【7月26日】近藤先輩とわたし ~竜宮城と夏の夜の夢編~最終日

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【7月26日】近藤先輩とわたし ~竜宮城と夏の夜の夢編~最終日

 前回までのあらすじ。  竜宮城に行ったら、先輩が乙姫さまだった。 「だいたい100年ぶりねシラタキさん。変わらぬ間抜け面で何よりだわ」 「よく意味が分からないんですけど」 「まあ座りなさい。丁寧に説明してあげるから」  わたしは先輩と向き合って座り、竜宮城の新鮮な海の幸でつくられた食事を頂いた。魚の召使いたちに魚料理を振る舞われるのはわりと気分の良くないものだったが、美味しかったのですぐに落ち着いた。 「実はあの後、海に落ちてしまったの」 「はあ」 「最初は地上に戻ろうとしていたのだけれど、竜宮城に招待されてしまってね。なんでも、先代の乙姫さまが任期満了に伴い退位されたそうで、新しい姫として私を据えたいということだったの」 「ほうほう」 「悪い待遇じゃなかったし、100年くらいならいいかと思って」 「それで? 100年とは?」 「この竜宮城では、時間の流れが地上よりも随分早いのよ。それに、ここの料理を食べていれば、肉体は若々しくいられるし、病気も死も無いというから、次の乙姫が決まるまでの100年間の契約で乙姫に就職したの」  就職。 「それで?」 「乙姫さまは100年周期で代替わりするのだけれど、次の乙姫さまがいなくてね。後任を誰にするか悩んでいたのだけれど、ああ、そういえば地上に残してきた若い女がいたなあと」 「…………はい!?」 「大丈夫、100年なんてあっという間よ」 「いやいや! わたし嫌ですよ、ここで100年も過ごすの」 「シラタキさん。私が姿をくらませてから、地上ではどのくらい時間がたっているのかしら?」 「だ、だいたい30分くらいでしょうか」 「そのくらいなら簡単でしょう?」 「え、でも100年間も過ごすわけですよね? 主観として?」 「というわけで、あなたを次の乙姫に任命します」 「イヤです!」  しかしわたしは突然現れたおつきのものにがっしと両腕を掴まれてしまった。 「ひ、ひどいですっ先輩。こんな仕打ちあんまりです」 「失礼ね! 私はシラタキさんの幸せを想って提案してあげてるのよ」 「オラッおとなしく歩くんだよ!」 「この召使い口悪! これ提案じゃないですよね!? 脅迫ですよね!」 「さ、手続きはこちらからどうぞ」  竜宮の遣いが扉を開いた。 「やだー! わたしは普通に暮らしたい! 100年間も寄り道したくない!」  それはだってあれでしょ?  F○10で、メインストーリーの途中なのにナ○平原のチョ○ボレースに数百時間もかまけていたあの時の気持ちを追体験するってことでしょ? それを100年間も? 「離して、離して~」 「そこまでだっ乙姫!」  バン! と扉を開いて現れたのは、人間の女の子の姿をした線の細い女の子だった。 「今年こそ、今年こそ私が乙姫になるのッ!」 「おまえは! 何度も乙姫オーディションに落ちている深海のアマミホシゾラフグ子!」 「語呂悪ッ」  確かに星のようにきらびやかな服を着ている。そしてよく見るとなかなか顔も整っている。淡い水色の髪の毛と白い肌、大きな瞳はキラキラと光り輝いていて、まるで銀河をその中にのぞかせているかのようだった。  ツカイさんは小さな体で立ちはだかり、びしっと指を差した。 「お前は最終選考で惜しくも落選したはず! 次の乙姫にはなれないわよ!」 「いやよ! 今年こそ乙姫になってみせるんだから、お願いします! わたしを次の乙姫にしてください! わたしが当選した暁には、竜宮城をキラッキラにイルミネーションしますから!」 「そんなことしたら深海ギョングに狙われちゃうからダメ~」 「いいんじゃない?」 「へ?」  先輩がぷーっとキセルの煙草をふかした。 「いいんじゃないかしら? その子で。アマミホシゾラフグ子さん?」 「あっ、はい!」 「竜宮城の古い慣習には、100年間でうんざりしていた部分もあったの。もちろん暮らしは満足していたけれどね。この辺りで彼女のような、新しい思想や嗜好を取り入れていくのも必要じゃないかしら。彼女、顔だっていいし、スタイルもそこそこじゃない。それに……」 「そ、それに?」 