、私」 「無駄だと思うよ」 「叶わぬ恋って美しいでしょ。ずっと見てるだけの唐沢と、ずっと夢見てるだけの私、どう? この、歪な関係。背徳感、ゾクゾクって感じ。興奮しちゃう」 「キモい」 「キモいか〜」
/366ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加