【7月23日】近藤先輩とわたし ~竜宮城と夏の夜の夢編~1日目

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【7月23日】近藤先輩とわたし ~竜宮城と夏の夜の夢編~1日目

 世間では今日から四連休だ。  海の日、スポーツの日、土日。そして、多くの学校では今日から夏休みになるということでもある。われわれ大学生にとっては、合法的な大型連休ということで、どこかに遊びに行きたいところではあるが、あいにく都内ではこの連休はずっと雨の予報。  洗濯物も乾かないし、じめじめしているし、ほんとうに憂鬱になる。  今日は海の日。  小さい頃は、夏休みになるたびに田舎のおばあちゃんの家に遊びに行ったものだ。そこは海沿いで、無人駅が未だにあって、電車が一時間半ごとに一本しか来ないような田舎だった。お墓参りや親戚への挨拶を済ませた後、ゲームも漫画もないので、よく海に遊びに行ったものだった。  しかし、成長するにつれてそんなこともなくなり、海という場所での楽しみ方もすっかり忘れ、東京に来てからはコンクリートに囲まれて海に遊びに行くということもなくなった。  いや、海って何しに行くところなんだろう? 泳ぐだけならプールでもいいし、砂浜でお城を作ったりするのもガラじゃない。そもそもわざわざ水着に着替えても見せる相手もいないので、まったく海に行くモチベーションはない。  わたしのようなぐうたら大学生は、四連休をダラダラして過ごすのが似合っている。  さて、今日はオンライン視聴サービスで映画を観ながら、パソコンをテーブルに置き、傍らに参考文献を積み上げて、レポートに取り掛かっていた。音楽を聴くよりも映画を観ているときの方がわたしは、課題には集中できることが多い。  例えば今日のように、『ハリー・ポッター』シリーズを最初から一気見してみたりとかもできる。意味もなく至福。  そういえば、最近は近藤先輩と連絡を取り合っていない。大学の中でもぜんぜん会わない。  今の時期、大学四年生は就活とか、卒論とかで忙しくなり始める時期なのだろう。先輩も先輩で忙しくて、わたしに構っている場合ではないのかもしれない。いつも自分勝手な先輩は、こういうときも割と自分勝手なのだ。まあわたしに何か先輩に対してできることは特にないので、自分の目の前の課題を片付けることしかできない。  …………、  と、いつもなら、こうしているときに先輩から電話がかかってきたりして、無茶ぶりに付き合わされたりするものなのだが、今回はそう言うこともなかった。まったく平穏な休日、平穏すぎる四連休の幕開け。ただただ課題に追われるだけの大学生らしい時間。  ああ平和。平和が一番、夏休み(白滝夏の一句。季語「夏休み」)。すばらしい。ブレイブニューサマーバケーション。  レポートが進む進む。文献の内容が頭に入る入る。こんなにいい気分で課題をこなしているのは初めてかもしれない。 『もしもし?』 「ハッ」  あ……ありのまま、今起こったことを話すぜ!  わたしは課題をしていると思ったらいつの間にかスマホを手に取っていた。  な……何を言っているのかわからねーと思うが、わたしも何をされたのかわからなかった。  催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…… 『もしもし? シラタキさん、聞いているのかしら』 「いや白滝ですから」 『聞いているんじゃない。返事ぐらいしなさい。このクズ』  クズ。そんなこと面と向かって言える人がこの世にいるのだろうか。いや面と向かってはいないけれど。 『シラタキさん。四連休に入ったばかりで、あなたが映画をダラダラ見ながら、将来何の役にも立たないであろうレポートと課題の山に向き合っていることは分かっているわ』 「なんでわか……」  思わず部屋の中に監視カメラでも仕掛けられているのかと思ったがそうではない。単純な推理だ。きっと先輩も同じような状況なのだ。だからわたしもそうに違いないと思ったのだ。つまり先輩も映画をダラダラ見ながら、将来役に立たないレポートと課題の山に向き合っているのだ。だからわたしもそうだと思ったに違いない。確かにわたしがザイK(※経済学部の意)に入学したのに別に大きな理由なんてない。