二.

1/3
前へ
/10ページ
次へ

二.

 茜が、聖叡大学を訪ねたのは、翌日のことだった。  昨夜、事情聴取が終わると同時に、茜は野々市に連絡を入れた。半年ぶりに聴く、男性にしては少し高く明るめのその声は、茜の気持ちを落ち着かせた。  彼は茜の話を訊くと、二つ返事で場をセッティングしてくれた。彼の相棒で腰の重い西念を、どうやって説き伏せているのかは何となく気になるが、早い対応はありがたかった。  念のため聡子に「以前お世話になっていた人々に相談した」と伝えると、感謝された。曰く、彼女も怖いし協力したいが、レポートと試験が立て込んでいて難しい、ということだった。  自分に死の危険が迫っているのに呑気だ、と呆れるも、いつもゲンキンな聡子らしい、とも思う。    翌日、茜は久しぶりに都心へと向かう電車に乗り込んだ。国分寺で乗り換えて三十分ほど。オフィスの集まる駅で降りる。  そこから徒歩二分。駅から出ると目の前が、聖叡大学である。  茜の通う大学と比べると、敷地内の緑も少なく、建物の密度も高い。学校の隣には桜並木を有する堀が走っているが、緑と言えば、あとはお情けのような構内の植木だけ。  近代的ではあるが、無機質な構内の様相は、『学び舎』というよりは『職場』と言い表す方が的確な気がした。  茜は手元のスマホで聖叡大学の地図を表示する。いま茜のいる北門から、六号館という建物を通り、すぐに右。そこが野々市から指定された二号館という建物だった。  二号館に入ってからも少し複雑で、エレベータが見つからない。ようやく乗ったと思ったら、目的の十七階に行かない。よくよく確認すると、十七階に行くには、一階にある別のエレベータに乗らなければならないなど、面倒くさいことこの上ない。  広い構内の移動も面倒だが、敷地の狭い大学もそれはそれで面倒だ、と茜は溜息を吐いた。  ようやく十七階でエレベータを降りることに成功し、狭い回廊のような廊下を通る。そうして遂に、目的の一七〇二号室に到着した。  部屋番号のプレートの下には、『有松』という名前が記されている。それに懐かしさを覚えながら、扉をノックした。 「はい」  そう言って扉を開けてくれたのは、少し白髪の混じりで痩身の、壮年の男性――有松だった。彼は茜を見た瞬間、破顔する。 「茜さん、久しぶり」 「有松先生、お久しぶりです」  久しぶりに会う有松は、変わらずスタイリッシュで、温和な表情を崩さない。  茜の父と有松は古い友人だった。子どもの頃から良く茜の実家を訪ねてきた彼が、地方を研究対象の一つにしている研究者だということを、茜は父から訊いた。  その関係で、毎年有松のゼミの生徒は夏と冬に訪ねてきた。  地元で地域おこしのコーディネーターをやっている父との共同企画だったようだ。茜が東京の大学に進学してからもそれは変わらず、長期休みで実家に帰省すれば、有松やそのゼミ生に会うこともあった。 「野々市くん、ちょっと買い出しに行ってるから、待っててくれる?すぐに帰って来ると思うんだ」 「わかりました」  茜はそう答えると、促されて部屋の応接椅子に腰掛けた。  部屋といっても、とても狭い。  もともとはそれなりの広さがあるのだろうが、部屋の左右の壁面と、部屋を真ん中で二分するように置かれた本棚が、かなりの圧迫感を放っていた。その本棚には本が隙間なく詰め込まれ、そればかりか一部の書籍は、正面の腰高窓の前に累々(るいるい)と重なっている。それでも、本の山の下に丈夫そうな生地の絨毯が敷かれていることに、茜は小さな愛を感じた。 「コーヒーと紅茶、どちらが好きかな?」 「コーヒーです」  茜の答えを訊くと、有松は顔を綻ばせ、「ちょっと待ってね」と言った。少しして、背後でゴリゴリと、豆を挽く音が始まる。  茜が有松に会うのは、かなり久しぶりだった。去年の夏は彼女の実家がかなりの面倒事に巻き込まれ、有松がゼミ生と訪ねてくることができなかったからだ。 一方でその面倒事を解決してくれたのが、有松の紹介でやってきた西念と野々市の二人組だった。  彼らは――理由はわからないが――訳あって方々(ほうぼう)の怪奇現象の調査を行っているらしかった。大体は無償。茜の実家がある日本海側の県に来てくれた時は、滞在費と移動費は持ったが、それくらいだったという。  