二.

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   ◇  その夜、茜と野々市は吉祥寺の駅前で西念と落ち合った。  そのまま、近くのカフェへと移動する。  西念の顔色は変わらなかったが、席に着いて早々溜息を吐くあたり、試験監督疲れが溜まっているのかもしれない。  しばらくの間、黙ってアイスコーヒーのストローを咥えていた西念は、ようやくグラスを置いた。 「で?」  開口一番のその言葉に、茜は思わず黙り込む。だが、野々市はそれに怯むことなく、話を始めた。 「まず、『花子さん』についてはいつからあった噂なのかわかりません。サークル棟に通りかかった生徒に確認しましたが、知っていた生徒は三十人中二人。つまり、かなりマイナーな噂だったんです」  野々市はあの後、茜と共にサークル棟の入り口で張り込み、出てくる生徒に手当たり次第、花子さんについて訊いて回った。  ところが、沙綺が言っていたような噂を知る生徒は一人。もう一人は花子さんが出ることは知っていたが、儀式の方法までは知らなかった。  その後、構内で見かけた生徒にも手当たり次第尋ねてみたが、そちらも全滅。 「噂の出どころは?」 「沙綺さんのサークルのことですか?行ってみましたが、試験期間のせいか部員は不在でした。オカルト研究会の専用SNSを見つけたのでダイレクトメッセージを送って確認していますが、SNS自体長く更新が止まってますね。いつ気付くことやら」  野々市はスマホを弄りながら言った。 「……ちなみに、そのサークル棟のあった場所に、以前何があったか調べたか」  試すように見つめてくる西念に、野々市はピースサインを作り、それをピコピコと動かしてみせる。 「そっちもばっちりです……けど、大した収穫は無いですね」  野々市はスマホを取り出すと、メモを広げた。 「構内に資料館があって、昔の大学構内の模型がありました。それによると、メインの建物群は一九三〇年代の女子塾時代からありますが、サークル棟はその時には建っていません。ちなみに昔からの建物については建て替えや増築工事はあったようですが、戦時中も被弾せず今まで無事です」  茜の大学の歴史は、存外古い。  前身は女子塾――戦前の女子専門学校で、当時珍かった女子の高等教育機関でもあった。その創始は一九〇〇年代まで遡る。  資料館の模型は年代別にいくつか並べられていて、構内の建物の移り変わりがわかりやすいようになっていた。  今の場所に移ってきたのは一九三〇年代。それ以前は千代田区の方にあった。  そこからは、生徒数や用途に合わせて、講義棟や研究室などの施設を増改築しながら、今日に至っている。 「今のサークル棟は七年前に改築したもので、元は正門から向かって東の奥にありました。サークル数の増加などで、部屋の増設が必要になり、今の場所に移ったようです。  現在のサークル棟がある場所は、女子塾時代に校舎が建てられてからは、長らく何もなかった場所です」  西念はソファの背もたれに身体を預けると、憮然とした表情で口を開いた。 「……改築前、以前の場所に『花子さん』がいたかはわかるか?」  それについて野々市は首を振る。 「今の在校生の間でさえ、マイナーで曖昧な噂なんです。今日一日で、もっと上の世代はどうだったかなんてわからないです」  西念は溜息を吐いた。野々市に呆れているわけでは無いのだろう、と茜は思う。コツコツと机を叩く様子からも、寧ろ情報が手に入らない状況に苛立っているのだろう。  黙り込む西念に対し、野々市は頬杖をついて話を続ける。 「それよりも僕が気になるのは、何で聡子さんだけ生きてるのか、ですね」  そう言い終わると、カフェラテに口を付けた。  ふと、西念が机を叩く手を止めたことに気付いた。視線を上げると、彼は何か考え込んでいる。 「西念さん?」  野々市が声をかける。 「……茜さん、未由さんから連絡はありましたか?」  西念は野々市の問いかけを無視して尋ねた。  未由からも直接話を訊きたいという彼の指示で、彼女を吉祥寺へ呼び出していたのを思い出す。 「今日は体調も良いみたいなので、来れるそうです」  聡子からのまた聞きだったが、七海が亡くなってから、未由は貧血で病院に入院していたそうだ。気分は塞いでいるようだったが、今日退院して、茜たちの元には来れる、と連絡があった。 「多分もうそろそろ……あ、来ました」  カフェの入り口に未由の姿を確かめると、茜は手招きした。未由は軽くお辞儀をすると、こちらにやって来る。 「初めまして」 「初めまして。西念誠、といいます」 「野々市裕太です。よろしくお願いします」 「安達未由です。よろしくお願いします」  現れた未由は、心なしか顔色が白い。身体も少しふらついているような気がした。 「あ、飲み物を買ってきます」  未由がそう言うと、西念がそれを制して、「座っていてください」と言う。そうして、未由を空いている席に掛けさせると、レジへと向かった。  目を丸くしている未由を横目に、茜は小さな声で野々市に尋ねる。 「西念さん、こういう子がタイプなの?」  野々市は肩を竦めた。 「西念さんって、あんなお高くとまってるけど、体調悪い人とか困った人を見捨てられない性質なんで……」  意外な一面だった。ただの朴念仁では無かったのか、と茜は一人感心する。  そうしているうちに、西念が紅茶を持って帰って来た。それを飲むと、未由は少し落ち着いたようだった。その後、少し談笑すると西念が切り出す。 「一つ、伺いたいことがあるんです」  未由は居住まいを正し、西念を見つめた。 「今回亡くなった三人は、あなたが花子さんを呼び出した時、紙を切った順に亡くなっています。――聡子さんを除いて」  未由の目が見開かれる。それに構わず、西念は続ける。 