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【1月25日】ひび
私は時々、見えないはずのものが目に見える。
いろいろあるけれど、それらはだいたい、空中のどこかに空いた「ひび」のようなものの向こう側から現れる。
「ひび」の向こう側には、普通の景色が広がっているけれど、その向こうからなにか尋常ではないものがぬっと現れることがある。それは黒いもやもやだったり、犬や猫だったりする。そしてどこかへふらふら出かけて行ったり、その場で霧消してしまったりする。
小さい頃から私には「ひび」が見えていたけれど、それがなんなのかはよくわからなかったし、人に説明しても誰も何もわかってくれなかったから、そのうち自分でもぜんぜん気にしないようになっていった。うちの母親なんか、「あんた、昔は『そこに変なのがいる! 変なの!』っていつも喚いてた変な子だったわよねえ」とか言い始めた。この人は私のことをなんにもわかっていないんだなあと思ったから、それ以来あまり母親とは喋っていない。
私は私ですっかり「ひび」の入った日常にも慣れてしまった。「あーなんかいるなあ」みたいな。
今日、いま、目の前にもそれがいた。
通学路として、川をまたぐ巨大な鉄橋が架かっている。その手すりのあたりの空間に「ひび」が入っていて、そこから髪の長い小さな女の子がぬっと出ていた。
上半身だけを飛び出させて、橋の下の川をじっと見ている。橋の上は風が強く吹いていて、長い髪が複雑に乱れていた。
人間を見るのは珍しいことじゃないが、こんなにきれいな状態で出てくるのは珍しい。大抵は血みどろだったり、ノイズやモヤがかかったような奇妙な状態で現れるからだ。
私は関わらないように無視して歩いていこうとした。ところが、隣を通り過ぎようとしたとき、ちらっと、その女の子の方を見てしまったのだ。魔がさしたとしか言いようがない。それでバッチリその子と目があってしまったのだ。
「こんにちは!」
小さな女の子が元気いっぱいに挨拶した。私は無視するにできなくなってしまい、しぶしぶ立ち止まった。
「こんにちは。ここで何しているの?」
「えっとね、景色見てる」
女の子は「ひび」から上半身だけをのぞかせて、肘をその境目につき、ゆったりとリラックスした姿勢で居た。
「おねえちゃん、あたしが見えるんだ、珍しいね」
「そうかな」
「そうだよ、目が合った人には挨拶してるけど、誰も返事してくれないもん。だからあたしのことが見えてないんだと思ってた」
「そうじゃなくて、無視してるんだと思うよ」
「ふーん」
たぶん分かってない。
この子は見た目相応の年齢のようだ。
「どうしてここに居るの?」
「うーん、ここから離れられないから。あたし脚がないの。むかしここで車に轢かれちゃって、トラックに。で、身体がすぱーんって真っ二つになったの。それで、お腹から上だけずっとここにいるの。脚はどっかいっちゃった」
「そうなんだ」
別に聞きたくて聞いてるわけじゃないし、結構グロめのシーンを想像してしまってげんなりした。ともかくこの子は交通事故で死んだ幽霊のようだ。
「あたし喬子。おねえちゃん、お名前は?」
「千佳」
「千佳おねえちゃんね、ねえ、お喋りしようよ。ずっとここに居ると退屈なの」
「まあ、別にいいよ」
「おねえちゃん、中学生なの? セーラー服って、かっこよくて素敵だね」
それから喬子といくらか話をした。喬子は幽霊とは思えない快活さとハイテンションでもって、捲し立てるように自分のことを語り続けた。ついでに私は別に聞きたくもなかった事故のこともかなり詳細に話してくれた。まるでディズニーランドに行ったことを自慢するみたいな雰囲気だ。この子にとっては遠い思い出かもしれないが、私にとってはただの怖い話だ。
「でも、おねえちゃんが来てくれてよかった」
喬子は笑いながらそういった。
「ずっとここで一人でいて退屈だったの。だれも遊びにこないし」
「だれも?」
「うん、だからずっと景色を見てるしかやることがなくて、ほんとうは誰かとおしゃべりしたかったのに。でもおねえちゃんが来てくれたからよかった」
「そっか」
橋の上から夕日が沈んでいくのを見送り、辺りが暗くなってきた頃、喬子はおおきくあくびをした。話し疲れてしまったのだろうか。
「そろそろ帰るね」
「うん、ばいばい、千佳おねえちゃん。また来てね」
「うん。おやすみなさい」
今も時々、私は喬子のところに会いにいく。喬子はずっと姿が変わらない、当然幽霊だから、それはそうなんだろうけど。
私はもうすぐ中学校を卒業する。
せっかくだから、古い私のセーラー服は喬子にプレゼントしようと思う。サイズは違うし、喬子はスカートは履けないかもしれないけど、それでもあげようと思った。
きっと喜んでくれるだろう。
ついでにきれいな花束も買ってあげよう。この間ちょうど、駅の裏手に新しい花屋ができていたのを思い出した。そこでいいのを見繕ってあげよう。
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