【1月7日】近藤先輩とわたし ~七福神とチタタㇷ゚編~

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【1月7日】近藤先輩とわたし ~七福神とチタタㇷ゚編~

 新年を迎えて一週間が経つころ、ようやくわたしは近藤先輩に挨拶のラインを送ることにした。一応、去年はなんだかんだお世話になったし、こういうのは形だけでも大切にするべきだろう。 みすみー 「先輩、あけましておめでとうございます」 みすみー 「(スタンプ)」 みすみー 「今年もよろしくお願いします」 近藤つかさ 「おめでとう」 近藤つかさ 「新年の挨拶なんて、律儀ね」 みすみー 「なんかお世話になったので」 みすみー 「去年は」 近藤つかさ 「今年は飛躍の年になると良いわね」 近藤つかさ 「(スタンプ)」 みすみー 「うわ」 みすみー 「先輩スタンプとか使うんですね」 近藤つかさ 「?」 近藤つかさ 「なにか問題が?」 みすみー 「別に笑」 みすみー 「なんか意外だっただけです」 近藤つかさ 「そういえばそろそろ7日ね」 近藤つかさ 「シラタキさん、七草粥の用意はできている?」 みすみー 「白滝(しろたき)です」 みすみー 「七草粥って聞いたことはあるけど、食べたことはないんですよね」 みすみー 「なんで七草なんですかね?」  急に電話がかかってきた。  近藤先輩からだ。 『シラタキさん』 「白滝(しろたき)です」 『シラタキさん。あなた、七草粥を食べたことがないのね? なんてかわいそう。もったいないわ。そんな人生を二十年近く送ってきたことを後悔しなさい』 「そこまで言います!?」 『まあいいわ。私はね、ちょうど七草粥の材料を買い揃えたところだったのよ。だけど、少し多いかと思っていたところでね、ちょうどいいタイミング、渡りに船とはこう言うことよ。新年早々、幸先がいいわねシラタキさん』  先輩はメッセージを送ってよこした。どこかの住所のようだった。 『私のマンションの住所よ。いい機会だし、七草粥を一緒に作りましょう。6日の17時に集合よ。持ち物は特に無し、いいわね』  ぶつっと通話が乱暴に切られた。  相変わらずのマイペース、唯我独尊ぶりに呆れるしかない。先輩は新年早々、絶好調だ。 「まあ、確かにいい機会かもしれない」  春の七草。  せり、なずな、ゴギョウ、はこべら、ホトケノザ、すずな、スズシロ。  並べて言うことはできても、食べたことも、いや、なんなら食べたこともないこの七つの草を、食べるいい機会だ。 「持ち物は特に無し、って言ってたよね」私は早速準備に取り掛かった。「でも、どうして前日の夕方に集合なんだろう?」      ◯  近藤つかさ。心理学部の三回生。長い黒髪の似合う美人で、頭もいい。だけど、ものすごい変人だということで有名だった。経済学部の一回生であるわたし、白滝(しろたき)美純(みすみ)は、ひょんな出来事からこの先輩に目を付けられ、一緒にいることが多くなっている。  主にわたしが先輩に振り回されるパターンが多いのだが、この人は確かに賢くて、それに美人なので、決して悪い気はしない。  かくして今回も、そんな先輩にわたしは振り回されることになったのだ。  そして迎えた1月6日、午後16時半。持ち物はなし、と言われたけれど、いちおう飲み物や差し入れのお菓子などを適当に買って、先輩の住むマンションへとたどり着いた。十七階建て、駅まで徒歩五分と、都内にしては最高過ぎる立地。玄関はオートロック、エレベーターも完備。先輩は、このどでかいマンションの十一階に住んでいるという。  呼び鈴で部屋番号をコールすると、すぐに先輩が出た。 『はい』 「白滝です」 『どうぞ、入ってちょうだい』  うぃーんと静かに自動ドアが開いた。  アンバーの照明がやわらかく灯り、来客用の小さな丸テーブルとソファが設えてある。 「まるでホテルみたいだ」  エレベーターで十一階に降りると、ワインレッドの絨毯、間接照明の仄かな光がわたしの目に飛び込んできた。とても大学生のひとり暮らしとは思えない。とんでもない高級住宅だ。  部屋の前にやって来てインターホンを鳴らす。 「いらっしゃい」  静かに扉が開く。  近藤先輩は寝間着姿だった。青いストライプの柄の入った、色の少し褪せたパジャマの上に、朱色と黄色で鮮やかに彩られたどてらのような和服を羽織っていた。 「お邪魔します」 「狭いけど、まあ、入ってちょうだい」  1Kの、実に地味な部屋。  玄関を入って右手にはバスルーム、左手にはシンク。奥の部屋にはベッドがひとつ、大きめのテレビ。半開きになったクローゼットの中には、洋服……ではなく、びっしりと本棚が詰まっていた。一部の隙間もなく本が埋め込まれ、本棚の上や下にも平積みにされているものが何冊もあった。 「すごい、いいマンションですね。びっくりしました」 「適当に座っていて。