ただ単に将来、経済のことを勉強しておいた方がいろいろトクだろうなという楽観的しかして的を外しているわけではないであろうという確信を持ったうえでのことだ。ん、それならばそれで将来の役に立たないというわけではないのでは? と思うけれど、確かに大人になってからマクロだのミクロだの、かつての経済学者だのの名前や功績、なんとかフレーションとかいうそういう言葉を、仮に、もし仮に経済系の職業に就いたとして役に立つかどうかは分からない。しかし、役に立つか立たないかもわからないのだから、身に着けておいた方がプラスにはなれどマイナスになることはないだろう。つまり役に立つかもしれない課題に向き合っているのであって、役に立たないことをしているわけではないのだ。  と、ここまでで0.2秒。今日は思考の冴えがいい。 「いいですか先輩」 『シラタキさん。今日は海の日よ。狭くて家賃の安いアパートなんかに閉じこもってないで、もっと開放的な、大自然に囲まれながら課題をやりたいと思わない?』 「どういうことですか?」  もう話をぶった切られても気にしない。この人に何かを説得しようとちょっとでも試みたわたしがバカだった。 『課題の道具と、それから着替えを持って来なさい』 「来なさいってどこへ?」 『海よ。当たり前でしょう。時間がないから、急いで来なさい』  またいつものように乱暴に電話は切れた。  先輩、今回はいつも以上にイライラしているような声色だった。今度はいったい何をしようというのか。とりあえずわたしは必要なものをまとめて外に出ることにした。着替えも持って来なさいということで、リュックには必要最低限な手荷物を詰め、文献やパソコンなどのかさばる荷物はスーツケースに詰め込んだ。  海。  海は広くて大きい。いったいどこに行けばいいのだろうか。東京の海を、わたしはまだ知らない。      ○  近藤つかさ。心理学部の四回生。長い黒髪の似合う美人で、頭もいい。だけど、ものすごい変人だということで有名だった。経済学部の二回生であるわたし、白滝(しろたき)美純(みすみ)は、ひょんな出来事からこの先輩に目を付けられ、一緒にいることが多くなっている。  主にわたしが先輩に振り回されるパターンが多いのだが、この人は確かに賢くて、それに美人なので、決して悪い気はしない。  かくして今回も、そんな先輩にわたしは振り回されることになったのだ。 「遅かったわね、シラタキさん。しかし、概ね予想通りの時間の到着だわ」 「あっそうですか」  海、と聞いてわたしが真っ先に思いついたのはお台場。  案の定、そこに近藤先輩は待っていた。白い帽子に白いワンピースを着こなした、まるでセレブのような出で立ちだ。あの美人にしか似合わないと言われている白いワンピースをここまできれいに着こなしてしまうのは流石といったところだ。そして、レースのついたお洒落な傘を差して、おもむろにサングラスを外し、ワンピースの胸元に引っ掛けた。もう振る舞いがセレブのそれだ。  そして、でっかいスーツケースを引っ張っていた。黒くて機能性重視って感じの、サラリーマンがよく駅で引っ張っている感じのやつだ。 「グズで鈍間で愚かしいほど人生を浪費している、まだ十代のシラタキさんの思考ルーティンをここまでトレースするのは凄く骨の折れる作業だったわ。褒めてちょうだい。わたしを褒めてちょうだいシラタキさん」 「すごいですねー」 「さて、それじゃあ行きましょうか」  先輩は相変らず軽やかな足取りで歩いて行った。  わたしは先輩の後をおとなしく追いかけた。もう、いつものことだ。この人には何を言ったって無駄なのだ。  重たいスーツケースを引っ張っていくのはなかなか骨が折れたし、お台場までの電車賃だってまったく安くない。いったい、先輩はわたしをどこにつれていこうというのか。  歩いていくこと十数分ほど。  そこは海だった。というか港だった。大小さまざまな船が、いくつか停泊している。そのうちのひとつに先輩は歩み寄っていった。 「つかさ、待ってたよ」  そこには男の人がいた。色黒で、ふくよかな感じの体格に青いワイシャツを着た男性だった。髪の毛は整髪料で整えられていて、見た目よりはたぶん年上なんだろうな、と思わせる、言い換えれば若々しい感じの人だった。 「おじさん。久しぶり。また太ったんじゃない?」 「はは、やだなあ。