20人が本棚に入れています
本棚に追加
【7月16日】ラーメンに女子力はいらない
「おっちゃん、あたし黒タンタン。固め・太め・多め・濃い目で」
「あいよ!」
「わたしは、普通の大将ラーメン。ぜんぶ、ふつうで」
「あいよー。トッピングは?」
「ないです」
わたしはすました顔で隣に座り、コップの水を静かに、丁寧に飲む閑の腿を指でつついた。
「痛い痛い。なになに」
「あんたね。ラーメン屋でそんな、すとんと、すました顔でいることないのよ」
「え、別に……そんなつもりないけど」
「ぜんぜん楽しそうじゃないんだもん。せっかく誘ったのに」
「そんなことないよ、嬉しいよ。ラーメン屋って来たことないし……あの、はじめてだから、ちょっと緊張しちゃって」
緊張?
ぜんぜんそんなふうには見えない。
閑は前から、こういう猫被りというか、いつもおすまし顔っていうか、そんなふうな態度でいることが多い。自分は本心を絶対にさらけださないぞという強固な意志を感じる。
だいたい、こんなおすまし女と、素行不良のあたしとでは、とても友だち同士には見えないだろう。向こうは黒髪ロングの清楚な優等生、あたしは金髪ネイルのいかにもな遊んでる女子。
「ほい、おまちどお!」
おっちゃんは強面と筋骨隆々の身体に全く似合ってない、さわやかな笑みと共にどんぶりをあたしたちに寄越した。
「いただきます」
「いただきまーす」
割り箸をととのえ、まずはスープから。レンゲで真っ黒なスープをすくい、飲み干す。ここのスープはどろっとしてるのに後味がさわやかで、とてもよい。この黒タンタン麺のスープが絶妙だ。濃くて、脂も多いと尚のこと良い。
これに太い麺が絡んで、すすり上げると、口の中に辛さと旨さ、胃の中にアツいスープの蒸気が満たされて、幸せな気分になる。汗が噴き出て、体の中の悪いものぜんぶ流れ出ていく気になる。
最高のストレス発散法だ。
「うまい! おっちゃんうまい!」
「もちろんよ! うまいから商売になるんだよ!」
ガハハとおっちゃんは笑った。
中学の時にはじめて来てから、このおっちゃんとあたしは親戚同士みたいな仲の良さだ。おっちゃんはあたしがギャルだからって遠慮も敬遠もしないし、あたしもおっちゃんの嫌味のない性格を気に入っていた。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
隣で閑が、箸でつまんだ麺を一生懸命に息で冷ましているのが聞こえた。あたしは油が光るチャーシューを食べながら、それを横目で観察していた。
「ふー、ふー、ふー……」
冷ましすぎじゃない?
ようやく食べる段になった時、左の細い指で髪の毛をかきあげ、おそるおそるといったふうに麺を口に含んだ。
そのあと、箸で少しずつ麺を持ち上げて、口の中に運んでいく。もぐもぐとほっそりした顎が揺れる。
そして水をひとくち。
何食わぬ顔でもう一度、レンゲでスープをすくい、またふーふーふーと……
「閑さぁ……」
「あ、うん、なに?」
「なんか、うまいもん食べる時くらい、少しはリラックスしたら?」
「あの、ラーメンって……熱いから。わたし猫舌だし。それに、麺をすすれなくて、ペース合わせなくていいよ。気にしないでいいから」
「そういうんじゃねー! ラーメンを食べてるのに所作が優雅すぎるんだよ、閑は。もうちょっと遠慮なく食べなよ」
「そんなこと言われても、難しいよ〜」
あたしはなんか自分の方がいたたまれないような感じになって、食べるペースを少し落とした。
だから嫌だったんだ! こいつにうまいラーメン屋の話なんかするんじゃなかった、なんとなくこういう感じになる予想はついてた! 閑にラーメン屋は似合わない、という話じゃない。気を遣っていないあたしのほうが、場違いな気分にさせられるのだ。この子にはそういうオーラというか、カリスマというか、そういうものがある。
「ん」
この仕草!
ラーメンを食べるというのに、この髪を指でかきあげる仕草がすでになんか違う。いやロングの人には欠かせない動作だろうけど。
手と指の形、口に運ぶときの息遣い……
「エロすぎる……!」
「へ?」
「なんか、あんたのラーメンの食い方はエロい」
「え、エロ? よく分かんないけど」
「うぜー! 狙ってんだろその言い方」
そんな感じなので、あたしのほうもぜんぜん食が進まない。もたもたしてるとどんどん胃の中で重くなっていってしまう。
あたしも負けじと麺をかきこんだ。スープも飲んだ。そうしている間にも、閑は実に優雅な所作で、ラーメンを食べ続けた。
結局、ほとんど食べ終わったのは同時だった。あたしはなんでこんなに時間をかけてラーメンを食べているんだ……
「ごちそ……」
「替え玉お願いします」
「えっ!?」
「あいよ! 替え玉一丁!」
「あ、次は麺、固めでお願いします」
「あいよー!」
大将は嬉しそうに麺を茹で始めた。
閑はすまし顔で水を飲み、しゃんと背筋を伸ばしている。
「まだ食うの?」
「ええ。とても美味しいから。ふふ、でも、ちょっとはしたないかしら」
「…………、おっちゃん! あたしも替え玉!」
「おーう! 大丈夫か、食い切れるか?」
「も、もちろん……!」
「はは! 無理して食うことはないんだぞ?」
む、無理なんかしてないし!
「いいよ、とことん付き合うから。閑、替え玉はあたしが奢ってあげる」
「あら、ほんと? 嬉しいわ。ありがとう」
クラスの中でも、地味で、普通で、品行方正すぎて、目立たない閑の笑顔がそこにはあった。
こんなに魅力的なやつだと思わなかった。あたし、この子のことを誤解していたかもしれない。
結局、あたしは替え玉を食べ終えたところで胃袋の限界を迎えた。閑は、そのほっそりした体のどこに入るのか、替え玉を3つも頼み、シメのご飯までぺろりと平らげた。
「ふう、美味しかった。今日はありがとう、誘ってくれて」
「はは、いやいや……」
財布がぼろぼろだ。
たぶん明日の朝には胃もぼろぼろになっているだろう。ちょっと動くと、中身が出てきそうだ。
「お礼に、今度はわたしが誘うわ。いいお店があるの」
「な、なんのお店? コース料理とか、あたし、無理だかんね!」
「え? 美味しいケーキのある喫茶店よ。とても静かで、おしゃれなところなの。いいでしょ?」
「あ、うん……そのくらいなら」
「ふふ。楽しみにしているからね。それじゃあ、今日はここで。ご機嫌よう」
閑はすたすたと帰り道を歩いて行った。その後ろ姿まで、非の打ちようがない完璧な姿だった。
くやしい。それ以上に、とても魅力的だった。また次も、彼女とデートができると思うと、心臓がドキドキして止まらなかった。
最初のコメントを投稿しよう!