「あなたがやったことは立派な拉致監禁よ。地上に暮らしている人間を海の中に閉じ込めてしまうなんて。到底許されることではないわ」 「はぁっ?」  これはわたしの声だ。アンタがそれ言うのかい!  先輩は重たそうな着物をばさっと脱ぎ棄てると、軽やかな水着姿に戻った。 「というわけで私は地上に帰るわ。シラタキさんをわざわざ呼ぶまでもなかったわね、さ、帰りましょう」  わたしたちは表に着底していたクルーザーに乗り込み、先輩の運転によって海上へと戻った。一級深海海技士の資格を持っているツカイさんも一緒に乗り込んだ。不服そうな顔ではあったが、それよりも悲しそうな表情をしていたのが妙に印象に残った。      ○  地上は美しい夕焼けで、水平線の向こう側に真っ赤な太陽が沈んでいくのがよく見えた。時計を見ると少しばかり、時間が巻き戻っているような気がした。 「ありがとう、ツカイ。それと、ごめんなさい。せっかくの申し出を断ってしまって」 「いえ。乙姫さまのご指示とあらば……」 「私はやっぱり人間なのよ。海の底の生活は、楽しかったし、いい気分ではあったけれど、やっぱり息が詰まってしまうわ。戻ったら、城のみんなにもよろしく伝えておいてちょうだい」 「はい……」 「もう、そんなに落ち込まないの。だいじょうぶ、あのアマミホシゾラフグ子なら立派な乙姫になるわ。次の100年は安泰よ、安心しなさい」  先輩は優しい母親のように、ツカイさんの頭を撫でた。  ツカイさんは拳をぐっと握りしめていたが、やがて顔を真っ赤にして先輩の身体に抱き着いた。 「はなれとうございません、母上」 「えっ!?」  思わず声を上げたが、よしよし、と先輩はツカイさんを抱きしめるばかりだった。  母上!? まさか先輩、あの竜宮城で……確かに乙姫というくらいだから、王子がいたのかもしれない!  ツカイさんはわんわん泣いた後、ぐずりながらもびしっと立った。 「では、さようなら、母上」 「また遊びに行くわ。元気でね、ツカイ」 「はい! お待ちしております!」  ぴゅーんとデッキから飛び降りて、そのまま海の中へ消えてしまった。 「せ、先輩! いまのはいったい!?」 「あの子は竜宮に古来より伝わるクローン技術で生まれた、私の娘よ」 「クローン」  なるほど。どうりでそっくりなはずだ。 「一部の淡水魚が行う雌性発生と呼ばれる現象よ。雌の卵子だけで核を作り、刺激を与えることで分裂が起こるの。だから、頭の中がピンク色に染まっている思春期にしがみついたままのシラタキさんがいま考えているようないかがわしいあんなことやこんなことは起こっていないし、私が直接お腹を痛めて生んだわけではないわ。髪の毛が一本あれば、無限にクローンを作り出せるというので、試しにやってみただけ」 「そ、それで、あの子が生まれたんですね」 「半分は竜宮の技術が詰まっているから、普通の人間よりははるかに長寿ですけどね」  それよりも、と先輩は咳払いをした。 「悪かったわね、シラタキさん。わずかの間とは言え、あなたをひとりにしてしまって。不安な気分にさせてしまって」 「え、ああ、いえ。でも、先輩が本当に海に落ちてたらどうしようかと」 「あなたじゃあるまいし、そんなことしないわ」 「そうですか」  夕陽がどんどん沈んでいき、空には一番星が浮かんでいる。だんだんと紫紺の夜が空に侵食してきて、美しくグラデーションを形作っている。 「ごめんなさい」 「え?」 「先月のこと、シラタキさん、相当怒っていたみたいだったから。一度、埋め合わせをしておきたかったの。それなのに、また、こんな風に妙な騒ぎに巻き込んでしまって」  先輩がわたしに謝罪の言葉を述べるなんて。わたしは言葉が出ずに、ただ黙っていた。 「そんなこと気にしてたんですか」 「え?」 「先輩は血も涙もない先輩なんだから、そんなこと気にしてないと思ってた。わたしも気にしてませんよ別に。いつものことですから」 「あら……そうなの……」  先輩は面食らって黙りこくっていた。 「なんですか……」 「いえ、シラタキさんがそんなに図太いと思わなかったから。予想以上だわ」 「ていうか、埋め合わせがどうとか……そのやり方も、いかにも先輩らしいというか……」  立派な拉致監禁。  海の上で置き去りにされ、逃げる術もない。 「まあ、いろいろ、ありがたいですけど。