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【1月9日】断捨離
年末年始の大掃除で出てきた大量の洋服を、思い切って捨てることにした。
Tシャツ、ワンピース、ジーンズ、デニム、セーター、カーディガン、コート、マフラー……家の中の服をぜんぶひっくり返して、これはたぶんもう着ないだろう、これはまだ着るかもしれない……と、より分けていくうちに、いつの間にかいらない服は百貨店の紙袋三つ分くらいになってしまった。
「うわちゃー」
思ったより多かった。これを捨てるのではなく、古着屋の買取サービスに持っていくつもりだったが、そもそも持っていくのが大変そうだった。思ったよりも大変な数になってしまったのだ。
私は知人の綾に電話をかけた。
『はい?』
「綾、ごめん。車貸してくれない?」
『はあ? なんで』
「実はね――」
ということで事情を話してから数十分後、綾は私の家の近くのマンションまでマイカーを走らせてきてくれた。なんでも大学に進んだ時に両親からお下がりを貰ったらしい。水色の軽自動車はあちこち傷だらけだし、フロントには土埃もいっぱいついている。ただでさえ型式が古い上に、普段はほとんど乗っていないことが丸わかりだった。
「ごめん、ありがと」
「いいよ、たまには乗ってあげないと、この車もかわいそうだし」
「運転は私がするから。悪いね」
古着の入った紙袋を後部座席に積んで、運転席の綾と交代しハンドルを握った。
「ほんと、すごい数だね」
「ちょっと可愛いのがあると、すぐ買っちゃうんだよね~。どれもこれも可愛くて勿体ないんだけど、私もひとり暮らしだから、スペースがさ、圧迫されちゃって」
軽快なエンジン音を立てて、軽自動車は発進した。
「しかし、随分ため込んでたねえ。なんか呪われてる服とかあるんじゃないの」
「やめてよ、もう。割と信じちゃうかも」
「昔はよく服とか買いに行ったよねえ。お互い就職してから、ぜんぜん時間作れなくて」
「今日は休みなの?」
「うん、今日も休み」
「『も』?」
「仕事辞めたから」
前方の信号が黄色に変わった。私はブレーキを踏んで、緩やかに停止した。
「そうなんだ。どうして?」
「なんか、合わないなあって。それだけ」
「ふうん……」
「鈴乃はまだ続けてるの? 例の、営業だっけ」
「いちおうね。慣れてきちゃえばそんなに大変じゃないし」
信号が青に変わる。
アクセルを踏み込むと、ブロロォン、と豪快な音がした。
「私はさあ、とりあえず当座の生活を何とかしなくちゃと思って就職したはいいけどさ。最初の一年くらいは良かったけどさ。この仕事を一生続けていくのかなあと思ったら、なんか萎えちゃって」
「結婚すれば? あの、長峰くんだっけ、まだ付き合ってるんでしょ?」
「ううん、仕事辞めた時に別れちゃった」
「あら。あんなに仲良かったのに」
「仲がいいからこそだよ。これから同棲して、結婚・出産、育児まで考えた時にさ、彼の収入だけじゃ、どうしても不安だし。でも、彼は子どもが欲しいみたいだったから、ふたりで相談して、じゃあ別れようかって」
「へえー。なんか私と一緒だね」
「なにが?」
「断捨離っていうの? 新しい生活に向けて、ものを整理するっていうか」
「あんたの古着と一緒にされたくはないかな」
そうこうしているうちに、お目当ての古着屋へとたどり着いた。
○
古着屋と言ってもその正体はジャンクショップというか、店頭には机や椅子が乱雑に積み上げられて陳列され、自動ドアをくぐって店内に入ると一面の古着の山だ。ほかにも、オーディオ機器、パソコン、CD、古本、おもちゃ、ギター、アンプ、キーボード……いろいろなものが並んでいる。
「では、査定が終了しましたら、こちらの番号でお呼びいたします」
私たちは買い取りカウンターに紙袋を預け、査定が終わるまでの時間をお店の中をぶらぶらして過ごすことにした。
「ねえ、仕事辞めて何するの?」
私は綾になんとなく聞いてみた。
なんとなく、というのも、既に答えはほとんど分かっていたからだ。
「旅かな」
「何の旅?」
「気ままな旅。あちこちで写真撮って、いろんな記事書いて。今はネット使えれば、誰でもちょっとは収入作れるしね」
「そんなうまく行く?」
「分かんないけど。やったことないから」
私たちはスタンドに立てられて並んでいるギターをひとつひとつ眺めた。
綾は時どき、張られた弦を指で弾いたり、時には持ち上げて両手で抱えてみたりした。
「一本くらい買っていこうかな」
「ギター? 弾けるの?」
「高校のころ、少し。たぶんもう指が固くなっちゃってるから、練習しないといけないだろうけど」
