一.

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「今日はありがとう」  未由が、茜たちに頭を下げる。  それに茜と聡子は手を振って応えた。それを取付に、国分寺の北口へ向けて、四人は歩みを進める。  冬の暮れは早い。まだ十七時過ぎだというのに、真上の空は真っ暗だ。周囲に人通りは少ない。近くのビルの工事音がやけに煩いばかりで、人の気配は遠かった。  車の往来もわずかな狭い通りで、茜たちは車道の方まで広がって歩いた。 「今日は本当にありがとう」  未由が再び言った。  先ほども礼を言ったのに本当に律義な人だ。  神妙な彼女の横顔を見ながら、茜はそう思った。 「あんなことあったら誰だって不安だよ」  茜がそう返事をすると、彼女は恥じ入ったように笑った。 「愛美と沙綺が、五日ごとに亡くなったでしょ?……だとしたら、次は今日だと思って。私たちのうちの誰かが死ぬかもしれないって考えると、体調も悪くなってしまって。  私、とても怖かったの」  そう笑う未由と裏腹に、茜は自分の周囲が薄ら寒くなるような気がした。  ――もし、この死が『花子さん』を呼んだことに起因するのだとすれば、死ぬのは自分たちなのだ。  未由の言葉は、そのことをありありと示していた。  茜が返答できずにいると、少し前を歩いていた七海がこちらを振り返った。  それに釣られたのか、並んで歩いていた聡子もこちらを見る。 「未由は心配症だなあ。さっき、聡子ちゃんに慰めて貰ったばっかりじゃん」  そう言って、七海は髪を揺らし、後ろ向きに歩き続けながら笑った。  聡子も頷いて、「大丈夫、心配しないで」とガッツポーズを取る。  二人の励ましを訊いていた未由は、泣き出しそうな笑顔をして 「そうだね」  と言って笑った。  呼応するように、七海も満面の笑みを浮かべる。  ――その姿が、一瞬のうちに消えた。  誰も、何も、言わなかった。  言えなかった、という方が正しい。  七海が消えた場所には、黒い穴が、ぽっかりと口を開けていた。  彼女は声を発することも無く、その暗闇に吸い込まれていった。あっという間の出来事だった。  茜は緩慢な動きで辺りを見回す。少し離れた位置に、マンホールの蓋が置いてある。  それを確認すると、ゆっくりと膝を折って、穴を覗き込んだ。  聡子と、未由も、茜に倣ってかがみこむ。  穴は奥の奥まで、何も見えない。底の方から、微かに水の流れる音がしている。 沈む黒を掻き分けたい衝動に駆られたが、地面についている手は震えて、それはできなかった。穴の周りにつかれた聡子と未由の手も、同じく小刻みに振動している。  ふいに、穴の奥に光が見えた。  七海かと思い、三人で前のめりになって穴を覗き込む。  穴の、視界で追える範囲の深い位置に、小さくぼんやりと何かが光っている。  目を凝らすと、それは女の形をしていた。 視線でそのシルエットをなぞる。  長い髪に、緩やかな身体の曲線。かすむような、曖昧な姿かたちの中で、その目だけが爛々と光っていた。  足のつく余地もない奥底の虚空(こくう)から、女は茜たちを見つめている。  目とその輪郭意外に、女の顔形の判別はできない。だが、茜には妙な確信があった。  ――トイレの女だ。 「あれ……何……?」  未由が悲鳴のような呟きを漏らした。  茜と聡子は、それに答えることはできない。  どれくらいそうしていただろうか。  女はゆっくりと、その影を暗闇の中へ沈めた。
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