用意をするから、その辺のクッションとかも適当に使っていいわよ」  とりあえずわたしは深草色の四角いクッションにお尻を乗せて、適当に本棚を眺めていた。心理学科の先輩らしく、心理学のテキストがたくさん並んでいる。それだけではなく『ハリー・ポッター』シリーズが全巻並んでいたり、村上春樹や原田マハといった流行りっぽい小説、『探偵ガリレオ』シリーズ。太宰治、芥川龍之介のような古典から海外のSF、『シャーロック・ホームズ』シリーズ、『失われた時を求めて』、『モンテ・クリスト伯』など……意外だったのは漫画がたくさん並んでいたことだ。先輩はこういうのを読まないと思っていた。『フルーツバスケット』『満月をさがして』『ローゼンメイデン』のような少女漫画や、『宝石の国』『刻刻』『BLAME!』『おやすみプンプン』『鉄コン筋クリート』など……ジャンルはバラバラだけど、とにかくいっぱい並んでいる。 「人の本棚をじろじろ見るのはあんまりいい趣味じゃないわよ」  近藤先輩が持って来たのは、無骨な木のまな板と包丁をふたつ。それをテーブルの上に乗せると、次々に台所から小皿に乗せられた野草を持って来た。それらは、全部で七つ…… 「もしかして、これが春の七草ですか?」 「その通りよ」  先輩はそれぞれをずらりと円形になるように並べて、ひとつひとつ指さして解説していった。 「まず、これが『セリ』。ちょっと独特の香りがするけれど、割と簡単に取れる山菜よ」 「確かに、ちょっと独特な香りが……」 「次に、これが『ナズナ』。いわゆるぺんぺん草のことね」 「へえ。ぺんぺん草のことなんですね」 「で、『ゴギョウ』。ハハコグサとも言うわ。その茎の部分よ」 「見たことがあるような、ないような……」 「だいたいが野草だから、川沿いや畑、水田なんかで簡単に見ることができるわ」 「へえ」 「『ハコベラ』。通称ハコベね。これもその辺の芝生なんかに紛れて自生していることがあるわ」 「その辺から取ってきたってことですか?」 「ちゃんと安全なものを選んでいるから安心しなさい」 「否定しないんですね……」 「『ホトケノザ』。だけど、これはホトケノザではないわ」 「え?」 「春の七草でいうホトケノザとは、『タビラコ』という別の植物なの。『ホトケノザ』という植物は、それはそれで実在するのだけれど、それは春の七草ではないわ。この辺は間違えやすいから注意が必要ね」 「紛らわしい」 「一説には、七草粥は平安時代からある食文化らしく、『枕草子』にもそれらしい記述があるらしいわ。だから、古い名前や日本語が、現在の言葉と混じり合ってしまっているのでしょうね」 「へえ……」 「これが『スズナ』よ」 「これは……カブじゃないですか?」 「そう。スズナはカブのことよ。簡単に手に入るし、家庭菜園でも育てられるわ」 「紛らわしい。カブでいいのに」 「最後が『スズシロ』。これも見ての通り……」 「大根……ですね」 「これは白い部分も、葉っぱもまとめて食べるわ。カブも同様よ」 「なるほど」 「以上が、春の七草と呼ばれている七つの野菜ね。最近だとスーパーで、七つセットになったパックがたたき売りされていたりするから、来年以降はそれを探してみるのもよいと思うわ」  メンバー紹介が終わると、先輩はまな板をおもむろに取り出し、スマートフォンで素早くアラームをセットした。現在の時刻は、午後5時50分ほど。 「さて、シラタキさん」 「白滝ですけどね」 「これから私たちは、さっそく七草粥を作るための準備に移るわけだけれど」 「今からですか? でも7日に食べるものなんじゃ」 「そうよ?」 「え?」  今は1月6日だ。 「なるほど、今から作って、明日の朝まで取っておくと」 「違うわシラタキさん」 「白滝です」 「七草粥というのは、すぐに出来るものじゃないわ」 「そうなんですか? どれくらいかかるんです?」 「13時間くらいかしら」  はあ? 「13時間もかけておかゆを作るんです?」 「本来はそういうものなのよ。せっかくだし形式に則ってやってみましょうと言ったじゃない」 「いやいや。わたし帰ります」 「あ?」 「すみません」  近藤先輩はこほん、と咳払いをした。 「もちろん、地域や時代によって諸説あるけれど、一般に七草粥というのは、前日――つまり1月6日の午後6時から作り始めるのが、本来の作法なのよ。だけど、13時間も働きっぱなしというわけじゃないから安心して、端々に休憩時間があるわ」 「どういうことなんです?」 「では、さっそくやってみましょう」       ○  午後6時。 「最初のひとつがコレよ」  と、先輩はおもむろにセリをまな板の上に乗せた。その後、包丁を手に取って、峰のほうでまな板を軽く叩く。トン、トン、トン……と、合計7回。そして今度は包丁の背の部分を使って、セリを叩き始めた。 