「俺は最初、聡子さんが『何かしたから』、死ぬのを免れた、と思っていました。けれど、別の視点から見れば、三人が『何かをしたから』、死んでしまったのではないか、と考えたのです」  その言葉を訊いて、未由が俯いた。野々市が驚いたように身を乗り出す。 「西念さん、それ、どういうことですか?今回の件に『花子さん』は関係ないってことですか?」 「いや、『花子さん』の儀式がきっかけになったのは確かだと思う。三人が死んでいるのはそれ以降だからな。  けれど、お前の調査では、『花子さん』の噂は曖昧で、不確実なものだ。  その曖昧な儀式を行った結果、『花子さんでは無いもの』を呼んでしまった可能性はある、と俺は考えているんだ」  西念はそう言うと、アイスコーヒーのストローに口をつけた。  誰も言葉を発さない。未由は苦しそうな表情で、西念が運んできた紅茶を見つめている。  その未由に、西念は追い打ちをかけた。 「未由さん、あなた、何か話していないことがありますよね?」  そう言われ、未由は遂に顔を両手で覆ってしまった。  その様子に耐えられなくなり、茜が背を擦ると、彼女は両手を外した。 「七海が、マンホールに落ちた時に見た、あの影が……麻子に似ているんです」 「麻子?」  尋ねた野々市に、未由は頷いた。 「私が……私たち四人が、高校時代にいじめていた子です」  そこから、未由の懺悔が始まった。  未由たち内進組四人には、高校時代に『麻子』というもう一人の友人がいた。――友人だった、と言い換えていい。  高校二年で一緒のクラスになった彼らは、瞬く間に仲良くなり、それと同じように瞬く間に関係をひずませた。 「麻子は凄く自信のある子で、勉強もスポーツもできました。  同時に、そのことを鼻にかけて自慢することがあったんです。  今考えると些細なことなんですが、愛美がそれを気に入らなかったらしくて。四人で麻子を無視し始めました」  未由は飲み物にも口を付けず、淡々と話す。その顔色は、最初に店に入ってきた時のように、蒼白で、表情を失っている。 「だんだん、エスカレートしていったんです。トイレに入っている時に水を浴びせたり、お弁当を捨ててこっそり土を入れたり、Twitterで名前は上げずに――けれどそれとわかる悪口を書いたり。  ……いじめはクラス中に伝播して、皆でいじめていました」  茜は中学時代のことを思い出した。  違うクラスの女子が、吹奏楽部内でいじめられていたのだが、それも、最初は無視から始まった。  女子に限らず、人の限界を知らない人間というのは、たがが外れやすい。そのいじめも、結局その子がリストカットをして、病院に運ばれたことで発覚し、学年集会に発展した。  いじめは、傷つける側の人数が多くなればなるほど、歯止めが効かなくなる。  いじめのきっかけとなった、被害者が不興を買った理由を延々と持ち出し、「だってあの子が悪い」といじめられている方を攻撃し続ける。  少なくとも、茜が見たいじめはそういうものだった。  未由は目から涙を流し始めた。 「申し訳ないとは思っていたんです。けれどもう、その段になったら、止められる状況ではなかったんです」  ポロポロと涙を流しつつける彼女を、西念はじっと見ている。何も言わない彼を一瞥すると、野々市が声を掛けた。 「その後、麻子さんは?」  未由は首を振った。 「三年生になって、学校に来なくなりました。結局それ以降学校では見ていません。卒業するときに、風の噂で『彼女が自殺した』と、訊きました」  茜は身震いした。  ――自殺。  マンホールで見た、あの影が蘇る。  西念と未由の言う通り、あの影は『花子さん』ではなく、呼び出してしまった『麻子の霊』なのだろうか。  未由はまだしゃくり上げている。 「……今でも、後悔しています。謝ることができるなら、彼女に謝りたい……」  それを訊いた茜は、複雑な心持になった。  大人と言えば教師だけの学校社会。そこでは影響力のある生徒が、右を向け、と言えばそうせざるを得ない場合がある。  未由の様子を見る限り、彼女は影響力のある生徒――亡くなった三人に従う側だったのではないかと、茜は思った。  自分の都合の良いように他人を虐げる人間は、その実『妖怪』や『幽霊』と似ている。他人には見えないよう巧妙に身を隠しながら、度々人に害をなすからだ。いや、寧ろ『妖怪』や『幽霊』よりもタチが悪いのかもしれなかった。  茜はチラリと西念を見る。彼はまだ何か考え込んでいるようで、口に手を当てている。  そして、ようやく顔を上げると、未由に尋ねた。 「未由さん、麻子さんのご実家の住所はご存知ですか?」 「あ……はい」 「教えて頂けませんか?」 「いいですけど……もう引っ越してるかもしれませんよ?」 「構いません。再度確認なんですが、そのほかに、原因に心当たりはありませんよね?」  未由は戸惑うような表情をみせたが、頷く。 「わかりました。……茜さん、未由さん。どちらでも結構なんですが、オカルト研究会のOGに連絡が取れる方をご存知ありませんか?」  未由は首を傾げていたが、茜はサークルのOGに一人、心当たりがあった。 「あ、私いけるかもしれないです」 「できれば明日、野々市が話を訊けるようアポを取って貰えないでしょうか。謝礼はなるべく用意するので」  その瞬間、野々市が確かに「げ」という音を発した。  西念の言葉にそういう訳にはいかない、と声を出そうとした。さすがに無償で調査して貰っている身で、謝礼まで用意して貰うわけにはいかない。  そう言おうとすると、未由が勢い込んで言った。 「いや、その謝礼くらいは、こちらに用意させてください」  西念は黙って、そして、頷く。 「わかりました。とりあえず、皆さんお願いします」
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