気を遣っては、いるんだけどねえ」  男の人はお腹を揺らして笑った。そして、わたしと目が合うと、にっこりと人のよさそうな笑みを浮かべた。わたしは彼にお辞儀を返した。顔立ちは人懐っこいけれど、笑ったときにすっと線が引かれるような目元の感じが、先輩によく似ていた。  男の人もまたスーツケースを持っていた。そして、ポケットから取り出した高級そうな紺色のハンカチで顔の汗を拭った。 「食料なんかは、たっぷり積んであるからね。たぶんふたりじゃ食べきれない量だから安心して、あ、でも、お肉とかは悪くならないうちに食べるんだよ? それと、何かあったらすぐに電話か無線を使うこと、いいね?」 「おじさん、心配し過ぎよ。大丈夫、まかせて」 「それじゃあ、頼んだよ」  そう言って、最後に男の人はまたわたしに会釈をして、そそくさと急ぎ足にどこかへと歩き去ってしまった。  先輩はそれを見送る間も惜しみながら、自分のスーツケースを大きな白いクルーザーに積み込んだ。 「シラタキさん、ぼさっとしてないで早く乗りなさい。出航するわよ」 「へ、出航? どこへ?」 「沖へ」  ふつうに先輩は言った。      ○  船酔いどころじゃない。いったい何をしているのか。あれから数分しか経っていないのに、荷物をあっという間に船に積み込まされて、あれよあれよという間にわたしはクルーザーで海に乗り出していた。  先輩は操舵室で船をぶんぶん唸らせながら、混乱しっぱなしのわたしなんか目もくれずにGPSとにらめっこをしていた。 「この船はおじの所有物なのよ。今回、仕事で東京に来ているのだけれど、クルーザーを港に停泊させておくのには、かなり高額なお金がかかるの。そんなのもったいないでしょう?」 「はあ、それで?」 「卒論の追い込みがしたいから、ホテル代わりにクルーザーを貸してもらうことにしたの。沖に出ている分には停泊料もかからないし、一石二鳥でしょう?」 「なるほど。合理的ですねえ、それで、どうしてわたしがここに連れてこられているんです?」 「シラタキさん……」  先輩は大きなため息をついている、そんな間にも、船はずんずん沖へ向かっていく。 「え、なんとか言ってくださいよ」 「その時計、つけてくれているのね」 「え?」  先月、先輩にプレゼントされた時計。使い心地もいいので、わりと気に入っていて毎日つけている。とうぜん今日もつけてきたが…… 「まあ、便利ですから」 「シラタキさん。この船の中のものは自由に使ってもらって構わないわ。おじに返却するまで、自分の家だと思ってくつろいでちょうだい。時代は便利よ、ここはテレビも見られるし、インターネットも繋がっている。もちろんラジオを聞いたっていいし、映画だって見られるわ、近所迷惑にならないから大音量でね。おじは映画やクラシックにも造詣が深くて、ここの居住スペースに音響機材をたくさん持ち込んでいて……」 「いや、それよりも、質問に……」 「なによっ! わざわざ言わないと分からないっていうの!?」 「ひぃぃ。すみません」 「分かればいいのよ、分かれば」  さっぱり分からない。今やられていることは立派な拉致監禁だ。わたしはこれから海の遠くまで連れていかれて、カニの缶詰でも作らされるんだろうか。この人に対して蜂起しても勝てる気はしない。 「退屈だったら釣りをしてもいいのよ。海釣りよ。でも釣った魚はリリースしてね」 「えと、それで、その、返却? っていうのは、いつなんですか?」 「三日後よ」  三日後。  つまりなんだ。わたしはこの四連休をずっとクルーザーの上で過ごすのか? 「いや。帰ります」 「ちゃんと着替えは持って来たのでしょう? なら大丈夫よ。冷凍室には新鮮なお肉があるわ、夜はバーベキューをしましょう」 「いや、あの……」 「さあ、とりあえずこの辺でいいかしら」  船は停まった。  もう見渡す限り水平線、どこまで行っても海。なんて広い。まだ曇り空ではあるが、雨はほとんど止んでいた。操舵室から外に出ると、きつい海の香りが風と共に吹き付けてきた。  隣にはいつの間にか先輩もいた。長い髪を海風になびかせていた。 「さて、いい気分になったところで、私は卒論に取り掛かるわ。シラタキさん、あなたも中に入りなさい。夜になると一気に冷えるわよ」  もうなされるがままだった。  抵抗したら殺される。先輩はいま、簡単にわたしのことを殺してしまえる。