「七草(ななくさ)なずな、唐土(とうど)(とり)が、日本(にほん)(くに)へ、(わた)らぬ(さき)に、ストトントン、ストトントン……」  とん、とん、とんとん。 「これを二時間おきに、七回繰り返すのよ」 「さっきの歌は?」 「今のは『七草歌』といって、これを歌いながらリズムに合わせて野菜を叩いて刻んでいくの。シラタキさん、あなたもやってみなさい」  あれよの間に先輩の隣に座り、もう一本の包丁を握らされた。  先輩のほうからなんだかすごくいい匂いがする。若草の匂いというか…… 「まず、包丁の背でまな板を七回叩く」  とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん。 「では七草を刻んでみましょう。歌詞はスマホの画面を見ながら」  ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにへ  わたらぬうちに  ストトントン  ストトントン  ………… 「なんか、アレみたいですね。この間、何かアニメで見た……」 「『ゴールデンカムイ』?」 「そう。そこでもこういう感じで、まな板で何かを叩いてた」 「チタタㇷ゚ね。アイヌの伝統的な調理法。『我々が叩いたもの』という意味があるわ。あれは魚肉や、動物の肉が主だけど……」  先輩も一緒になって、セリを叩いていく。 「この歌も、地域によって歌詞に差異があったりするから、興味があれば調べてみなさい」 「はあ」 「……さあ、もういいでしょう。セリはこんなもので」  刻まれてくったくたになったセリを皿に移しながら、先輩はスマホのアラームをセットした。 「次は戌の刻、つまり午後8時にナズナを叩いてくわ。それまでは休憩」 「えっ、あと2時間近くもあるじゃないですか?」 「もしかしたら昔はずっと叩いていたのかもしれないけどね、さすがにそれはしんどいので、我々は時間になったら叩いていく方式にしましょう。それまで適当に過ごしていていいわよ」 「ええ――――」  急にそんなこと言われても。      ○ 「そもそも、なんで『七草粥』なんて食べるようになったんですかね。1月7日だから?」 「それは古代中国の風習が基であるという説があるわね」  近藤先輩はカレンダーを取り出し、絨毯の上にばっと乱暴に置いた。 「中国では古来、1月1日から順に、鶏、犬、イノシシ……と、動物や植物について占うという風習があったとされているわ。そして、その占いの日は、鶏や犬を大切にするという習慣があったの。その流れで、1月7日は人間を占う日とされていたのよ。だから、人間を大事にするという意味を込めて、七つの野草を入れた料理を食べることで、無病息災を祈ったとされているの」 「へえ。でもなんでこの七つの野草なんでしょう?」 「それも古代中国の伝承がもとになっているわ。――ある若者が、老いて衰えていく両親を見かねて、山中に入り修行をして、帝釈天へ教えを乞うたの。そうしたら、正月七日までに七つの野草を用意し、夜通し叩いて、翌日の朝に食べさせなさいという言葉を貰った。そうすると八千年は生きられるだろうと」 「八千年!」 「なんでも鵞鳥が実践していた食事らしいわ。若者が夜通し根を詰めて作ったそれらを食べさせると、たちまち両親は若返ったと。そういう話にちなんで、これらの野草がフィーチャーされているのよ」  先輩はものすごく真面目腐った顔でそんなことをすらすらと言うので、わたしはすっかり感心してしまった。 「物知りですね」 「一昨日調べたの」 「おととい!」 「七草粥の作り方は知っていたわ。おばあさまがそう言うのに厳しい方だったから。でも、ちゃんと由来を調べたことが無かったので、図書館の文献やインターネットを使ってそれらしい知識を片っ端から集めたの。それくらい普通のことよシラタキさん、大学生ならちゃんと知識を得る努力をしなさい」  なんでわたしは怒られているんだろう。  ピピリリリリ、ピピリリリリ。スマートフォンのアラームが鳴った。いつの間にか二時間も経っていたようだ。先輩と一緒にいると、いつも時間の感覚が狂わされる。 「では、次にナズナを叩きましょう」       ○  午後8時。  ナズナをまな板の上に乗せて、わたしたちは並んで座り、包丁の背でナズナを細かく叩いていく。  ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにへ  わたらぬうちに  ストトントン  ストトントン  …………  トントントントントントン。   包丁の音だけが部屋の中に響いていく。この作業をやっていると、奇妙な集中力が生まれてくる。最初のうちはうんざりするほど退屈な作業だが、慣れてみるとこの作業には終わりがない。これは二時間叩き続けてしまう気持ちも分かる。やらないけど。 「うん、こんなものでいいでしょう」 「くったくたですね」 「混ぜ合わせるのは最後の最後だから、それまでは器に小分けにしておいておくのよ」  言われたとおりに皿に分けて、ラップをして並べておく。 