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【1月18日】雪女
久々に雪が降った。風も強い。
こんな日には、コートを着て、マフラーを巻いて、寒さを我慢して外に出る。
ルールがいくつかある。マスクをしないこと、手袋はつけないこと、傘を差さないこと、スニーカーを履くこと。それを守って、雪の降る商店街を抜け、誰も遊んでいない公園に向かう。すると、風の冷たい、雪が積もって濡れているブランコに座っている、中学生くらいの女の子の姿があった。
「雪花ちゃん!」
名前を呼ぶと目の前が息で真っ白になった。雪花ちゃんは軽く手を振って、微笑んだ。
「久しぶり、月子ちゃん」
私は雪花ちゃんの隣のブランコの雪を払って、そこに座った。水滴が冷たい。
「今年は随分、かかったね」
「ごめんね」
「別に気にしてないよ。だいじょうぶ」
「ほんとうはもっと、遊びに来たいんだけど。だんだん私の力も小さくなってきているみたい」
「そうなんだ……」
雪花ちゃんは雪女だ。
雪の降る日にだけ、この街に現れる。というより、雪花ちゃんが現れると街に雪が降る、という方が正しいのかもしれない。
初めて雪花ちゃんと会ったのは、私が5歳の頃だ。今日と同じように、コートとマフラー、スニーカーを身につけ、傘もささずに公園で遊んでいると、今と同じ中学生くらいの姿で目の前に現れた。それ以来、毎年、雪の降る日にはいつも雪花ちゃんと遊んでいた。
最初は雪花ちゃんの方が年上だったから、私にとってはお姉ちゃんのような存在だった。
だけど……
「背、伸びたね」
「もう20歳だもん。大学生だよ」
「そっか。お酒飲んだ? 私、飲めないから、羨ましいよ」
「飲んだ。というか、飲まされた、かな? 大学生だと、そういう『つきあい』も必要だからさ」
「いいなあ。楽しそう」
キコキコと、冷たく軋むブランコを漕ぎながら、雪花ちゃんは笑った。
私はその姿をみて、ふと、違和感をおぼえた。
「雪花ちゃん……なんか、縮んだ?」
「あ、気付いた?」
ブランコを漕ぐ脚を見ていて、雪花ちゃんの脚が、少し短くなっているように感じたのだ。
それだけじゃない、体もひとまわり小さくなって、ほっそりしたような……
「私ね、そろそろ消えちゃうみたいなの」
「消えちゃうって……? どういうこと」
「さっきも言ったとおり……私の力はどんどん弱くなってきている。もともと私は、ここにいちゃいけないモノだから。時間切れ? タイムリミットみたいな。そんな感じ」
「やだ。雪花ちゃんにもう会えなくなるってこと?」
「やだっていうか……仕方ないよ。いつまでもここにいられるなんてこと、ないんだからさ」
誰もいない公園に、雪花ちゃんのこえはしみこむように消えていった。
積もった雪が、音をすべて吸い込んでしまったようだった。
「昔よりも、初雪の日は遅くなってきている。夏はどんどん暑くなるし、冬はどんどん短くなる。それと同じだよ、私は毎年、ここに来ていたけれど、それもだんだんなくなってしまう」
「いやだよ、そんなの……寂しいよ」
「あはは……じゃあ、私を持って帰って、月子ちゃんの部屋を丸ごと冷凍庫にしてくれる? そしたら姿かたちくらいは、残るかもしれないね」
「それは……」
「雪はいつか融けるし、冬もいつか終わるんだよ。月子ちゃん、寂しいけど、これは変えられないよ」
目からぽろぽろと涙が落ちた。
小さい頃からずっと一緒だった雪花ちゃん。雪合戦もしたし、雪だるまもつくった。氷柱を使ってチャンバラごっこもしたし、かまくらを一緒に作ったりもした。
雪が止むと、いつの間にかどこかへ消えていた。春になると気配も感じられなかった。その度に少し寂しかったけれど、そういうものなんだと無意識で納得していた。だって雪女なのだから、雪が降らないのに現れるわけがない。
それでも、会うたび会うたび、ずっと姿が変わらないから、てっきり、ずっと一緒にいてくれると思ってた。でも、そうじゃなかったんだ。
「冬が寂しい季節になっちゃうよ」
「ごめんね。私も寂しいよ」
「雪花ちゃんは、消えた後はどうするの?」
「どうしよう。もっと寒いところに行くのかな、北極とか」
冗談っぽく笑った。
私も笑った。
「じゃあ、私も北極に行く」
「ええ?」
「オーロラとか見たいし。だから、先に北極に行って、待っててね。約束だよ」
「……分かった、約束ね」
私たちは指切りをした。
雪花ちゃんの指は冷たくて氷みたいだった。
「じゃあ、もう行かなくちゃ」
雪花ちゃんはおもむろにブランコから立ち上がった。
「え、もう止んじゃうの?」
「うん、これは一時的な雪だから、ごめんね。でも、今年は寒いから、また会いに来られるよ、きっと」
「分かった。じゃあ、また雪が降ったら、ここで集合ね。お菓子持ってくるから、かまくら作って中で食べよう」
「あは……作れるくらい積もるかな?」
「頑張って降らせてよ、雪女なんだから」
雪花ちゃんは苦笑した。
「がんばるよ」
「うん、それじゃあね」
ブランコから立ち上がった私に、雪花ちゃんが吹雪のように歩み寄った。
ちゅ、
と、雪の味のキスをして、雪花ちゃんはすぐそっぽを向いた。私も恥ずかしくなって、はあっと大きく息を吐いた。
「キスは、はじめてだね」
「うん……」
「月子ちゃん、前みたいにその辺の雪とか食べて、お腹、壊さないようにね。そのためのおまじない」
「もう、いつの話!」
「あははは」
その時、雲の切れ間から太陽が顔を覗かせた。それは積もった雪に反射して、とっさに私の目をくらませた。
また前を向いたとき、雪花ちゃんの姿は無くなっていた。そして、雪も止んでいた。
「ばいばい、またね」
天気予報では、また今週の中ごろに雪が降るらしい。その時にまた、会いにこよう。私はブランコから立ち上がると、雪の積もった道路にスニーカーの足跡を残しながら歩き出した。
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