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【1月3日】初夢
年始早々風邪をひいた。たぶんインフルエンザなんじゃないかってくらいひどい風邪だった。せっかく親戚が集まっているというのに、おせちは食べられないし、初売りにも初詣にも行けない。私は1月2日の朝を、初夢を見ることもなく、うんうんと魘されたままで迎えてしまった。
だが薬を飲んでおとなしくしていたらわりとはやく治ってきたので、1月2日の夜にはだいぶ落ち着いていた。食事も喉を通り始めた。
「こりゃ明日の朝にはだいぶ良くなってるな」
などと独り言を呟いて布団に潜り込み、私は眠りについた。
「今日こそ良い初夢が見られますように」
◯
気が付くと私は巨大なリサイクルショップのような場所にいた。
「なんだここ」
高さ五メートルくらいの白い陳列棚が、ずらりと並んでいる。だけど商品や荷物らしきものは何もなく、寒々しい雰囲気だった。天井は鉄骨トラスが剥き出しになった倉庫のような造りで、寒々しい白い照明が店内を照らしている。
少し肌寒い。周りにはものがいっぱいでごみごみしているけれど、ここは雪山の中にいるような、透き通った匂いがする。
これが夢だとは思わなかったけれど、現実の場所ではないんだろうな、とは思った。
「いらっしゃいませ」
振り返ると店員らしき背の高い女の人がいた。ゆるくウェーブした茶髪に、モスグリーンの上着とタイツを身に着けていた。首から下げたストラップには、社員証らしい顔写真と名前がついていたが、あまりはっきりとは目にすることが出来なかった。
彼女はにこりと笑って私に言った。
「なにかお探しですか?」
「あの……」私は周りのやたら背の高い陳列棚を見上げながら、「ここはいったい何を扱っているお店なんでしょうか?」
「では、店内をご案内しますね。ついて来て下さい」
彼女はくるりと振り返ると、軍靴のような厚底のブーツをコンクリートの床に打ち付けながら歩き始めた。私も遅れてついていく。コンクリートの床には、黄色や緑の直線が、通路とは関係のない方向に描かれている。ほんとうに、元は何かの倉庫だったのかもしれない。時どき青いチョークのような矢印、○の上に×を書いたような記号が残っている。
「お客様。まずは、洋服のコーナーへご案内いたします」
「洋服?」
「ええ、少し肌寒そうでいらっしゃいますから」
見ると、私はピンクのチェック柄のパジャマに身を包んだまま、そして裸足のままだった。妙に肌寒いと思ったらそう言うことか。
彼女の案内通りに洋服のコーナーへとたどり着いた。さっき見たのと同じような陳列棚いっぱいに、いろいろな洋服が並んでいる。スタッフの女性はどこからかキャスター式の脚立を運んでくると、手早くいくつかの洋服を選んで持ってきてくれた。
「お客様なら、これなどお似合いだと思いますよ」
それはちょっと子どもっぽいデザインのスカートとベストだった。アイドルの衣装みたいな、黒い上着と赤いリボン、タータン・チェックの短いスカート。チョコレート色のローファーに、白いソックス。これでもかというくらいのコーディネートだった。
「あ、かわいい……」
「そう思われるだろうと思いました」
だけど私は身体にあてがって見て、
「あれ? だけど、サイズがちょっと小さいかも。入るかな」
「よろしければ、試着なさいますか?」
と、これまたおあつらえ向きに用意されていた試着室に入った。
「鏡がないなんて。変なの」
ふつう試着室には鏡をつけておくものだと思うが。
ともあれ私はパジャマを脱ぎ捨て、服を着て、靴を履いた。小さいかと思っていたら、意外とぴったり入った。
「お待たせしました」
「とても良くお似合いですよ。では、次は家具売り場にご案内いたします」
「家具?」
「よろしければ、そちらは着たままでどうぞ」
家具売り場にはどこかで見たことあるような家具がずらりと並んでいた。小学生向けの勉強机、ところどころ日焼けした洋服箪笥。本棚。ベッド。クッション。ソファ。
「これなんか可愛い」
私は小さな丸いクッションを選んだ。「C」の字のようなかなり高反発のクッション。緑色の表面はちょっとくすんでいるけれど、花のような香りがした。
「そちらにいたしますか?」
「うん。手ごろな大きさだし。こういうの、最近また欲しかったんだ」
「よろしければ、こちらのカートをお使いください」
また、彼女はどこからか持って来たショッピングカートを私に寄越してくれた。
「次は古本売り場へご案内いたします」
「古本?」
「ええ、比較的保存状態の良いものが揃っておりますよ」
言われたとおりの古本売り場へやってくると、「本の匂い」がぶわっと身体にまとわりついた。
「うわあ、いい匂い」
さっきまでと同じ陳列棚に、ずらりと本が並んでいる。まるでここだけ図書館になったみたいだ。
「本の匂いって大好き。小さい頃はよく図書館に遊びに行ってたなあ」
「そうでいらっしゃいましたか」
「ね、絵本はある? 絵本が欲しいな」
「絵本はこちらでございます」