「次は10時になったら始めるわ」 「漫画読んでていいですか?」 「構わないけど、ちゃんと手を拭いてから触ってね」 「はあい」  シンクで手を洗い、ペーパータオルで水分を拭きとったあと、本棚を眺めて面白そうな漫画を物色する。きちんと帯まで巻かれてあるものがほとんどだ。先輩はこう見えて意外と几帳面なのかもしれない。 「なんかおすすめとかあります?」 「シラタキさんの趣味なんて興味ないから。オススメなんてないわ」 「いや、白滝ですから」 「最近だと『フルーツバスケット』がまた人気になってるみたいね。愛蔵版も出てるし、アニメもリメイクされたし」 「わたし、名前は知っているけれど、読んだことはないんですよね~」  本棚のほうを向いていたわたしの肩に、悪魔の如き力強さで両手が乗せられた。 「痛い痛い痛い! 肩から! 肩から木造建築みたいな音が!」 「シラタキさん、あなた、ほんとうに、今までの人生をどうやって生きてきたの? グソクムシでも眺めていたの?」 「いや、グソクムシたんは眺めてません……」 「読みなさい。老若男女を問わず、一度は触れておいて損はない作品よ」 「はあ……では、お言葉に甘えて……」  ぶっちゃけ、あんまり漫画を読んだことはない。少女漫画も例外ではない。アニメを見る事はあったけれど、自分でわざわざお金を出して買ったりはしていない。 「いい機会だし」  時間つぶしにはちょうどいいかもしれない。さっそく一巻を手に取ってみた。『フルーツバスケット』なんてタイトルからは、中味を想像できない。ずっと子どもと遊んでいる、ほのぼの交流漫画なのだろうか……       ○  午後10時。 「……………………………………………………」 「シラタキさん、そろそろゴギョウを叩くわよ」 「えっ!?」 「ずいぶん読み込んでいるけれど、もう時間だから」 「そ、そんな……!」  ようやく物語の筋が分かってきたところなのに! 「というか、もう夜10時なんですね」 「まだ折り返してもいないわよ。さあ、叩きましょう」  トントントントントントントン。  ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにへ  わたらぬうちに  ストトントン  ストトントン  ………… 「先輩も少女漫画とか読むんですねえ」 「なにか問題が?」 「いや、意外だっただけです。思ったよりちゃんとした少女漫画で面白かったです。主人公のハッピーさにはあまり共感できないけど」 「漫画はキャラクターに共感して読むものじゃないわ。それは漫画ではなくて精神的インフラよ」 「インフラ?」 「経済活動を活発にするために、意図的に読者や受け手に共感を促すために作られたものという意味合いね。例えば有名人を意味もなく起用しているCMとか、大御所俳優をカメオ出演させる映画、声優ではなく映画監督や、本職ではない俳優を起用したアニメーション映画など……それらは経済活動としての側面が活発に出ていて、芸術性や作品そのもののクオリティは二の次になることが多いのよ。そして、そういう短絡的な消費こそが現代社会では理にかなっているし、実際に成果を上げているから、世の中に蔓延しているのよ」 「確かに、俳優が声の出演してるアニメ多いですよね。みんなヘッタクソですけど」 「だけど、映画を見てその出来栄えで売り上げが決まるわけじゃないわ。映画は見る前にお金を払うシステムだからね。漫画もそう、読んでから値段を決めるのではなく、定価を支払ってから中身を見る。いっけん歪だけど、確実に利益が出るから、経済的には理にかなっているシステムなのよ。となれば問題は、いかに衆目を集めるか……」  トントントントントントントントントントントントントントントントントントントン。 「今回のアニメ化もその側面が強いでしょうね」 「経済的に理にかなってるってことですか?」 「『フルーツバスケット』は2001年に一度アニメ化されていて、ファンの間では語り草なのよ。『もっとも読まれている少女漫画』としてギネスブックにも載ったほどの名作、それを約20年越しに再びアニメ化となれば、話題を集めないわけがないでしょう?」 「確かに」 「最近、古いアニメや漫画のリメイクが増えているけれど、そう言った側面も大いにあると思うわ。悪いこととは言わないけれど、相応のクオリティやファンの期待値を満たしている作品が果して全体のうち何割くらい残っているのか……それは疑問ね」  近藤先輩が真面目くさった顔でアニメや漫画のことを話しているので、わたしは笑いをこらえるのに必死だった。そのエネルギーを、ゴギョウを叩くことに費やした。 「さて、そろそろ夜も遅くなってきたわね。なにかのむ?」 「いいんですか」 「ええ、叔父のところからいいものが届いたのよ」  と、先輩はキッチンの冷蔵庫……ではなく、その隣の戸棚から、大きな瓶を取り出した。  