【7月16日】ラーメンに女子力はいらない

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【7月16日】ラーメンに女子力はいらない

「おっちゃん、あたし黒タンタン。固め・太め・多め・濃い目で」 「あいよ!」 「わたしは、普通の大将ラーメン。ぜんぶ、ふつうで」 「あいよー。トッピングは?」 「ないです」  わたしはすました顔で隣に座り、コップの水を静かに、丁寧に飲む(しずか)の腿を指でつついた。 「痛い痛い。なになに」 「あんたね。ラーメン屋でそんな、すとんと、すました顔でいることないのよ」 「え、別に……そんなつもりないけど」 「ぜんぜん楽しそうじゃないんだもん。せっかく誘ったのに」 「そんなことないよ、嬉しいよ。ラーメン屋って来たことないし……あの、はじめてだから、ちょっと緊張しちゃって」  緊張?  ぜんぜんそんなふうには見えない。  閑は前から、こういう猫被りというか、いつもおすまし顔っていうか、そんなふうな態度でいることが多い。自分は本心を絶対にさらけださないぞという強固な意志を感じる。  だいたい、こんなおすまし女と、素行不良のあたしとでは、とても友だち同士には見えないだろう。向こうは黒髪ロングの清楚な優等生、あたしは金髪ネイルのいかにもな遊んでる女子。 「ほい、おまちどお!」  おっちゃんは強面と筋骨隆々の身体に全く似合ってない、さわやかな笑みと共にどんぶりをあたしたちに寄越した。 「いただきます」 「いただきまーす」  割り箸をととのえ、まずはスープから。レンゲで真っ黒なスープをすくい、飲み干す。ここのスープはどろっとしてるのに後味がさわやかで、とてもよい。この黒タンタン麺のスープが絶妙だ。濃くて、脂も多いと尚のこと良い。  これに太い麺が絡んで、すすり上げると、口の中に辛さと旨さ、胃の中にアツいスープの蒸気が満たされて、幸せな気分になる。汗が噴き出て、体の中の悪いものぜんぶ流れ出ていく気になる。  最高のストレス発散法だ。 「うまい! おっちゃんうまい!」 「もちろんよ! うまいから商売になるんだよ!」  ガハハとおっちゃんは笑った。  中学の時にはじめて来てから、このおっちゃんとあたしは親戚同士みたいな仲の良さだ。おっちゃんはあたしがギャルだからって遠慮も敬遠もしないし、あたしもおっちゃんの嫌味のない性格を気に入っていた。 「ふーっ、ふーっ、ふーっ」  隣で閑が、箸でつまんだ麺を一生懸命に息で冷ましているのが聞こえた。あたしは油が光るチャーシューを食べながら、それを横目で観察していた。 「ふー、ふー、ふー……」  冷ましすぎじゃない?  ようやく食べる段になった時、左の細い指で髪の毛をかきあげ、おそるおそるといったふうに麺を口に含んだ。  そのあと、箸で少しずつ麺を持ち上げて、口の中に運んでいく。もぐもぐとほっそりした顎が揺れる。  そして水をひとくち。  何食わぬ顔でもう一度、レンゲでスープをすくい、またふーふーふーと…… 「閑さぁ……」 「あ、うん、なに?」 「なんか、うまいもん食べる時くらい、少しはリラックスしたら?」 「あの、ラーメンって……熱いから。わたし猫舌だし。それに、麺をすすれなくて、ペース合わせなくていいよ。気にしないでいいから」 「そういうんじゃねー! ラーメンを食べてるのに所作が優雅すぎるんだよ、閑は。もうちょっと遠慮なく食べなよ」 「そんなこと言われても、難しいよ〜」  あたしはなんか自分の方がいたたまれないような感じになって、食べるペースを少し落とした。  だから嫌だったんだ! こいつにうまいラーメン屋の話なんかするんじゃなかった、なんとなくこういう感じになる予想はついてた! 閑にラーメン屋は似合わない、という話じゃない。気を遣っていないあたしのほうが、場違いな気分にさせられるのだ。この子にはそういうオーラというか、カリスマというか、そういうものがある。 「ん」  この仕草!  ラーメンを食べるというのに、この髪を指でかきあげる仕草がすでになんか違う。いやロングの人には欠かせない動作だろうけど。  手と指の形、口に運ぶときの息遣い…… 「エロすぎる……!」 「へ?」 「なんか、あんたのラーメンの食い方はエロい」 「え、エロ? よく分かんないけど」 「うぜー! 狙ってんだろその言い方」  そんな感じなので、あたしのほうもぜんぜん食が進まない。もたもたしてるとどんどん胃の中で重くなっていってしまう。  あたしも負けじと麺をかきこんだ。スープも飲んだ。そうしている間にも、閑は実に優雅な所作で、ラーメンを食べ続けた。  結局、ほとんど食べ終わったのは同時だった。あたしはなんでこんなに時間をかけてラーメンを食べているんだ…… 「ごちそ……」 「替え玉お願いします」 「えっ!?」 「あいよ! 替え玉一丁!」 「あ、次は麺、固めでお願いします」 「あいよー!」  大将は嬉しそうに麺を茹で始めた。  閑はすまし顔で水を飲み、しゃんと背筋を伸ばしている。 「まだ食うの?」 「ええ。とても美味しいから。ふふ、でも、ちょっとはしたないかしら」 「…………、おっちゃん! あたしも替え玉!」 「おーう! 大丈夫か、食い切れるか?」 「も、もちろん……!」 「はは! 無理して食うことはないんだぞ?」  む、無理なんかしてないし! 「いいよ、とことん付き合うから。閑、替え玉はあたしが奢ってあげる」 「あら、ほんと? 嬉しいわ。ありがとう」  クラスの中でも、地味で、普通で、品行方正すぎて、目立たない閑の笑顔がそこにはあった。  こんなに魅力的なやつだと思わなかった。あたし、この子のことを誤解していたかもしれない。  結局、あたしは替え玉を食べ終えたところで胃袋の限界を迎えた。閑は、そのほっそりした体のどこに入るのか、替え玉を3つも頼み、シメのご飯までぺろりと平らげた。 「ふう、美味しかった。今日はありがとう、誘ってくれて」 「はは、いやいや……」  財布がぼろぼろだ。  たぶん明日の朝には胃もぼろぼろになっているだろう。ちょっと動くと、中身が出てきそうだ。 「お礼に、今度はわたしが誘うわ。いいお店があるの」 「な、なんのお店? コース料理とか、あたし、無理だかんね!」 「え? 美味しいケーキのある喫茶店よ。とても静かで、おしゃれなところなの。いいでしょ?」 「あ、うん……そのくらいなら」 「ふふ。楽しみにしているからね。それじゃあ、今日はここで。ご機嫌よう」  閑はすたすたと帰り道を歩いて行った。その後ろ姿まで、非の打ちようがない完璧な姿だった。  くやしい。それ以上に、とても魅力的だった。また次も、彼女とデートができると思うと、心臓がドキドキして止まらなかった。
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