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「今日はありがとう」
未由が、茜たちに頭を下げる。
それに茜と聡子は手を振って応えた。それを取付に、国分寺の北口へ向けて、四人は歩みを進める。
冬の暮れは早い。まだ十七時過ぎだというのに、真上の空は真っ暗だ。周囲に人通りは少ない。近くのビルの工事音がやけに煩いばかりで、人の気配は遠かった。
車の往来もわずかな狭い通りで、茜たちは車道の方まで広がって歩いた。
「今日は本当にありがとう」
未由が再び言った。
先ほども礼を言ったのに本当に律義な人だ。
神妙な彼女の横顔を見ながら、茜はそう思った。
「あんなことあったら誰だって不安だよ」
茜がそう返事をすると、彼女は恥じ入ったように笑った。
「愛美と沙綺が、五日ごとに亡くなったでしょ?……だとしたら、次は今日だと思って。私たちのうちの誰かが死ぬかもしれないって考えると、体調も悪くなってしまって。
私、とても怖かったの」
そう笑う未由と裏腹に、茜は自分の周囲が薄ら寒くなるような気がした。
――もし、この死が『花子さん』を呼んだことに起因するのだとすれば、死ぬのは自分たちなのだ。
未由の言葉は、そのことをありありと示していた。
茜が返答できずにいると、少し前を歩いていた七海がこちらを振り返った。
それに釣られたのか、並んで歩いていた聡子もこちらを見る。
「未由は心配症だなあ。さっき、聡子ちゃんに慰めて貰ったばっかりじゃん」
そう言って、七海は髪を揺らし、後ろ向きに歩き続けながら笑った。
聡子も頷いて、「大丈夫、心配しないで」とガッツポーズを取る。
二人の励ましを訊いていた未由は、泣き出しそうな笑顔をして
「そうだね」
と言って笑った。
呼応するように、七海も満面の笑みを浮かべる。
――その姿が、一瞬のうちに消えた。
誰も、何も、言わなかった。
言えなかった、という方が正しい。
七海が消えた場所には、黒い穴が、ぽっかりと口を開けていた。
彼女は声を発することも無く、その暗闇に吸い込まれていった。あっという間の出来事だった。
茜は緩慢な動きで辺りを見回す。少し離れた位置に、マンホールの蓋が置いてある。
それを確認すると、ゆっくりと膝を折って、穴を覗き込んだ。
聡子と、未由も、茜に倣ってかがみこむ。
穴は奥の奥まで、何も見えない。底の方から、微かに水の流れる音がしている。
沈む黒を掻き分けたい衝動に駆られたが、地面についている手は震えて、それはできなかった。穴の周りにつかれた聡子と未由の手も、同じく小刻みに振動している。
ふいに、穴の奥に光が見えた。
七海かと思い、三人で前のめりになって穴を覗き込む。
穴の、視界で追える範囲の深い位置に、小さくぼんやりと何かが光っている。
目を凝らすと、それは女の形をしていた。
視線でそのシルエットをなぞる。
長い髪に、緩やかな身体の曲線。かすむような、曖昧な姿かたちの中で、その目だけが爛々と光っていた。
足のつく余地もない奥底の虚空から、女は茜たちを見つめている。
目とその輪郭意外に、女の顔形の判別はできない。だが、茜には妙な確信があった。
――トイレの女だ。
「あれ……何……?」
未由が悲鳴のような呟きを漏らした。
茜と聡子は、それに答えることはできない。
どれくらいそうしていただろうか。
女はゆっくりと、その影を暗闇の中へ沈めた。
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