これは……! 「余市……ウィスキーですか?」 「高級品をね、たまたま頂いたんですって。でも叔父は下戸だから、私に譲ってくれたのよ、どう?」 「いやいや」  いまお酒を飲んでしまったら確実に寝てしまう。 「わたしはソフドリで良いです」 「そう? まあ、私もそんな急には飲まないから、欲しくなったらどうぞ」  すると先輩は今度こそ冷蔵庫を開け、わたしのためと思しき緑茶のペットボトルと紙コップをまず寄越した。その後、冷蔵庫の中から小さなグラスと金属のトングを取り出し、慎重に製氷機の中の氷をつまんで移していく。 「え、余市をロックで!?」 「家で呑むときはこれが一番なのよ」  なみなみと注がれた余市のロックグラス。  もうもうと白い湯気が立ち上っている。先輩は緑茶の注がれたわたしの紙コップに冷たいグラスを軽く触れさせた。乾杯のつもりだろうか。そしてバレエダンサーのような、一部の隙もない所作で口に余市を運んだ。 「うん……なかなかね。おいしい」  眉一つ動かさず、けろりとした顔つきで先輩はもうひと口。  前からお酒が異様に強い人だとは思っていたけれど、ウィスキーをロックで飲むほどだとは。わたしがやったら一瞬で気絶してしまいそうだ。部屋の中にはアルコールの揮発臭と、叩いた野草の青臭いにおい、それと先輩から漂うなんだかいい香りが混じり合って、妙な空間になっていた。わたしはお茶を飲んでいるのに、思わず場酔いしてしまいそうになる。  何より、ロックグラスを片手に、ちょっと膝を崩した先輩はめちゃめちゃ絵になっていて、色っぽい。開いたパジャマの第一ボタンから、ほんの少しピンク色に染まった白い胸元が僅かにのぞいている。 「テレビでも見る?」 「いえ、別に……」 「ああ、これは、美味しいわね……ちょっと眠くなってきたかも。シラタキさん、一応アラームはかけてるけど私が寝たら起こしてちょうだい」 「いや、そしたらわたし帰りますから」      ◯  1月7日、午前0時。 「さあ、次はハコベラね」 「はい」  トントントントントントントン。  ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにへ  わたらぬうちに  ストトントン  ストトントン  …………  あれだけ眠い、眠いと言っていたのに、先輩はけろっとしていて眠る気配すら見せない。  逆にわたしのほうが眠くなってきた。アルコールの揮発臭、トントントントンとリズミカルな単調な音、なによりすでに日付を跨いでいるという事実……全てがわたしのまぶたを押し下げようとする。 「シラタキさん、刃物を持っている間は寝てはダメよ」 「ふぁ、はい……」 「気つけにこの余市をのむ?」 「酔ってます?」 「馬鹿ね。酔ってないわ」  酔ってる人はみんなそういうのだ。 「酒臭っ! どれだけ飲んだんですか……」  と、いつのまにか先輩の傍らに置かれた余市の瓶を見ると、700mlのウィスキーがいつのまにか空になっている。 「もう全部飲んだんですか!? しかもロックで……!」 「え? ああ、あんまり美味しいのでつい……でも、このグラスにはまだ残ってるわ」  手にしたロックグラスをずいとわたしの目の前に寄越した。 「飲んでみなさい。高級品なのよ」 「いやあの……先輩、目がすわってますけど」 「ひと口、飲んでみるのもいい経験よ。駄目だったら介抱してあげるから、安心して、ひと口、さあどうぞシラタキさん」  駄目だ。元から強引な人だけど、いまの近藤先輩にはいよいよなにを言っても伝わりそうにない。顔色ひとつ変わっていないけれど、確実に酔っている。元々きりっとした目つきだけど、今はいつにも増して黒々としている。 「で、では、お言葉に甘えて……」 「ひと口、ひと口だけで大丈夫だから」 「いただきます」       ☆☆☆☆☆☆☆  波の音がする。それから、ぎしぎしと軋む木造建築のような音も……頭がぐらぐらして、地面が揺れているようだ。そうだ、さっき先輩にウィスキーをロックで飲まされて、それで…… 「起きなさい。起きなさい、シラタキさん」  先輩の声がする。 「白滝ですって」  まだ、覚束ない視界で周囲を見回す。目の前にはまな板と包丁、器に小分けにされた春の七草。そうだ、日付が変わったあたりでハコベラを叩いていて……でも、こんな爽やかな青空を見ていると全てがどうでも良くなってくるようだ。さわやかな……朝の…… 「なっ、」  一気に目が覚めた。  そう、突き抜けるような青空。水しぶきの音。そして、ぎしぎしと軋みながら揺れる地面…これは!  新たな音がいくつか聞こえてきた。ガッハッハ、という男の人の笑い声。洗濯物が風にはためくようなバタバタという音。鳥の鳴き声…… 「シラタキさん、大丈夫?」  先輩がわたしの顔を覗き込んで…… 「先輩? なんですかそのカッコ」  ゆったりとした赤い服と、白い帯、そして羽衣が風にゆったりと揺れていた。