【7月27日】窓越しのあなた

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【7月27日】窓越しのあなた

 教室の窓の向こうで何気なく息をしているあなたをいつも見ている。  一日にたった数十秒。  わたしは廊下を通り過ぎるときに、ちらと見えるあなたの姿をいつも窓ガラス越しに見ている。  今日はお弁当を食べている。  今日はあくびをしている。  今日は居眠りをしている。  今日はお友だちとおしゃべりしている。  いいの、わたしは眺めているだけが好き。  あなたと対峙すると、わたしはいつも、頭の中がぐるぐるして、どきどきしてしまう。目も見られずに、言葉もしっかり喋れない。  わたしはあなたの横顔が好き。  窓ガラス越しに見るあなたの後ろ姿、横顔、時にはちらりと見えるスカートや髪の毛、そんなものでもだいすき。直接触れることも、顔を合わせることもない、そんなあなたが好き。  今日はあなた、背の高い男子と喋っていた。  最近よくあなたに話しかけている男子。  あなたもとても楽しそう。時どき顔を赤くしたりして、クラスメイトたちにからかわれている。  やきもきする。  それを見た日から、だんだんあなたは窓ガラスの向こうに姿を見せなくなった。  でもいいの、気にしていないから。隣のクラスのわたしは。 「ねえ」  だから、放課後、直接わたしの肩をつかんだあなたに、わたしはとても驚いた。 「ひっ、」 「みんな、噂してるよ、あなたのこと、暗いとか、気持ち悪いとか。教室の中、いっつもちらちら見ててさ。別にあたしは構わないけど、そういうのやめた方がいい。変な噂になったら、あなたも困るでしょ」  あなたも?  困るのはあなたのほうだ。わたしはその場に固まってすくみ上ってしまったけれど、身体はぶるぶる震えていた。それは、怒りとか、やるせなさとか、そういう感情に支配されていたからだ。 「どうしたの? 大丈夫?」  わたしはその場から早足に逃げていくのが精いっぱいだった。  すぐに家に帰ってからシャワーを浴びて、あなたが触れた場所を一生懸命に洗った。それから何度も身体を拭いたけれど、だんだん触られたところがぐずぐずに赤くなっていくような気がして気持ち悪くて耐えられなくてトイレに駆け込んでそのまま吐いた。それからベッドの中に閉じこもっていたけれど目を閉じているとあなたの顔がグルグル浮かんできて、それからあなたに触られたことを思い出してしまって落ち着かなくて、また気分が悪くなって何度も何度も吐いた。熱まで出てくるような気がした。食事も喉を通らずに、喉の奥が焼けてしまったように喉が渇いたので、コップで水を飲んだけれどぜんぜんおいしくない、まるで絵の具を溶かした水を飲んでいるみたいな気分になって、口の中から鼻の奥いっぱいまで油粘土みたいなねちっこい臭いに満たされてまた吐いた。具合の悪いことにお腹まで痛くなってきて、いつも飲んでいる薬を飲もうとしたけれどそれもできなかったのが余計につらくて、情けなくて悔しくて泣いた。なんでこんなにわたしは弱いんだろう、たったこれだけのことでこんなに打ちのめされてしまうのはなぜなんだろう、理不尽だ、こんなことなら生まれてくるんじゃなかったと思うくらいに辛い思いをした。頭が痛くて身体じゅうが重くて結局眠ることすらできなかった。大好きなビートルズの曲を聴きながらずっと天井の上を見つめていた。身体が痛くて寝返りすら打つことができなかった。  涙がぼろぼろこぼれた。  嫌だ。  なんであなたのことをこんなに思い出してしまうんだ。悔しい。つらい。ひどい。  次の日はあまりにも具合が悪くて学校を休んだ。ずっと寝ていた。泣きつかれて眠ってしまって、それでもあなたのことを夢に見た。あなたが目の前にやってきて、顔をのぞき込んだり、手をつないだり、頬に触れたりするのだ。その度に嫌な気分になって目を覚まし、身体じゅう汗やらなんやらでべっとべとになっている。気持ちが悪い。気持ちが悪い。  中学生の時以来、やっていなかったリストカットをやった。  良くないことだと言われてやめていた。三回だけやった傷跡が残っていたけれど、そこに四本目をつけた。血が流れていくと、すーっと頭の中が空っぽになって、ちょっと気分がよくなった。それでまた眠った。今度は夢を見る事もなく眠ることができた。  翌日はちゃんと学校に行った。リストカットしたところには包帯を巻いて、昨日料理をしていてケガをしたということにした。  隣のクラスの窓の向こうにはあなたはいなかった。  何度見てもいなかった。  今日一日はあなたの姿を見る事が無かった。 「大丈夫なの?」  あなたの声に打たれてわたしはゆっくり振り返った。 「昨日、休んだって。大丈夫だった? みんな心配してたよ」  みんな?  あなたも心配してたの? やめて、わたしのことなんか心配しないでよ。あなたにわたしを見てほしくない。あなたに見てほしくない。わたしを見ないで。見るな。見るな。 「ね、ごめんなさい、おととい、わたしがあんなこと言ったから……そんなつもりじゃなかった。ほんとだよ」  と、あなたはわたしの手を取った。  わたしはもう目のまえがぐにゃっとしてもうあなたに触られることがもうもうもうもうもあなたの声が耳障りでうもうもうもうもももももあなたの息もももももももううううううももううももううあなたの匂いももううもうもうもうもうあなたの体温もうもうもうもう声もうもう光もうもう目もうもう左手もうもうもうもうもうもうもももももももももももももももももももうううううううううううううううううああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ  わたしは逃げ出したくて、でもまた逃げ出したくなくて、あなたの手を振りほどいて、それからあなたを教室の中に突き飛ばした。それから扉を閉めて、そのまま立ち上がるあなたのことを見ていた。凄く胸が締め付けられるような感じがした。身体じゅう痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がるあなたを見ているのは凄く痛ましかった。  あなたはわたしを睨みつけようとしたので、それを見ないようにしてわたしは帰った。  耳をふさいで帰った。  急いで帰った。  早く帰った。  その日はちゃんとよく眠れた。  次の日からあなたは学校に来なくなった。  窓の向こうから姿を消した。  あなたが自殺したって聞いた。  それから窓の外を見るたびに、よくあなたの姿を見る気がする。  よかった。これからずっと、あなたは窓の向こう側にいてくれるんだね。  もうあなたと二度と会わなくて済む。  なんて心地いいんだろう。  ほら、いまも窓の外で、あなたがぼうっと浮かんでいる。  わたしは授業中に窓のほうを見るのが好きになった。  時どき、教室のドアの窓ガラスの向こうで、席に座っているあなたを見る。  座っている姿は美しい。  ずっと、そのまま、どこにも行かないでね。  家に帰り、部屋に入ると、その片隅にあなたがいたのでわたしはたいそう驚いた。  隅っこにぼうっと立っていた。  立っていてわたしを見ていたのだ。  やめて。  やめてやめて。やめてみないでやめて。みないでやめてみないで。  やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめやめ  またリストカットした。  血がだらだら零れ落ちていく。  腕を伝って、枝分かれしたような赤い筋が残される。血の気が引いていくのと同時に、あなたの姿が見えなくなった。  わたしは安心して眠りに就ける。  明日もあなたのことが見られるといいな。
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