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【1月27日】白いドレスの
いつも駅で、お人形みたいなおしゃれな女の子を見る。ものすごく背が小さくて、たぶん小学校低学年くらい。髪はいつもまとめているけど、たぶん解いて下ろしたらかなり長いだろう。真っ黒でつやつやの髪だ。
そしてドレスを着ている。
東京のど真ん中でハロウィンでもないのにドレスを着ている。白くて、緑と青のアクセントが所々に入ったドレス。そしてオペラグローブというのだろうか、肘まで覆うほどの白い手袋をつけていて、手の甲には赤い宝石のようなものが付いている。
それで帽子を頭の上に載せている。白くて、丸い煙突が乗っかっているみたいな帽子だ。シルクハット……とは違うだろうけど、フォルムはだいぶ近い。筒の部分に黒いリボンを巻きつけて、蝶結びにしている。
足元はぺたんとした焦茶のローファーで、歩くたびにカツカツ、ペタペタという音がする。
ポケットから定期券を取り出して改札にタッチさせ、小走りにホームへと走っていく。周囲に親御さんの姿はなく、いつもひとりで電車に乗っている。
そんな子だ。
変な子だし、いつも同じ電車に乗っている意味、目立つし、何よりとても可愛らしいので、私はその子を見かけるとちょっとラッキーな気持ちになっていた。だけど乗る電車が別なので、その子がどこにいてどこに向かうのかはよく分からないままだった。
そんなある日のこと、バイトを終えて帰る途中だった私は、急に友だちから誘われて合コンに参加させられた。人数合わせに必要なのだそうだ。正直まったく気乗りしないし、なにが悲しくて野郎の顔を見ながら食事などしなければならないのか。合コンに来る男、来る女なんてのはつまりそういう人種で、居るだけで気疲れする。だけどお店の雰囲気は良かったし、バイト代がわりに食費はゼロだったのでまあよしとしよう。
そそくさと抜けてきたつもりだったが、もう22時になってしまっていた。明日はバイトが休みだし、ちょうどいいから帰って寝ようと思いながら、スマホで帰りの路線を検索した。
自宅からはそこそこ離れた、使ったことのない駅のホームに降りると、そこにあの、白いドレスの女の子がいた。夜遅いのにじっとひとりでホームに立って電車を待っている。スマホで漫画を読んだり、なにか飲み物を口にしたりすることも特にない。
他の利用者たちは、心なしかみんなこの子を遠巻きにして、近寄らないようにしているような感じがした。その子はちっとも気にしていない様子で、ある意味、毅然とした態度でそこにただ、立っていた。
私はその子のすぐ後ろに並んで電車を待つことにした。まとめ上げた髪は、とても人間がひとりでできるとは思えないほど複雑に編み込まれていた。たぶん、親が誰かがやっているのだろうな。スカートは引きずるほど裾が長く、靴がかろうじて見えるくらいだ。そして、ちょっと距離を置いてもわかるくらい、甘い香りがする。砂糖みたいな甘い香り。この子の匂いだろうか?
やがて電車はやかましい音を立ててホームに滑り込んできた。中はガラガラだ。女の子はゆったりとした所作で乗り込むと、空いている席に腰をおろした。つまさきがぶらぶらと揺れる。私はその斜向かいくらいの席に座った。他の乗客はくすくす笑ったりしながら、でもその子の近くには行こうとしない。
電車が走り出した。私の最寄りまでは3駅ある。女の子は座って少しリラックスしたように見えた。肩がすっとおりて、ぼんやりと、向かいの窓から見える景色を眺めているようだった。
この子はどこに行くんだろう?
自宅の最寄り駅を通過した。気になった私は、その子が降りる駅までついていくことにした。小さい子が夜遅くにひとりでいるのは危ないし、と、都合の良い理由を自分の中ででっちあげた。
路線は郊外から伸びて行って、隣との県境まで進んでいく。終点まで向かう頃にはたぶん、日付を跨いでいるだろう。
ところが、何分経ってもその子は立ち上がり、降りる素振りを見せない。どんどん車窓の外の灯りが消えていく。見知らぬ土地へと向かっていく恐怖心に私はだんだん心細くなってきた。このままどこへ向かうのだろうか? 気がつくと車両の他の客はいなくなり、私とその子しか乗っていなかった。外は田園か、畑が広がっているのだろうか、真っ暗でなにも見えない。
この子は、いつもこんな遠くから、何のために電車に乗ってくるのだろうか。やがて名前も知らない駅に電車が止まり、ドアが開いた。乗り込んでくる客はひとりもいない。
私は恐怖心に負けそうになったが、我慢して席に座り続けた。時々見ていたスマホは、充電切れで画面が真っ暗になりなにも映らない。一駅、また一駅と止まるたびに、次にこの子が降りなかったら降りよう、そう決心しては決意に負けた。
腕時計を見るともう23時半だ。このまま行くとたぶん帰れなくなってしまうのではないか、とも思ったが、逆にそれを考えて踏ん切りがついた気がした。ここまで来たら絶対にあの子のことを追いかけてやる。
そして、とうとう電車は終点の駅へと到着した。駅舎は古く、周囲には閑散とした背の低いビルがいくつか並ぶ、田舎のような町だった。
女の子は電車が止まり、ドアが開くと立ち上がってそそくさとホームへ降りて行った。私もそれについていく。ホームは暗く、改札は無人だった。女の子が改札にパスをタッチして通った後に続いて私もそれをくぐった。けっこう馬鹿にならない電車賃がかかったけれど、そんなことはもうどうでも良い。
駅前にはロータリーがあり、深夜の利用客を狙ったタクシーが屯している。外灯は少なく、見通しが悪い。そんな中でも、女の子の真っ白なドレス姿はよく目立った。スカートの裾を揺らしながらゆったりと歩いていく姿は優雅としか言いようがなかった。まるで別世界に迷い込んだかのようだ。私が、ではなく、あの子がだ。
なるだけ怪しまれないように距離をとってついていく。ひと気のない道まで来ると女の子は角を曲がった。私も同じように角を曲がろうとすると、そこでばったりと女の子と目があった。曲がったすぐそこで私を待ち構えていたのだ。コンクリートの塀があったので、背が低いその子の存在に気がつかなかった。その子はじっと私のことを見ていた。私はなにか言い訳をしなければと思いながら、ええっと、ええっとと言葉にならない声を出し続けていた。すると、唐突にその子が言った。
「今日のことは内緒にしてください」
「え?」
「私を見たこととか、私がどの駅で降りるのかとか、誰にも喋らないでください。約束してくれますか?」
「あ、うん……いいけど」
「ありがとうございます。それじゃあ、ちょっと耳を貸してください」
手招きに応じて私が膝をかがめると、ちゅ、という可愛らしい音が、耳からではなく、私の頬から聞こえてきた。
「これで、約束ですからね」
私が表情を伺う前に、その子は歩いて闇の中へと消えて行ってしまった。
結局私は、その日は終電を逃し、カラオケを借りて仮眠をとり、次の日の始発で帰った。
あの日以来も、よく最寄りの駅であの子の姿を見る。相変わらずの白いドレス姿だ。そしてお互いにアイコンタクトを交わす。いつもその子は、しーっ、という感じで人差し指を口の前に立てるので、私は自分の指で、キスをもらった右の頬をつんつんと叩く。
結局、あの子の正体は掴めないままだ。
いつか知りたいような、そんな気もする。
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