【1月23日】2.1色ボールペン

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【1月23日】2.1色ボールペン

 文房具屋さんに来ると意味もなくモノをひとつ買ってしまう。別に消しゴムに限ったことではない、むしろ、消しゴムを買うことはほとんどない。  それは時にはメモ帳だったり、ボールペンだったり、付箋だったりする。絶対使い道のないブロックメモを買ったこともある。三枚くらい、落書きをして以来使っていない。  近所の商店街裏、老夫婦が暇つぶしくらいにやっているんだろうな、お店の名前もわからない文房具屋がある。赤い幌のついた店先をくぐると自動ドアでもない、ベルのついたサッシの扉をくぐる。中は濃い緑色の床とくすんだ白い天井、寒々しい蛍光灯の光がちかちか明滅している。ここは昔、見つけてから、私のひそかなお気に入りの場所だ。ここはいつも誰もいないから不思議と落ち着くことができる。お店の奥のレジには店主のおばあちゃんがいて、黒いエプロン姿でカウンターの奥に座り、いつもハードカバーの本を読んでいる。私と目が合うと、にこっと笑って会釈をしてくれる。私もいつもそうする。  今日は、ピンク色のクリア樹脂で作られたボールペンが目にとまった。赤と黒の0.5mm芯、それからシャープペンシル。  私はボールペンや筆記具を買う時、試し書きをいつも自分の左手の甲に書き込む。赤いボールペンで『赤』、黒いボールペンで『黒』と、ちいさく手の甲の端っこに書き込んだ。 「これください」 「はい。300円ね」  おばあちゃんに挨拶して、私はその日は大人しく家に帰った。それから部屋で紙袋をほどくと、中に入っているシャープペンシルの芯を抜き、自前のBの芯を2本入れて、それを手帳の端っこに引っ掛けておいた。 「あんたはボールペンの隣にくっついてる、シャーペンみたいなやつだよね」  クラスメイトの荻野さんが、いつものように私にちょっかいをかけてきた。荻野さんはライトブラウンに染めたショートヘアのよく似合う活発な女子で、クラスの中でも人気者だし、男子にもよくモテる。だけど、いつも休み時間になると私のところにやってきて、こうしてからかってくる。 「地味だし、髪も真っ黒だし。もっとオシャレすればいいのに、あたしがレクチャーしてあげよっか?」 「オシャレっていうのは、やって似合う人がやるんだよ」  私はボールペンのそばにくっついているシャープペンシルみたいな、印象の薄い、地味な女子でいい。  キラキラしたラメ入りのピンクマーカーみたいな荻野さんとはぜんぜん違うのだ。羨ましいと感じたり、あなたのようになりたいとは思わない。ただ、それぞれには収まるべき立ち位置と役割がある。そうなるべくしてなっているだけだ。 「あ、それ、新しいペンじゃない?」  と、荻野さんは私が昨日買ったばかりの、ピンク色の2色とシャーペンのボールペンを指差して言った。 「そうだよ、昨日買ったやつ」 「へー……なんか地味だね。2.1色ボールペンって、ちょっと使いにくくてあたし苦手」 「2.1色?」 「赤と黒で2色、シャーペンで0.1色ってことで。そもそも黒ボールペンとかぶってるし」  私がシャーペンなら、荻野さんは赤と黒、どっちもイケるタイプだな、と思った。ここに青を加えてもいい。緑はちょっと違うかな。 「あんまりたくさんペンを持ち歩くの、嫌いだから。一個でぜんぶできた方が便利だし」 「ふーん。ね、こういうのってどこで買ってるの? コンビニとか?」 「近所に、ちっちゃい文房具屋さんがあって……」 「ね、今度連れて行ってよ。あたしもそろそろ、新しいノートとか買わなくちゃだし」 「え、荻野さんは……街の大きなお店とかに行けばいいじゃない、そっちの方が品揃えだっていいし、みんなと行けて楽しいんじゃないの?」 「いいから、いいから。今日の放課後、どう? いいでしょ?」  結局、強引に荻野さんに背を押され、私は小さな文房具屋さんに彼女を連れてきた。家は反対方向のはずなのに、部活もバイトも忙しいはずなのに。 「へー、静かでいいね」  荻野さんはお店の雰囲気を邪魔しない程度の声量でつぶやいた。それから壁に並んでいるノートをひとつひとつ、吟味するように指でつまんでは開いてまた棚に戻しを繰り返した。  私はせっかくここまで来たので、なにか買おうと付箋やシャーペンの芯を眺めていた。すると、突然引き倒されそうな勢いでカーディガンの袖を引かれた。 「見てよ、これ」  荻野さんが興奮した様子で見せたのは、なんの変哲もない赤い表紙のノートだった。真ん中のページの端っこに、小さくメモが残してあった。  △を縦棒で二等分したマーク、相合傘だ。左側に『しおり』、右側に『あきら』。きっとここに来た誰かが落書きしていったのだろう。 「あたし、これ買おう」  荻野さんはにこにこ笑って言った。 「なんか趣味悪いね」 「そうかな? どうせ落書きだし、別にいいじゃない? そうだ、どうせならペンもなにか買おうかな。あんた選んでよ」 「なんで私が……」 「ここ、詳しいんでしょ? あたしに似合うようなペン、ひとつ選んでよ」  困った。  誰かにペンを選んであげるなんてやったことがない。どうしてこんなことに……だけど、悩んだ末に私は一本のペンを差し出した。 「荻野さんにはこれがいいと思うよ」  3色ボールペンだ。赤、黒、青。0.38mmの少し細めの芯、側は黒くて中身が透けないもの。シャープペンシルは、付いていない。 「理由」 「細いし、明るいから、こういう黒いアイテムを持ってるとシュッとしてかっこいいと思う。それに、青って荻野さんに似合うと思うし」 「わかってるじゃん、あたしのラッキーカラー、青なんだよ。でも、だからって青いペンを選んでこないあたりは、さすがって感じ」 「なにが『さすが』なんだか……」 「ありがと。早速、買ってくるね」 「あっ、私も一緒に……」  荻野さんはそのノートとペンを、私はA7サイズの小さなノートを買って、店を出た。 「楽しかった。また連れてきてよ、いいでしょ?」 「いいけど……なんで私なんかに構うの?」 「えっ、別にいいじゃない」  私はシャーペンで、あなたは3色ボールペンだ。地味で色のない私と、きらきらしてるあなた。  何もかも違うのにどうして? 「あたし、あんたのことわりと好きだよ」 「えっ」 「文房具とか、持ってるやつがなんでも可愛いから。そういうところ、憧れちゃう。いつもあんたと喋ってるとき、そういうところ、見てたからさ」 「あの、ありがとう……」 「じゃ、あたしバイトがあるから」  そう言って制服のスカートを翻しながら、荻野さんは走り去って行った。私も家に帰って、新しい小さなノートになにか書こうと考えた。  そうだ、荻野さんに似合うようなアイテムをとりあえず並べてみよう。次にいつ捕まってもいいように、そうしよう。
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