顔も声も先輩そのものだが……なにかが違う。 「先輩?」 「え、近藤つかさ先輩ですよね?」 「……ふふ、違うわよ」  わかった。目が違う。先輩はこんな風に笑わない。こんな柔らかそうな目をしない。 「わたしの名前はサラスヴァティー。いわゆる弁財天です」 「何言ってんすか。神を自称っすか。ついに気が狂ったんすか」 「ふふ、神に向かってその物言い、不敬ですよ」 「ごめんなさい」  怒った時は似てる。 「しかし弁財天といえば、あの有名な……七福神の1人と言われる?」 「その通りよシラタキさん」 「白滝です」  かの有名な神にまでシラタキさん呼ばわりはごめんだ。神話レベルで不名誉なあだ名が定着しかねない。  ともかく状況はわかった。  つまりここは、誰もが一度は年始のテレビコマーシャルや、商店街のポスターで見たことのある、あの七福神の乗る大変おめでたい船の上なのだ。 「じゃあ、向こうでどんちゃん騒ぎしているのが?」 「ほかの七福神のみなさんよ」  大笑いしながらテーブルを囲み、顔を真っ赤にしながらまた盃を傾ける。神様らしく豪快な飲みっぷりだ。何事かを言い合っているが、その内容までは窺い知れない。 「紹介するわ。あの鎧を着た方が毘沙門天。釣竿を振り回しているのが恵比寿様。緑の服の福禄寿様。杖を持っている剃髪の方が寿老人様。あの黒い大男が大黒天様、で、乾杯の音頭をとっているのが布袋様よ」 「へえ。名前だけなら聞いたことが」 「ほら、歌ってるわ。ラヴラヴラヴ、ラヴイズアポイズン、ラヴラヴラヴ、ラヴイズアポイズン……」 「あ、そっちの布袋さん!?」 「もちろん冗談よ。神は暇なので、地上に降りるたびに新しい文化を吸収するの」  嘘か真か……だけど男神6人のコールが完全にシンクロしているところを見るに、あながち本当なのかもしれない。  しかし、ここで気になることが。 「せんぱ……弁財天様は、混ざらないんですか?」 「女は食事の支度をしないといけないのよ」 「え、ここでもそういう、旧態依然とした家父長制的なジェンダーが採用されてるんですか」 「余計なことまで覚えちゃって。困ったものよね」  ざっぱーん。  白波が立ち上り、どこからともなくスマホのアラームが鳴り響く。 「さあ、そろそろ時間ね。次の山菜を叩きましょう、シラタキさん」 「あ、はい」  わたしはこの船の中でどういう立ち位置なのだろう。 「今は……午前2時か。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ……だから、次は……」 「ホトケノザね」  わたしとせんぱ……弁財天が並んで座り、包丁でまな板を7度叩く。トントン……  ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにへ  わたらぬうちに  ストトントン  ストトントン  …… 「いまはいわゆる『丑三つ時』ね」 「ああ、あの呪いの?」 「ええ。そんな時間に五寸釘でなく、ホトケノザなんていう名前の野草を叩いて、潰して、細かく切り刻んで……ふふ、ふふ。なんだか意味深ね……」 「怖い怖い」  神とか仏とかのびっくり宗教大戦は後にしてほしい。  トントントン、トントントトントン。  トントントン、トントントトントン。 「駄目だ、ポイズンにリズムがつられる……!」 「曲がりなりにも神の奏でる調ですから」 「そんなことってあります?」 「負けないでシラタキさん。別に間違っても誰も怒らないし、バチも当たらないから」 「そうですか?」  トントントン。 「しかし、これで七草の五つ目ですか。ようやくというか、あっという間というか。……そういえば、七草も七福神も、『7』にまつわるおめでたい物事ですよね」 「そうね。7って美しいからね」 「ラッキーセブンって言うじゃないですか? あれとは何か関係あるんですかね」 「ラッキーセブンは、メジャーリーグが発祥と言われる迷信のたぐいよ。特に根拠はないでしょうね」 「なんか、弁財天が迷信とかってズバッというと……」 「こほん。でもまあ、何かにあやかってゲンを担ぐのは、別に悪いことじゃないわ。ようは人の思いひとつなのだから」  などと。神と雑談しているうちに、ホトケノザもくったくったに細かくなってしまった。 「次はまた2時間後ね」 「長いですねえ」  あたりを見回す。七福神の乗る船は、船というよりお台場の広場くらい大きかった。一面、白木の床板が張られ、高々と掲げられたマストには『賀正!』とでかでかと書かれている。今時の神は、エクスクラメーションマークまで使いこなすらしい。マストもまた、バカでかい。十メートル以上はありそうだ。 「あれは毘沙門天様の力作なのよ」 「へえ」 「いまは少ないお酒をいっぱい飲むために人間大のサイズになっているけれど、本来われわれは人間とはスケールが違うからね。