楽しいですけど」 「ええ。感謝しなさい、随分あなたのために奮発しているのだから」  さて、と先輩はうんと伸びをして、夕日を眺めた。 「私は100年以上も公務を続けたので、疲れてしまったわ。シラタキさん、マッサージをしてちょうだい」 「マッサージぃ?」 「海の中は常に圧力がかかっていたからね。身体がもうバッキバキで。さっそくお願いしてもいいかしら?」      ○  デッキにレジャーシートを敷き、リビングの明かりをつけっぱなしにすることで、わずかながらの明かりを用立てる。 「よいしょ……ふう」  先輩はセパレートの水着をいつのまにか脱いでいて、上半身裸のままでレジャーシートの上に寝そべった。白い背中がきらきら光っているようだった。しかし、ゔーと唸るようなため息からは、普段の覇気は感じられない。 「お願いするわ、シラタキさん」 「や……白滝なんで」  正直わたしは無駄にどきどきしていた。考えてみれば女同士なのだから、肌を見せあってもそんなに問題はないはずだ。でも、先輩がいま目の前で無防備でいると思うと、なんだか普段とは違うシチュエーションって感じだ。 「で、では、失礼します」 「うむ……」  眠るような声だった。  まずは長い髪の毛を軽くまとめて脇に退ける。そして手にオイルを乗せ、人肌になるまで温めてから、目の前の背中にぐいとのせる。  まずは全体にオイルをなじませるように薄く伸ばし、それから凝っているところを揉み解していく。 「んっ……そう、その辺」 「めっちゃ凝ってますね。水圧に、あの重たそうな服に……それを100年……」  むしろ100年間でここまでしか疲労しない先輩の肉体に驚愕するべきかもしれない。でも、腰や背中の筋肉は膨らんでいて、凝り固まっている感じがした。  ここは東北人の娘として、両親や祖父母にさんざん施した娘のマッサージテクを駆使するとき! 大学に上がってからはやる相手もいなかったが、「あんたが上京してから腰痛やら肩こりやら増えて困っちゃうのよ〜」と両親にお墨付きを頂いている、ゴッドハンド美純の手腕を文字通り振るう時だ。単純に両親の加齢のせいだという可能性はこの際排除しておく。 「なかなか、上手いわね……」 「そうでしょう。数少ない特技なんですよ」 「あんまり、人にやってもらったことって、ないから……新鮮な感覚ね」 「そうなんですか?」 「あまり人に背中を見せたくないの」  ゴルゴみたいなことを言い出した。  でも先輩はいまわたしに完全に背中を許している。  ついでわたしは、肩をほぐした後、腕のマッサージに取りかかった。  両手で螺旋を描くように、雑巾を優しく絞るイメージで筋肉を揉み解していく。だんだん先端へ、溜まったものを指先からぜんぶ搾り出すイメージで。完全に我流のマッサージ法だけど、これがなかなか効くらしい。  脚も同様。  先輩の身体は、100年間、あらゆる方向からかけられた水圧によって、もれなくバキバキに凝り固まっていた。それをほぐしていくのは、まるで料理の下ごしらえのようで楽しかった。 「はい、どうでしょう、こんなもので」 「んん……ありがとう。だいぶ、いい具合になったわ。今日はよく眠れそう……竜宮城では公務続きで、あまり寝る時間がなかったから……」  先輩はそのままやおら立ち上がった。 「ちょおっ先輩! 服着てください」 「なぜ……? 別にいいじゃない。あなたしか見ていないのだし」  先輩は水着を脱ぎ捨てて素っ裸になると、そのままシャワー室へと入っていってしまった。そうだ、まずは体のオイルを洗い流したいはずだ。女同士だし、たしかに誰も見ていない。なんでわたしがこんなにどきどきしなくちゃいけないんだ……  …………  服の上からでもだいぶ想像できたけど、予想以上に美しい肢体だった。一瞬だけ見えたけど、それだけでばっちり印象に残ってしまった。あんなに整った体の女子大生がこの世にいるのか? いた。 「はあぁ〜〜」  なんだか無駄に疲れた。  あの人はいつもわたしを無駄に疲れさせる。よく見たら手がオイルでベチャベチャだし。  先輩のあがった後にわたしもシャワーを借り、パジャマに着替えた。先輩はバスローブ姿で缶ビールを飲みながら、衛星放送の英語のニュースを見つつ、スマートフォンで国内のニュースを見ていた。 