「ふーん」
大学のころ、なんだかんだつるんでいたふたりのつもりだった。だけど、私は綾のことを深く知っているわけじゃない。せいぜい一緒に服を買ったり、映画を見たり、お互いの部屋に止まってレポートや卒論の追い込みをしたり……
「旅に持っていく服も、考えなくちゃ。多いとかさばるし」
「断捨離する?」
「せっかくだし、鈴乃にあげようかな。ついでに家具とかも」
「え、また服が増えちゃうよ」
「冗談。でも、本気でほしいものがあったらあげる、あとでうちに来なよ」
その時、店内アナウンスで私の持っていた番号が呼び出された。
「買取価格は、ぜんぶで220円になります」
いちおう、内訳も聞かせてもらった。
50着くらいあった私の古着。その内30点近くは、状態が悪く、買取不能で値段がつかない。Tシャツやカーディガンなどが10円、一番値段が高かったのは青と白の波の模様がついたワンピースだった。たしか大学に入学したばかりのころ、たまたま近くの古着屋で買ったやつだ。それでも50円くらいだった。
「買い取れなかった奴も、処分していただけますか?」
私はばっさりと、それらの服を見捨ててレシートと4枚の硬貨を受け取った。
○
「まあ、こんなもんだよねえ」
「こんなもんだね」
帰り道、助手席の綾はレシートを見ながら唇を尖らせていた。
「結構かわいい服もあったのに。もったいない」
「かわいくても、着てあげられなかったら意味ないしね」
「私に譲ってくれてもよかったのに」
十字路でウィンカーを出し、右へと曲がる。
私は来た道とは別の道を行くことにした。
「え? どこ行くの?」
「ついでだし、ちょっとドライブしようよ。ガソリン代だすから」
私は綾の車を飛ばして国道を直進。途中で曲がって、海沿いの道へと入っていった。海沿いと言っても、住宅街やビルが並ぶばかりで、ぜんぜん海や砂浜は見えてこない。
手近なパーキングで停車。車から降りると、ほのかに潮風の匂いがした。
「なあに、どうしたの急に」
「ドライブは、したこと無かったでしょ、ふたりで」
綾は目をぱちくりとさせた。
「大学4年間はなんとなくつるんで、いろんなところ行ったけどさ、ドライブはしたことなかった。私、綾のことをなんとなくしか知らない。でも、あなたが世界中を旅してまわるのが好きだってことは、なんとなく知ってたよ」
「そう? どうして?」
「どうしてかな。分かんないけど、私たちって意外と似た者同士じゃない?」
「うっそ。私、鈴乃みたいにガサツでもないし……真面目に働いて、真面目に生きていくの、得意じゃないよ」
「だけど似てるよ。なんかこう、頓着しないところ」
私は綾に、さっきの買取で手に入れた220円のうち、110円を手渡した。
「綾はえらいと思う。自分の生き方をちゃんと自分で決められている。うらやましい」
「ただ無責任なだけだよ」
「缶コーヒー買ってあげる。私のおごり」
私たちは缶コーヒーを飲みながら、ふたりしてぼんやりと潮風の匂いに身体を委ねていた。
「結局、卒業してからちっとも連絡とらなくなった。私からの連絡を無視したり、逆に綾の連絡を受け取らなかったりしたわけじゃない。私たち、卒業して環境がそれぞれで変わったら、それっきり。割と仲いいと思っていたのに、そんなこと無かった」
「え、ごめんね」
「ううん。そういう所がお互い、いいんだと思う、私たちってさ」
「ふうん」
「たぶん、綾が旅行に出たら、旅先の景色に夢中で、また連絡とらなくなると思うけど、それがいいんだと思う。私たちのベストな関係性っていうか、距離感っていうか……」
「なるほどね」
綾は意外にもブラックコーヒーではなく、甘ったるい青い缶のコーヒーを少しずつ口に運んでいた。
「断捨離?」
「そう。私たち、断捨離」
「もう二度と会えないってことかな」
「まあ、もしかしたらそうだね」
「それはそれで寂しいような」
「今だけだよ、きっと。だから、今日は目いっぱいあちこち回ろう。なんなら運転、代わろうか」
「鈴乃が疲れたら、そうするよ」
それから数週間もしないうちに、綾はどこかへと旅立って行ってしまった。
これっきり。私たちの交流はここまで。所詮、大学時代の腐れ縁だ。それほど長続きするものでもないだろう。そして私は今日も早く寝る。明日の仕事に備えて、布団にもぐる。
今ごろ、綾はどこで何をしているんだろう――
と、ちょっと考えただけで、私はすぐ眠りについた。彼女とはもう、会うこともないだろう。
断捨離。
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