案内された場所にキャスター付きの脚立を運び、私は上の段の陳列棚へと昇って行った。
「なつかしい絵本ばっかり」
と、その中にひとつ、いちだんと思い出に残っている絵本の表紙が目に入ってきた。
「『すてきな三にんぐみ』だ! 私、この絵本が大好きだったの」
青と黒の表紙。女の子なんだからもっと可愛い絵本を読みなさいとお母さんに言われたこともあるけれど、小さい頃はこの絵本を毎日のように読んでいた。部屋の電気を消してからも、小さな電球の明かりを頼りに、夜更かししてこっそりと読んでいた。
「これを買おうかな」
と、脚立を降りてきて絵本をカートに入れた時、私は気が付いた。
「なんだか、このカート、大きくなってない?」
さっきよりもカゴの位置が高くなっている気がする。
いや、カートだけじゃない。陳列棚も、さっきより大きくなっている気がする。それに天井も高くなっているような……
「それでは、次はこちらの売り場にご案内いたしますね」
そう言って歩き出す彼女も、また、大きくなっているような気がした。
「もしかして、周りが大きくなっているんじゃなくて……」
「最後はこちらです。おもちゃ売り場でございます」
おもちゃ売り場。
透明な衣装ケースや、プラスチックの籠に入れられた様々なおもちゃ――魔法少女の変身アイテム、ぬいぐるみ、着せ替え人形、テディベア、ゲーム機……所狭しと並んでいるけれど、ここまでくれば私は、さすがに気が付いてきた。
「どれも、見たことがある」
私の身体が小さくなっている。
この洋服は私が小さいころに買ってもらった服。
このクッションは小さいころに家にあったクッション。
この『すてきな三にんぐみ』は小さいころに好きだった絵本。
このおもちゃたちは、小さいころにうちに会ったおもちゃ。
「おねえさん、だれ?」
だんだん小さくなっていく私の身体。
これは、このお店に並べられているのは、小さいころに私が夢中だったもの。
そして、今はどういうわけか、手元には残っていないものたちだ。
「あなたのことを忘れたことはありませんよ」
お姉さんの顔は、よく見ると、目が不自然なほど大きかった。
ようやく思い出した。
それは私が、人生で一番最初の誕生日プレゼントにもらったはずの、女の子のお人形。私も、アルバムの中の写真でしか見たことがない。だけど、確かに見覚えのある姿だった。
「どうして私の夢の中に?」
「あなたがとてもおつらそうなので」
「確かに風邪ですごくつらいけど」
はっとした。
「まさか、これは……走馬灯?」
「そんなことないですよ。だけど、たまには私たちのことを思い出してほしかっただけ。こうしてこっそりと、あなたの夢の中にお邪魔してしまいました」
「なつかしい」
私は私よりもずっと背の高い人形のおねえさんと握手をした。
「でも、なつかしいと思うってことは、今まであなた達のことを忘れていたってことだよね。ごめんなさい」
「謝ることではありませんよ。普通のことです。子どもの頃のことを忘れていくのは」
人形のお姉さんはぎしっと膝を軋ませてかがみこんだ。
「あなたのことが好きだったんです。小さいころから、ずっと、ずっと。あなたが毎日大きくなっていくのを見ていました。私のことを手に取って、時どき投げたり、叩いたりするのも、ぜんぶが愛らしかった。いっぱい遊んでもらえて、私は幸せ者ですよ。ここにあるものは、みんなそう。あなたに触ってもらえて、感謝しています」
「覚えてる。まだ赤ちゃんだった頃、お人形で遊んでいたの……でも、あなたはどこへ行ってしまったの?」
「それは……私も覚えていないんです。記憶があやふやで」
「うそ。隠さないで教えてよ」
すると、突然お店の白い照明がアンバーに変わった。荘厳な「蛍の光」が流れ出す。
「そろそろ閉店のお時間ですね」
「閉店?」
「あなたが眠りから覚めようとしているということです。さあ、出口はあちらですよ」
通路を真っ直ぐすすんだ向こう側に、白く光る出口が見えた。
「ひとつ覚えていてください。私たちはみんな、あなたのことが大好きなんです。今は捨てられたり、売られたり、どこかへ置き去りにされたりしてしまった私たちですが、みんなあなたのことを愛しています。なぜなら、一度でも、あなたに愛された私たちだから」
いつの間にか私は元通りの身長になって、元通りのピンクのパジャマに戻っていた。
人形のお姉さんは私のおでこにかかった前髪を手で押さえあげると、そこにちゅ、と軽くキスをしてくれた。
「熱が下がりますように。おまじないです」
「そうだ、あなた、魔法使いのお人形だった」
「さあ、早く行って」
「ありがとう、お姉さん。ありがとう、みんな」
目が覚めた時、体調はすっかり良くなっていた。熱は完全によくなっていて、咳も出ない。ほとんど完治だ。
「お母さん、私が小さいころに遊んでたお人形、どこに行ったか知ってる?」
と、お雑煮を食べながら尋ねてみると、
「あんたがどっかにやっちゃったんでしょ?」
そう言われるだけだった。
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