【1月22日】ステラと人間

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【1月22日】ステラと人間

 さて、僕が生まれてから100年も経つと、師匠はとっくに亡くなり、師匠のあとを継いだ錬金術師も亡くなった。その時代になると、錬金術だのなんだのは時代遅れだとか、国税の無駄遣いだとか言われて、僕の暮らしていた工房も取り潰されることになってしまった。僕を作った師匠は、結局、僕のことを誰にも明かさなかったので、僕の存在、僕の記録は明るみに出ることなく窯の火に消えた。  人目を憚り、国を抜け出して僕は旅に出た。  師匠とは結局、50年くらいは共に暮らしただろうか。いい暮らしをさせてあげられたと思う。師匠はいつも眠る時に僕をそばに置いた。僕は眠ることもないので、彼女の寝顔をいつも眺めているだけだった。だけど時々、そばにぴったり寄り添って寝転がり、共に目をつぶってみるのもいい経験だったと思う。  僕は病気に罹ることもなく、老いもしないので、師匠が病気がちになり、生活がままならなくなってからは、ベッドで横たわる師匠を看病しながら過ごすことが多くなった。晩年では研究への熱意も薄れたのだろう、読書をしたり、詩を書いたりしながら過ごしていた。師匠の作る詩はそれほど美しくなかったけれど、僕は好きだった。心臓の鼓動にぴったりあてはまるような心地よさがあった。  この頃、工房に新しい錬金術師の女性がやってきた。師匠の弟子だったので、僕も彼女のことを弟子と呼んだ。弟子は、師匠よりも錬金術に熱心で、毎日のように机と炉と窯に向かってペンを走らせながら、寝る間も惜しんで学んでいた。師匠はたびたび教えを乞うてくる弟子にため息をつきながらも、研究の成果を惜しげも無く披露し、僕にもそれを手伝わせた。弟子は僕のことを師匠の側用人か何かだと思っていたようだし、師匠の作った人間だとはひとことも言わなかった。 「お前を作ってよかった」  弟子が寝静まったある日、師匠は僕にそう言った。すっかり痩せて、細く震えた声だった。 「師匠にとって、僕は、貴重な研究の成果だからね」  僕がそういうと、師匠は首を横に振った。 「私はね、親に売られて、いろいろな場所を転々とした後に、ここにやってきた。錬金術なんて興味もなかった。でも、お前を作ってからは、毎日がなんだか楽しかったよ」 「それなら、よかったよ。作られたからには恩を返さないといけないと、ずっと思っていたからね」 「私は……さみしかったのかもしれない。私と共にいてくれる人間が欲しかったのかもしれない。でも、私はお前みたいに人間として出来がいいわけじゃないから、そろそろ、駄目みたいだ」 「駄目?」 「弟子のことを頼むよ、ステラ。工房なんてどうなってもいいから、あいつのことを見守ってやってくれ」  師匠はそう言って目を閉じた。 「なかなか幸せな人生だったと思うよ、ステラ。最後に、あなたの顔がみたい……顔を見せて」  だけど、目を開けることは出来なかった。僕は師匠の手を握り、それが冷たくなっていくのを感じていた。  師匠が死んでから、弟子はものすごい才覚を発揮し始め、工房では数多くのものが作られた。新たな金属、新たな薬、新たな物質。それらは例外なく、王に献上され、国の発展へと貢献した。  この頃から、弟子は、(ステラ)のことを「つくられた人間」だと理解し始めたようだった。 「ステラさん。『人間を造る』って、とても難しいですね」  ある夜、弟子が僕にそう言ったことがあった。  弟子は師匠とは似ても似つかず、才気煥発として明るい性格だった。おおよそ女性としては、性的な魅力に溢れた若々しい容姿で、気立ても良かった。 「師匠はみなしごだった私を拾って、教育してくれました。おかげで、この工房では多くのものを作り、王も喜んでくださいました。でも、人間だけはどうしても作り出せない。理論では確かに間違いない、合っているはずなのに、どうしてでしょうか」 「なにかが足りないか、なにかが多すぎるか。天秤の針を、髪の毛一本分でも間違えたら、人間は生まれてこないよ」 「でも、師匠はそれを作ったんですよね」  弟子は実験道具をひとつひとつ、丁寧に棚にしまいながら笑った。 「ステラさんは、どうやって生まれたのか、とても気になります」 「分解してみる? 別に構わないよ、弟子の頼みなら」 「まさか。そんなことしませんよ。でも、ステラさんにきょうだいが出来たら、きっともっと賑やかになると思います」 「きょうだい?」 「師匠も死にました。いつかは私も死にます。それは他のどんな人間も同じ、人間はみんなステラさんのように上等ではないんです。病気にかかって苦しむ、置いて苦しむ、飢えて渇いて苦しむ、怪我をして苦しむ。そして苦しんで苦しんで、死んでいく。ステラさんは最後には、ひとりぼっちになっちゃうじゃないですか」  そんなこと考えたこともなかったので、僕は意表をつかれた気持ちになって、ほぅ、という声をあげてしまった。 「たしかに」 「だから、私は諦めませんよ。ステラさんのために」  さて、それから数十年、弟子は結局、人間を造ることはかなわずに世を去ってしまった。  僕は居場所を失い、ひとりぼっちになってしまった。その時は意外と早くやってきたということだ。  髪の毛は煤と硝煙でくすみ、肌も炉の火に焼かれてほんの少し、くすみがかかったような感じになっている。僕は生まれた時より少しだけ、完璧で上等な存在からは劣っているのだろうか。  師匠が見たらがっかりするだろう。  見知らぬ町、見知らぬ通りの裏道で、小さな女の子が蹲っている。真っ黒な髪、あざだらけの身体。細く震えて、こほん、こほんと、弱った肺で咳き込んでいた。  みなしごだ。親に捨てられた、ひとりぼっちの子ども。僕と同じように。 「僕と一緒においで」  僕は女の子の手を引いて、その街を出ることにした。僕らを受け入れてくれる場所にたどり着くまで、この子は僕が守ってみよう。  師匠が弟子にそうしたように。 「きみの名前は?」 「なまえ……」 「わからないんだ? じゃあ、僕がつけてあげる。そうだなあ……」  師匠は、どういう思いで、僕に(ステラ)という名前をつけたのだろう。  僕には知識はあっても、人に名前をつける知恵はなかったようだ。 「ごめん、また後で考えるね」  まずはこの子の名前を考えよう。  そして、この子に僕が知っていることをなんでも教えてあげよう。  そうやって生きていくんだ。  女の子は震えて弱っていたけれど、握り返した手はぎゅっと力強かった。僕は師匠に握ってもらった手を思い出した。
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