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【1月2日】初詣
幼なじみの啓子から、5年ぶりくらいにメールが来た。
「初詣行く前に、着付けを、させてちょうだい」
ちぐはぐな文面によって呼び出された私は、自前の着物を紙袋に提げて啓子の家に向かった。5階建てマンションの5階の角部屋、そこが啓子の部屋だった。
呼び鈴を鳴らすと、啓子は快く扉を開いてくれた。
「久しぶり」
啓子は最後に会った中学の卒業式の頃から、あんまり変わっていなかった。低めの背、長い髪、ちょっと猫背気味の姿勢。
「あけましておめでとう」
「おめでとう」私はブーツを脱ぎながら、「いきなりびっくりしたよ。『着付けさせて』って、ふつう逆じゃない? 着付けして、なら分かるけどさ」
「最近覚えたから、誰かで練習したかったの」
テーブルの上には紅茶がふたつ淹れてあった。啓子が手で促すので口に運ぶと、ぐいっと飲めるくらいのちょうどいい熱さになっていた。
「はやく出ないと、神社、混んでるから」
啓子はどこか急かすように私を立たせると、まずは靴下を脱ぐように促した。
「先に足袋を履くの?」
「着付けしたあとだと、着物の形が崩れるでしょ。しゃがんだりするから」
脱いだ靴下は紙袋の中にしまう。
「それじゃ、上、脱いで」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶ。ブラも」
言われた通りにぜんぶ服を脱いで、紙袋に突っ込んでいく。エアコンの温度が高めに設定されていたので、肌寒さは感じない。
「どうやって着るの?」
「ここから肌襦袢、それから長襦袢、それから着物」
「ど、どれがどれ?」
「あーっ! ぐしゃぐしゃにしないで。着物ってシワになりやすいんだから」
もう着物の扱いはぜんぶ啓子に任せて、私はただ言われた通りに服を脱いだり着物を着させられたりするだけの人になることにした。着物を触っているだけで、啓子の所作はどこか優雅なものに見える。
「きれいになったね」
「え?」
「背中」肩に肌襦袢がかかる。「小さい頃に見て以来だけど、背中なんて。背が伸びたし、すっとしてて、きれいだし。昔から羨ましかった。背筋がいい人って、私、ずっと猫背だから。着物を着ても似合わないの」
啓子は確かに、小学生の頃からずっと猫背だった。
休み時間にはノートに向かって絵を書いたり、読書をしていたりして、誰かと遊んだりすることはなかった気がする。だけど、啓子はものすごく手先が器用で、それから物知りだった。
昔、おばあちゃんから貰ったマフラーを通学路の金網に引っ掛けて裂いてしまったとき、啓子はおずおずと私に歩み寄って、「なおしてあげる」とポケットから裁縫セットをとりだし、魔法みたいにさささっとそれを直してしまった。
中学生の頃はブックカバーを刺繍してもらったり、家で手料理を作ってもらったりした。だけど高校が互いに離れたところになってからは、ずっと疎遠だった。
「バレエ、続けてるの?」
啓子が私の髪を、着付けの邪魔にならないようにヘアピンであげながら尋ねた。小学生の頃から始めたモダンバレエのことを言っているのだ。
「やめちゃったよ。高校2年で」
「そうなんだ。どうして?」
「いろいろ。怪我とか、受験とか。親もだんだんうるさくなってきたし、それに、別にバレエが好きだったわけじゃないから」
「そうなんだ。好きなんだと思ってた」
「親が勝手にやらせてたの。近所の保護者会でいっつも自慢してたから、うちの娘はバレエをやらせてるんですって」
「それじゃあ、お母さんに感謝しなくちゃね」
すごく無邪気な言葉に、怒る気も削がれた。
「なんで?」
「きれいな体になったから」
啓子は私の背中に隠れるように身をかがめると、さっと腕をお腹の方に回した。背中がこそばゆい。
「ちょっと、くすぐったいよ」
「いつも羨ましかった。絶対、着物を着せたら似合うだろうって思ったから、着付けのことを勉強したの。今日はばっちり決めてあげるからね」
啓子の言う通りに腕をあげたり、袖を通したりしている間に、シンデレラの魔法みたいにどんどん着付けは整っていく。あっという間に、着物を上に着付ける番になった。
「青とオレンジ、ピンクか。なかなかいいね、よく似合ってると思う」
「おばあちゃんのお古なんだって。死ぬ前に譲ってもらったの。サイズもぴったりだったし」
「マフラーもそうだったね。おばあさんのお古。いいセンスしてるよ、おばあさんは」
袖を通して前をかける。
腰紐を巻いてもらい、帯がお腹にかけられる。一周するたびに、ぎゅっと締めつけられるので、その度にお腹が苦しくなる。
「よしっ、できた」
写真を撮ってもらい、自分の姿を見た。これでもか、と言うくらい、ばっちり決まっていた。
「ありがとう。ばっちり」
「こちらこそ。練習させてもらったし」
玄関に出るとき、私は下駄を履いたのに、啓子はふつうにウィンドブレーカーとジーンズを着て、スニーカーを履いていた。
「啓子は着ないんだ」
「言ったでしょ、似合わないって」啓子は明るく笑った。「私は着物が好きでも、着物を着るのが好きでもなくて、着物を着ているあなたが好きなの」
「私も好きだよ、啓子のそう言うところ」
「そう言うって……?」
「いま、すごく楽しそうだもん。マフラーを直してもらった時も、料理してもらった時も、啓子はいつも楽しそうだから、ついつい、頼っちゃうんだよね」
「ありがと」
外は寒い。私たちは手を繋いで、マンションを出て神社への道を歩き出した。慣れない下駄と着物の私に、啓子はゆっくり優しく並んで歩いてくれた。私たちは久しぶりの再会を喜び、いろんな思い出話をしながら笑った。
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