「日付の感覚が狂ってしまいそうだけど、たしかに元の日時に戻ってきたのね」 「そ、そうですね」 「なに?」  バスローブの胸元がやけに気になって少し目を逸らしてしまった。わたしの視線に気がついて、近藤先輩はなんとも言えないような侮蔑の表情を浮かべた。 「あなたにそんな目で見られるのは心外だわ」 「そ、そんなつもりじゃないんです! ただ、先輩はちょっと無防備すぎると思います、もっとこう、他人の存在を気にしてくださいよッ」 「あなたのことを人だと思ったことはないわ」  それはそれで深く傷ついた。  先輩はどこから取り出したのか、チーズを乗せたクラッカーが並べられた皿を用意し、ひとくちサクサクと食べながらビールを飲んだ。体力とスタミナがマックスになりそうな、定番の組み合わせだ。 「ふぅ……深海では魚と海藻ばかり食べていたし、お酒は海水由来の似たようなものばかりだったから、久し振りだわ」 「ひとついただいても?」 「どうぞ」  クラッカーの味気ないサクサク感と、とろっとしたチーズの濃厚な味わいがベストマッチだった。 「うん、美味しいです」 「ビールもどうぞ」 「いや、未成年なので……」 「……、……ああ、そうだった。100年間も会ってないから、忘れていたわ。冷蔵庫にノンアルコールのビールもあるから、そっちを飲んでもいいのよ」 「ああ、それはいいですねえ」  ノンアルコールビールのプルタブを上げ、チーズとクラッカーをひとくち。その後にビール。  チーズの甘さをビールの苦味が中和してくれるような…… 「美味しいです」 「シラタキさん。ビールは味わってはダメなのよ」 「へ? 美味しいですけど」 「ビールは飲み込むものなの。口の中を通り抜ける一瞬の風味と味わいを楽しむ。ジュースのように口の中に含むものではないのよ」 「ほう」  試しにぐいっと思いっきり飲んでみて…… 「んぐっ、げっほげっほ。うっ腹筋……えっほ」 「バカ」  そんな冷たいことを言わないでほしい。  もうへとへとだ。わたしも眠たくなってきた。 「わたしそろそろ……」  と、先輩の方を見ると。  先輩はすでに眠っているようだった。机に両腕を乗せ、その上に頭を伏せている。  珍しい。隙を滅多に見せない先輩も、こんなふうに……そう、学生らしく眠ることがあるのだ。  この人は体感で100年以上も深海にいたらしい。そりゃ、疲れるのも無理もないというものだ。 「うう……」  なにか寝言を言っている。 「違う……そこはカイ……カイ……」 「かい?」 「……そうじゃなくて、そこはウリ……」  この人は夢の中でトレーダーとして活動しているのだろうか。 「だめぇ……こんなところで……」  今度はなんの夢だろう。  なんとも悩ましく、いじらしい声だ。まさか先輩、誰かとデートをしているのかな…… 「こんなところで……むにゃ……粉塵……」 「モ◯ハン?」 「粉塵爆発……だめぇ……逃げて……」  なにかのプラントにいるのだろうか。粉塵爆発してしまう寸前らしい。 「むむむ……」  やがて寝言もなくなった。眠る先輩を見ているうちに、眠るのにはちょうどいい時間だ。わたしも疲労が限界になるのを感じ、いい加減に寝ようと決心した。 「おやすみなさい先輩」  返事を待たずにわたしはベッドルームに入って、そのまま泥のように眠った。      ◯  翌朝。 「さて。卒論はこの辺で」  もういつもの先輩に戻っていた。 「卒論ってそんな早く終わるものなんです?」 「100年も考える時間があったのだもの。あとは多少の修正を加えるだけね。さて、シラタキさん」 「白滝です」 「シラタキさん。暇なので私は釣りをしようと思うのだけれど。よかったら、あなたも一緒にどうかしら」  どうかしら? って。  聞くまでもなく付き合わせる気のくせによく言う。だってすでに釣竿が二本、そこに転がっている。 「いいですよ」 「あなた釣りの経験はあるの?」 「ないです」 「じゃあ、海釣りを教えてあげるわ。私はおじから、少し教わったことがあって……」  課題も終わったし、先輩の貴重な一面も見られた。寝る先輩、マッサージされる先輩、わたしに悪いことをしたと気にする先輩……  有意義な四連休だ。誘ってもらってよかったと、少しだけ思った。
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