それではまるで慈善事業だ、と父に 無償で(・・・)調査活動をする理由を尋ねると、笑って教えてくれた。  西念と野々市には、霊感、と言われるような能力が無い。  そのため、依頼に対処できるのは、怪奇現象の原因が解明できて、なおかつその原因を彼らの力で除去できる場合に限られる。  その性質上、拝み屋でもなければ、お祓いもできない彼らが解決できる事案は少ない。  だから、彼らは基本的には報酬を貰わずに怪奇現象に対峙する。  そう説明すると父は、「お人好しだよねぇ」と困ったように笑った。 「はい、どうぞ」  カップとソーサーが軽い音を立て、目の前に置かれる。香ばしい匂いが辺りに漂った。  礼を言って茜は口をつける。 「……凄く美味しいですね」 「良かった。近くに良い豆屋さんがあってね。そこの特製ブレンドなんだ」  そう言って、有松は嬉しそうに笑う。  冷蔵庫に背を預けた有松が、自分のコーヒーに口を寄せた時だった。 「ただいま帰りましたー。あっ茜ちゃん!久しぶり!」  騒がしく扉から入って来たのは、童顔の青年――野々市だった。 「野々市くん、久しぶり。元気だった?」  席を立ち上がろうとする茜を制し、野々市は買ってきた物をあちこちにしまう。  そうして、教授に「席を借ります」と断ると、茜の対面に座った。 「連絡ありがとう。もうすぐ西念さん来ると思うんだけど……」  野々市がそう言った途端、入り口が音を立てて開いた。 「お、茜さん、久しぶり」  入って来たのは、長い黒髪を後ろで一括りにした男――西念だった。 「西念さん、お久しぶりです」  茜はこの男のことが、どうもわからなかった。  明るい印象の野々市と比較して、圧倒的に西念は表情の動きが少ない。口調も相まって、いつも怒っているような印象だ。  彼と相対すると茜は何となく緊張する。口数が少ないのもあるが、端正な顔に滅多なことでは感情を出さないのが恐らく原因だった。 「その後、ご実家は?」  西念は野々市の隣に座りながら茜に尋ねる。 「変わりないです。その節はありがとうございました」  茜がそう言うと、西念は首を横に振って一言「いえ」と言った。  会話が切れた。何を話そうかと迷っていると、野々市が笑い掛けてくる。 「で、例の話、伺っていいですか?トイレの花子さんのこと」  半月前に花子さんを呼んだ経緯や、昨日の出来事を話す。  結局、七海の身体が見つかった、という連絡はまだ茜には入っていない。警察曰く、彼女の落ちたマンホールは下水用で、かつかなりの深さがあり、マンホールの下で流されてしまっていればまず生存は絶望的だろうとのことだった。  マンホールの蓋が外れていたのも、奇妙な理由だった。  その日は近くのマンションで工事が行われていて、その関係で七海の落ちたマンホールを使用する必要があったのだが、午前に工事が終わった段階で蓋は閉めた、と工事業者は言っているらしい。  だが近くの防犯カメラの映像では、茜たちが通る直前――映像が乱れた、その一瞬の間に、マンホールの蓋が外れていた。現在、工事業者は業務上の過失を疑われている。  茜が話し終わると、野々市は首を傾げた。 「事件で人が死ぬのと、その経緯も気味が悪い話だけど――……そもそもが妙な話ですね」 「妙?」 「茜ちゃん、感じなかった?今時、花子さんが、それも大学に出るなんて、ちょっと変わってるよ」  その言葉に、「確かに」と茜は頷く。     彼女も花子さんが大学に出るということ自体が奇妙だ、とは思っていた。その名前を訊いて一種の懐かしさまで感じたくらいだ。  野々市は直後にスマホを弄り始めた。その様子を眺めていると、落胆したような声を上げる。 「うーん、ネットではひっかからないね。大学で花子さんっていったら、ネットにありそうなものだけど」  茜もそれは調べてみた。  だが、茜の大学について出てくるのは『創始者の墓にお参りすると結婚できなくなる』という有名な噂ばかりで、『花子さん』の『は』の字も出てこなかったのだ。 「あと、その花子さんは『呪う』って話ではなかったんでしょ?」 「うん」  沙綺から訊いた範囲では、まじないをすると『花子さんに会える』という噂だった。やった人間が次々殺される、といった禍々しいものではなかったはずだ。  黙っていた西念が口を開く。 「『花子さんが呪う』っていう類話は確かに珍しいかもな」 「でしょ?」 