一.

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   ◇  茜が再び聡子に呼ばれたのは、二週間後のことだった。  社会心理学の講義の直前、聡子はいつも通り、茜の隣に座った。 「ちょっと、明日の夜空いてる?」  聡子は、茜の顔を見ずに言う。  茜は彼女の顔色を伺うが、その表情は、どこか硬い。 「空いてるけど……何で?」  茜が訝しむと、聡子が溜息を吐く。 「この前、花子さん呼んだじゃん?」 「うん」  その頃には、茜の関心は期末のテストやレポートに移っていた。  最後の授業が終わるたびに課されるレポートや、提示されるテスト範囲に追いやられ、花子さんを呼んだことなど記憶の彼方だった。 「未由が言うには、ちょっとまずいことになってるらしいの。話訊いて欲しいんだって」 「ええ?」  そう言われ、茜は戸惑うしかなかった。  あれ以来、彼女の前に『花子さん』らしきものが姿を現したことは無い。家でも学校でも平常の生活を送ることができている。  だからだろうか。聡子に言われたところで、未由の話にどれほどの緊急性があるのか、判断が付かなかった。 「いや、私も正直嫌なんだけどさ。未由、本当に取り乱してて……」  そう言って、聡子は顔を俯ける。  その顔もまた、戸惑いの色を浮かべている。 「……わかった。私も行く」  茜は、そう口に出していた。  国分寺の駅前から、少し離れた喫茶店に茜と聡子が入店すると、土気色をした顔で、未由と七海は席に掛けていた。  茜たちが席に着くと、二人は身体を震わせて、こちらを見上げる。  その様子が何とも痛々しく、自然と「大丈夫?」という言葉が口を衝いて出た。  二人はその言葉を訊くと、目に溜めた雫を零しながら、声もなくさめざめと泣いた。  聡子が気を利かせて頼んだ、四人分のコーヒーが席に届く。それを半分飲み干す頃、ようやく七海が切り出した。 「愛美と、沙綺が死んだの」  七海が、しゃくりあげながら言う。  感情の発露とは対照的に、声に抑揚はほとんどなかった。  ややあって、茜はようやく声を絞り出す。 「いつ?」 「愛美が十日前、沙綺が、五日前」  五日ごと。  茜は聡子の方を見た。  茜の視線に気づき、目線を寄越した聡子の顔もまた、強張っている。  七海はおしぼりで口を押え、しゃくりあげるのを必死で止めようとしている。 「何で亡くなったのか、訊いてもいい?」  状況を飲み込めないまま尋ねると、落ち着きを取り戻しつつあった未由が、七海の背を擦りながらぽつり、ぽつりと答えた。 「愛美は、階段から落ちたらしいの」 「どこの?」 「自宅だって。帰宅した後、夕飯を食べるためにお母さんが呼んだら、直後に階段から凄い音がして……」  俄かには信じがたいことだった。  喉に渇きを覚えたが、先が気になり、飲み物に口をつける暇がない。 「沙綺ちゃんは?」  聡子が尋ねる。 「沙綺は、よくわからないの」 「よくわからないって……」 「死因は失血死。全身に刺し傷があって、その一つが内臓に届くくらい深かったらしくて。警察は他殺を疑って、もう一度調べているんだけど」 「けど?」 「事件の直前、先の背後を女の人があるいていたっていう目撃談があるだけ」  そう言うと、茜は再び涙ぐんだ。  一方で、茜の身体は凍み渡るように冷えていく。  ――女の人。  その人は、どんな容姿をしていたのだろう?  思い巡らす茜をよそに、聡子が二人に尋ねる。 「二人とも偶然、なの?」  七海が机に伏していた顔を、勢いよく上げる。アイメイクが落ちたのか、白い服の袖が黒ずんでいた。 「偶然なわけないじゃない!二人とも、あんなに元気だったのに!十日かそこらで、階段から落ちたり、通り魔なんて、あるわけないじゃない!」  茜には、掛ける言葉が無い。  それは未由も同じようで、七海の名前を呼びながら、背中の手を彼女の両肩へ移動させた。  彼女たちの狼狽もわかる。  たった十日。  たったの十日で、友人を二人も失うのは、精神的にキツいものがあるだろう。  ――だけれども。 「……ちょっと、怒らないで訊いてね。それって、花子さんのせいなの?」  ぼんやりとした様子で、七海が顔を上げた。未由も同じような表情で、発言した聡子を見る。 「勿論、花子さんをした後に、二人が亡くなったことは確かだよ?けれど、二人が花子さんを見たとか、そういったことは無かったんでしょう?」  彼女の言葉に、二人は顔を見合わせた。  聡子の言うように、彼女たちの死は、茜が訊いている限りで全くの偶然だった。  二人の死の間隔は五日ごと。ものの十日の出来事で、それが偶然とは信じがたい部分だったが、同じことが百パーセント無いとは言い切れない。  それを、という理由で原因を押し付けるのは、少々乱暴な気がした。 「でも……二人とも、あんなに元気だったんだよ?」  七海の涙は、マスカラの軌跡を頬に作ったものの、いつの間にか止まっている。 「でも、あの花子さんのまじないは、『花子さんを呼ぶだけ』なんでしょ?サークル棟の花子さんは呪うとか、沙綺ちゃんから言われていたわけ?」  聡子の問いに、二人は戸惑ったように首を傾げる。  どうやら、茜と聡子と同じく、花子さんが呪うとか、そういった不穏な噂は耳にしていないようだった。 「じゃあ、考え過ぎなんじゃないかな。少し美味しいもの食べて安心しようよ」  聡子はそう言って、柔らかい微笑みを二人に投げかけると、メニュー表を渡した。  そういうところが、聡子の良いところだと、茜は感じていた。  相手の考えや疑念を協調しつつ、しっかりと自分の考えを主張するところ。授業のディスカッションなどでも、その姿勢は活かされていて、光るものがあった。  現に目の前の二人は、最初の取り乱しようはなりを潜め、戸惑いつつもメニュー表を眺めている。  三人が安堵に包まれていることがわかる。  ――けれど。  茜は、論理的に説明できない不安に襲われていた。  『花子さん』で人が死ぬことなんかない。そうわかっていても、去年の夏の事件がどうしても頭を過る。  『必然の死』というのは、時に『偶然』を装って、人の身に忍び寄る。  それを教えてくれたのは、父の友人の教え子だったあの二人組と、紛れもない、茜の大好きだった人々の死だ。  三人の表情は明るい。それを前に茜は、自身の言語化できない不安を披露することはできなかった。
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