文字通り」 「そんなセコい理由で小さくなるんですね」 「お酒は有限だもの」  ざっぱーん。 「そうだ、シラタキさん、あなたに新年のご利益を授けましょう」 「新年のご利益?」 「弁財天は、音楽、知恵、財福にご利益を授ける神よ。今年一年のご利益、あなたはなにを授けてほしいかしら」 「うーん」  音楽は別にいい。わたし、バンドをやったり、軽音楽サークルに所属しているわけではないし。知恵……は、まあ大学生なのでそれなりには欲しい。でも、それは自分の気持ち次第な気もする。財……つまりお金。無限に欲しいけれど、わたしは「過ぎたるは及ばざるが如し」ということわざを信じている。 「別に、特になにも」 「あなたは正直者ですっ!」  べんべんっと、かの有名な弁財天の五弦琵琶が鳴り響いた。それを聞きつけて、ほかの六神も集まってくる。ぞろぞろ、ぞろぞろ。みんなにっこりと笑顔を浮かべていた。 「おめでとう!」 「おめでとう!」 「おめでとう!」 「おめでとうございます」 「おめっとさーん」 「おめでとうございまするぅ〜!」 「え、何、何。怖い怖い!」 「神のご利益に欲張ることなく、正直に無欲を告白したあなたには、七福神の全てのご利益があることでしょう〜! では歌います、音楽の神サラスヴァティーの琵琶に乗せて……べべん」 「口!?」 「ビーマイベイベー、ビーマイベイベー、ビーマイベイベー、ビーマイベイベー……」 『ビーマイベイベー、ビーマイベイベー、ビーマイベイベー、ビーマイベイベー……』 「しかもそれ、布袋じゃないし……」  七福神の大合唱。  ビーマイベイベ〜、ビーマイベイベ〜。  その時、突然空がゴロゴロと轟き、足元がぎしぎしと激しく軋んだ。 「嵐に入ったぞ!」  すばやく毘沙門天が動いた。重たい甲冑を身につけているとは思えない俊敏さでマストへ駆け上ると、ふっとい綱を引っ張って帆をたたんだ。 「皆、中へ入るのじゃ!」  どたどたと神たちは船室へ入っていく。  その時、天空が閃き、激しい衝撃がわたしたちの身体と、船を揺さぶった。 「きゃっ!」 「マストに雷が……!」  船は真っ二つに裂けて、燃え上がった。落雷を一身に浴びて毘沙門天は真っ黒に焼けてしまった。ほかの神々も、船と一緒に海の中へと沈んでいく。大海は渦を巻き、すべてを飲み込んでしまった。  そして、わたしも―――― 「先輩っ!」 「シラタキさん、あなただけでも……!」  海に投げ出されたとき、わたしと、弁財天――近藤先輩は、互いに手を伸ばし合った。  指先が触れるか、触れないか。  その間際に、もう一度、雷鳴がとどろき…………      ☆  午前4時。 「う、うーん……ポイズン……」 「シラタキさん、起きなさい」 「はっ」  がばと跳ね起きると、そこは元のマンションの一室だった。  ピピピピピ。ピピピピピ。  スマホのアラームの音が鳴り響いている。 「はっ、弁財天……!」 「寝ぼけてないで、もうスズナを叩く時間よ」 「うーん、なんかとんでもない夢を見ていた気がする……」 「驚いたわ、まさかひと口でひっくり返っちゃうなんて」 「いやいや」  先輩、あんたはもう少し自分の酒の強さを自覚するべきです。 「さ、あと少しよ。頑張りましょう」 「ふぁい」  トントントントントントン。  ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにへ  わたらぬうちに  ストトントン  ストトントン  …… 「うん……うん……」 「大丈夫? まだ寝ぼけているの?」 「まあ、はい」 「気を付けてね、うっかり指なんて切らないように」 「だいじょうぶですよ……っつ!」  などと言っている間に、やってしまった。  包丁の先で、左の人差し指を切ってしまった。傷は薄いが、じんわりとした痛みが広がっていく。 「言わんこっちゃない」  先輩は溜息をつきながら、除菌ウェットティッシュで指先の傷をぎゅっとおさえた。 「痛い!」 「止血するためよ。それくらい我慢しなさい、そこ押さえていて」  言われたとおりにしていると、ぬっと救急箱を取り出し、そこから絆創膏を一枚。さっと、鮮やかな手つきでわたしの指に巻いた。 「ありがとうございます……」 「絨毯や七草を、あなたなんかの不潔な血で汚されたらたまったもんじゃないわ」 「不潔な!」 「違うの?」 「違いま……」 「違うの!?」 「ちがいますん」  もう二度と怪我をするまいと誓い、こんどは注意深くトントンする。 「先輩はずっと起きてたんですか?」 「たぶん。あなたが倒れてからシャワーを浴びたりしていたから」 「あ、そうなんですか。わたし、徹夜とか駄目な人で」 「それが普通よ。夜更かしなんてしても、百害あって一利なしよシラタキさん」  じゃあ、いま私たちがやっているこれは何なんですか?  とは口が裂けても言えない。 「スズナとスズシロは、葉も、根も食べるわ。