海に突き落としてしまえばそれでいいのだ。当然足なんかつかないし、泳いで岸まで行くのは非現実的すぎる。そもそもここはどこなのかわたしには見当もつかないのだ。      ○  クルーザーの中は二階建てになっている。一階の先端には操舵室、前から順にキッチンつきの広いリビング、バスルームとトイレ、アコーディオンカーテンのついた寝室。階段をのぼって二階には、広々としたデッキが広がっている。 「すごい大きい……」  ちょっとしたホテルなんかよりよほど快適な空間だ。値段を想像すると身震いがした。何千万じゃ足りないのではないだろうか?  そんなわけで、わたしたちはリビングにいる。わたしはコーヒーを飲みながら、机いっぱいに英語の資料を並べている先輩のことをなんとなく見ていた。 「先輩、あの……」 「どうしたの? 落ち着かない? 船に慣れていないのかしら」 「それもありますけど、それだけじゃないですね」 「気分が悪くなったら、奥の寝室で休んでいてもいいわよ」  先輩はほんとうにいつも通りだ。さも当然のようにこの空間におさまっている。わたしは未だに目がちかちかする思いだった、なぜこんな場所に? 「ていうか、これ、運転しても大丈夫なんですよね? なんか、免許とか……」 「一級小型船舶操縦士があれば、運転する分には問題ないわ。岸から百海里以上離れることはできないけれど」 「で、先輩はそれを持っていると」 「18歳以上ならだれでも取得できるのよ。シラタキさん、気が向いたら取ってみなさい」 「いや結構です」  使いどころがない。  ちょっとクルーザー使いたくて……とか、ちょっと海の上で身分を証明したくて……とか、そういう機会は今後の人生においても全く現れ得ない。それは断言してもいい。 「でも、どうして急にクルーザーなんて」 「今日は海の日じゃない。コンクリートの中で土気色に染まりつつあるシラタキさんに、海の新鮮な風を吹き込んであげようという私の厚意をむげにしようっていうのね! 許さない!」 「何も言ってないじゃないですか!」 「冗談よ」 「冗談に聴こえないです」  常にわたしの心は臨戦態勢にある。  いつ殺されるかもしれないという意識が常に思考の片隅にあるのだ。わたしは完全にアウェーな状況下にいる。落ち着けという方が無理な相談だろう。 「なんならお酒だってあるわ。飲む?」 「結構です」  こんな状況で酔っぱらえるわけない。吐く。ぜったい吐く。こんな高そうなものの中でゲロってしまうのは絶望だ。賠償金で人生が軽く吹き飛ぶ。 「そういえば、海の日、でしたっけ。海の日って、具体的に何をするのかよく分かってないんですよね」  先輩はプリントアウトされた英語の資料を読みながら答えた。 「もともとは『海の記念日』というの。明治天皇が船で横浜に到着した、七月二十日を記念日にしたの。それまでは、天皇が船に乗って海に出るなんて、考えられないことだったのじゃないかしら」 「でも、今日は七月二十日じゃないですよね?」 「海の日は、もともと七月二十日だったのよ。だけど十数年前に、ハッピーマンデー法と言われる祝日法の改正運動で、七月二十日から第三月曜日に固定されたの。そして今年、2020年は、更にスポーツの日と合体して四連休にさせられたわね」 「そう、明日はスポーツの日ですよね。スポーツの日って何ですか?」 「東京オリンピックの開会式を記念して、体育の日を改名したの。体育の日だって元々は、1964年の東京オリンピックの開会式を記念して設けられた祝日よ。まあ、今年はいろいろな影響で東京オリンピックは幻と化してしまったけれど」 「そうですね、いろいろありましたもんね」 「まあ、わたしたちの暮らす世界ではあまり関係のない話よ」  そこについては触れないほうがいいのかもしれない。 「もともと10月の体育の日は、一年を通しても晴れの多い『特異日』だったのだけれど、連休を増やすためとはいえ、こんなじめじめした日に祝日を移動したのは、政府の愚策ね」 「へえ~」 「まあ、とにかく海の日というのは、船の日といっても過言ではないのよ。そんな日に、船で海に漕ぎ出し、ゆっくり、のんびりとした時間を過ごすのは、すばらしいことだと思わないのかしらシラタキさん」 「白滝ですって。いい加減覚えてくださいよ」  それに、わざわざ海に出てきてまでやることが卒論、課題とは。  