「花子さんの噂の起源は諸説あるが、一九五〇年前後の噂が一番古いと言われている。全国で噂されている花子さんだが、内容は大多数が『返事をする』とか『追いかけられる』、『出てくる』といったものだ。  酷いと『トイレに引き摺り込まれる』なんてものもあるが、それらも花子さんを呼んだ直後に被害に遭うことが多い。  わざわざ校外に出向いて殺すなんて、滅多にない」  西念と野々市の分のコーヒーを運んできた有松教授が口を挟んだ。 「花を撒いて、名前を書いた紙を流す……っていうのも、面白いよね。花子さんって、私の小さな頃からあったけど、呼び出すのにそんな面倒な手順をするのは、訊いたことないなあ」  有松は何歳だったか、と茜は一人思案する。『有松が小さい頃から語られている』ということに、改めて『花子さん』というのは長い間噂されているのだ、と実感した。  西念は持っていたカップを指の腹で擦る。そして、何か言い掛けるように口を開けたが、躊躇うような様子を見せて、そのまま閉じた。 「西念さん、どうしたんですか?」  野々市も西念の様子に違和感を覚えたのか、尋ねる。 「いや、なんでもない」  そう言う西念を野々市は訝しむように横目で一瞥する。  二人の言葉が切れたタイミングで、茜は自分が思っていた疑念を吐き出した。 「その、手順のことなんですが……死ぬ順番はあの紙に関係あると思っていて……」  あの時――未由が紙を切り刻んだ時、その順番は、愛美、沙綺、聡子、七海だった。  聡子こそ飛ばしているものの、他の三人は順番の通りに死んでいる。  話を訊いた野々市はまたしても首を傾げる。 「確かに、三人は順序通りに亡くなっていますけど、聡子さんは除外されていますね」  有松も、コーヒーを片手に悩んでいる。 「花子さんに要因があるのだとして――聡子さんに何か除外される要因があったのかね。何か花子さんが嫌うものを持っていた、とか。お守りを持っていた、とか」  あの時の、聡子の持ち物を思い出す。  いつも持っているA4大の鞄に、オケ用の楽器……その程度だったはずだ。服装については、黒基調でレースの利いたブラウスと、同じ色調のウールのカーディガン。ジーパン、パンプス。淡いグレーのコートを羽織っていたのは覚えている。  その中に、花子さんの嫌いそうなものなど、あっただろうか。  知っている限り、聡子は信心深いタイプでもなく、御朱印などに興味のあるタイプでも無かった。お守りなども、携帯していた記憶は無い。  そもそも、花子さんは幽霊なのだろうか、妖怪なのだろうか。そんな曖昧なものに対して、お守りとかそういったものは効くのだろうか。  思案していると、西念が声を上げた。 「――野々市」  三人で一斉に西念の方を見る。  西念は野々市の目をじっと見つめると、静かに言った。 「お前、茜さんの大学行ってこい」  沈黙が走る。 「――西念さんは?」  野々市は、口の端を引きつらせて西念に尋ねた。  西念は真顔で答える。 「お前、今何の時期か知ってるか?」 「……試験期間」  茜も気付いた。西念はTA(ティーチング・アシスタント)をやっていると訊く。  つまり、レポートや試験の期間は教授の要望次第で出ずっぱりになる。思わず茜が有松の方を見ると、彼は慌てたように顔の前で手を振った。 「いや、私は西念くんの担当教授じゃないからね。頼むなら、民俗学研究室に行ってね」  そうだった、と茜は落胆する。  西念は有松や野々市と仲が良いにも関わらず、社会学研究室の所属ではない。  その辺の事情には踏み込みたくても、茜にはそうできなかった。西念が易々と話すタイプではなさそうな見た目なのが、その原因だ。 「西念さん、僕からも頼みますよ。羽咋教授に頼んでみてくださいよ」  野々市が所在なさげに言う。羽咋、というのが西念の担当教授の名前なのだろうか。  西念に目を向けると、彼は首を横に振った。 「よく考えろ。もし死ぬのが五日ごとなら、あと四日しかない。動くなら早い方がいいが、生憎俺は明日から複数の試験監督業務がある」  西念は、野々市の肩に手を置き「頼んだぞ」と言う。  それを訊いた野々市は、一人、肩を落とした。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加