この白い部分は薄く輪切りにして、一緒にお粥に入れましょう」 「はあい」  すとんすとんすとん。  先輩の包丁さばきは、何とも華麗で、まるでテレビに登場する料理人の手さばきを見ているかのようだった。 「ふだん、料理とかするんですか?」 「人並み程度にはね」 「人並み……」 「どうせあなたはカップ麺とか、できあいのものばかり食べてるんでしょう。だから血が不潔だと言っているのよ。健康な食生活から、健康な人体は組成されるの。この七草粥は、その最たるものと言ってもいいわ」 「なるほど」  確かに、先輩の言うとおりだ。カップ麺、菓子パン、総菜パン、それから学食……、大学生になってからこっち、まともな食事をしていない気がする。実家のご飯が恋しくなることも、ある。 「だらしないわねシラタキさん。しゃっきりしなさい」 「でも、もうそろそろ朝じゃないですか~。ただでさえ変な夢を見て、寝覚めが悪いのに~」 「変な夢?」 「先輩が弁財天で、べべんって琵琶を鳴らしながら、七福神と吉川晃司を……」 「あなた、ついに頭までおかしくなってしまったのね。かわいそうに」  この包丁が次に見る血はこの人のものだと本気で思った。でも、そういう元気すらなくなってしまった。       ○  午前6時。 「ところでシラタキさん」 「白滝です」 「シラタキさん。シラタキ家では、朝のテレビは何派だったかしら?」 「え、うーん……めざまし派でした」 「あっそう」  聴いといて何だその態度。 「最後のスズシロよ。いよいよ最後ね」 「はい」 「それじゃあ、私はお粥のほうを用意するわ。シラタキさん、悪いけど叩いておいてね」  そういって先輩はそそくさとキッチンへと向かった。 「仕方ないなあ」  トントントントントントントン。  ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにへ  わたらぬうちに  ストトントン  ストトントン  ……  この歌ももう様になってきた。  頭はもうろうとしているし、正直眠くてだるい。でも、スズシロの葉を刻むのはやめなかった。もうだいぶ細かくなっただろう、というところで、根菜のほうを丸く、薄く切っていく。 「ちょっと歪だけど……まあ、こんなもんでしょう」 「シラタキさん、出来たかしら?」 「はい」 「そしたら、こっちへもってきてちょうだい。お粥と一緒に煮るわ」  いよいよだ。  器をキッチンへ運び、お米の詰まった鍋へと次々に七草を投入していく。いままでわたしたちが刻んできたものたち……なんだか、誇らしいような気持になる。 「さて、ここから60分煮るわ」 「またそんなに!」       ○  午前8時。  お粥が煮終わり、ようやく、わたしたちの前に現れた。  七草粥。お米と、七つの野草。そしてちょっとの塩で味をつけた、なんとも素朴なゲン担ぎの料理。 「では、いただきましょう」 「いただきます……」  文字通り一晩かけて作ったお粥。  これで美味しくなかったら一生誰かを恨む。そう思って、レンゲで口に含んだ。 「う、うーん……?」  概ね予想通りの味。所詮、野草を塩で似ただけだ。そういう味がする。 「うん、いい感じね」  先輩はもりもり食べていく。 「美味しいんですか?」 「分かってないわねシラタキさん。こういうのは美味しさじゃないのよ」 「はあ」 「ひと晩かけて、ふたりで作った料理。それが大事なんじゃないかしら」  なんか、いいことを言っている風だけれど…… 「それじゃあ、こういうのもありですか?」  と、わたしはキッチンの調味料棚から、とあるものを取り出した。 「七味唐辛子?」 「『7』で縁起がいいじゃないですか。ラッキーセブンですよ」  ぱらぱらとふりかけ、改めて口に運ぶ。 「ん~! これは大正解ですよ先輩、ぜひひとくち!」 「ほんとう……?」  疑わしげに眉を顰める先輩も、わたしの器からひと口食べると顔色が変わった。 「ん……確かに、これは美味しいわね。シラタキさん、あなたにしては上出来よ」 「ありがとうございます、白滝ですが」 「新年早々、いい食事ができたわ。ありがとう」  そう笑う先輩の笑顔は、つるんとしていて、冬の朝日のようにきれいだった。  ずるい。  そんな風に笑われたら、今までの苦労とか、むかつきとか、ぜんぶ吹き飛んでしまう。 「先輩、今年もよろしくお願いします」 「ええ、よろしくね」  その後、わたしたちは食器をなんとか片付けてから、絨毯に突っ伏すようにして眠った。  目が覚めたのは昼過ぎだ。  わたしは二日酔いにガンガンと悲鳴を上げる頭を引きずるようにして、家に帰ってまたベッドに潜った。 「うう~、やっぱり散々だ……」  もう二度とあの人とお酒なんか飲むもんかと心に誓った。
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