ホテル代わり、と先輩は言った。  たしかにずいぶん贅沢だ。目が疲れたら海を眺めて、穏やかな気持ちになることができる。都会のビジネスホテルで缶詰めになるよりははるかに衛生的な環境と言えるだろう。 「あなたも課題に取り掛からなくていいのかしらシラタキさん」 「白滝ですってば」 「パソコンのコンセントはそこにあるから使いなさい。コーヒーは自由に入れていいから。冷蔵庫にはお菓子もあるわ。それにジュースやお酒も」 「お酒は飲みません」  しかしわたしはお言葉に甘えて課題に取り掛かることにした。  スーツケースからパソコンと文献を取り出し、Wi-Fiのパスワードを入力してパソコンをネットに接続する。PCの画面を分割し、左側でレポートを書き、右側で映画を観る。ちょっとした調べ物をしたいときはスマートフォンを使う。  リビングに固定されたソファは座り心地がよくて、机は程よい高さで、確かに自宅にいるよりははるかに集中できる環境であることは否めなかった。お金持ちがクルーザーに乗る気持ちが、分からなくはない感じがした。だからといって憧れはしないが。車と同じで、クルーザーというものにはきっととんでもない維持費やメンテナンス費がかかるに違いない。いや、それは車よりもはるかに高額だろう。  先輩は英語のテキストをすらすら読んでは、パソコンに何かを次々とタイプしていく。その姿はデキる女を感じざるを得ない。  数時間経って、ひとつのレポートに区切りをつけたあたりで、映画もちょうどひと段落した。 「ふぁ」  ほとんど同時に先輩もソファから立ち上がって、うんと伸びをした。その仕草にちょっと等身大の女子大生を感じて、わたしはドキッとしてしまった。 「なにか食べましょうか」 「なにかって?」 「バーベキュー……は、明日でもいいかしら。確か、パスタがあったわね。適当に作っちゃいましょう。シラタキさん、暇ならおじの本棚でも適当に漁ってていいわ。私が呼んだことにするから」  先輩は資料をざっと簡単にまとめてテーブルの片隅に積み上げると、キッチンの方へと歩いて行った。そして水音、戸棚を開ける音、電気コンロをつける音、そういう生活音がせわしなく聞こえてきた。  わたしは先輩に言われたとおりに、リビングの片隅にある本棚に目を向けた。  船が揺れてもいいように、ということなのだろうか、がっちりと固定されており、本棚なのに扉が閉ざされている。ガラスの様なものが張られているが、よく見るとアクリル板のようだった。 『老人と海』『白鯨』『われらをめぐる海』『神曲』『デカメロン』『そして誰もいなくなった』……本棚を見るとなんとなくそのひとの性格や頭の中が分かるというが、さすがは先輩のおじさんといったところだろうか。船の中に『ONE PIECE』を全巻揃えているのはなかなかのセンスだ。  というか、こんな大きなクルーザーを持っていて、ぽんと姪である先輩に貸し出してしまう先輩の親族……近藤家には謎が多い。一体、どんな一家なのだろうか? 「シラタキさん」  振り向くと先輩がそこにいた。エプロンをつけて、いままさにキッチンから出てきたという感じの趣だ。  わたしは咄嗟に振り向いたので、本棚を背にして先輩に追い込まれるような形になった。 「な、なんですか……」 「パスタが茹で上がるまで、暇でしょう? ちょっと、暇つぶしに付き合って頂戴」 「ひ、暇つぶしですか。一体何をするんです? トランプとかですか?」 「ふふ」  先輩は本棚に手を突いた。  これは……少女漫画の中に出てくる七つの殺し道具のひとつ、『壁ドン』だ。まさかリアルでやられる日が来るとは! 先輩の顔がこんなに近くにある。甘い香りがする。 「あの、何を……」 「言ったでしょう? このクルーザー、ホテル代わりに借りているって」 「え……それは、まさか……」  ビジネスホテルの代わりだと思っていた。  何のためにわたしを連れてきたのかと思っていた。  まさか……! 「ええっ、いや、そ、それはなんか違います!」 「ふふ、時間はたっぷりあるの。ゆっくり楽しみましょう」 「キャー!」  海の上で、文字通り波乱の幕開けとなった四連休。この後どうなる!?  がんばれ明日のわたし。
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