三.

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   ◇  翌日の夕方、国分寺駅前のモスバーガーで、野々市と待ち合わせをした。  先に着いた茜が店先で待っていると、駅のコンコースを通り抜ける野々市の姿が見えた。野々市だけかと思ったが、傍らには西念がいて、わざわざ来てもらったことがすまなくなった。 「すみません、無理言って」  会って早々、茜がそう切り出すと、西念が首を振った。 「いや、こちらの判断で適当な結果を伝えてしまった。すまなかった」  頑なだった西念を野々市がどうやって説き伏せたのか気になったが、神妙な面持ちで軽く頭を下げる西念に、茜は手を振って応える。 「そんなことしなくていいですから。こちらこそ、急かしてすみません」 「はいはい、謝り合戦なんていいから、早く中入りましょー」  野々市が小憎い声を上げながら、茜の背を押す。「野々市もグルだったじゃないか」と非難したくなったが、それを飲み込んで店内に入る。  頼むものを決めると、野々市が注文を全て纏めてくれて、茜と西念が先に席に着けるように促してくれた。先ほど憎たらしく感じたことに、少し申し訳なさを抱く。  西念の頼みで喫煙席に入ると、早速茜は尋ねる。 「あの……事件が解決したって、どういうことですか?」  西念は表情を変えずに言う。 「そのままの意味だ。今後、同じような死者は出ることは無い。後にも先にも、これっきりだ」  西念はそう言って、自分で入れてきた水に口を付けた。 「それって、麻子さんの幽霊が成仏したってことですか?」  茜の問いに、西念は目を伏せた。  じっと、グラスの水面を見つめている。 「麻子さんの霊なんて、いなかったんだ」 「え?」  驚いて茜が声を上げた時、野々市がハンバーガーとドリンクを乗せた盆を運んできた。彼は盆を机に置きながら席に着くと、「どういうことですか?」と先を促す。 「結論、麻子さんは生きていた」 「――え」  店内の喧騒が、やけに遠く聞こえる。  土曜の夕方、遊びに来ている人で店内は混んでいるのに、茜だけ遠くに放り投げられたような静けさだった。  西念が「失礼」と断って、煙草に火を点けた。野々市は睨み付けるが、それには構わず、紫煙をゆっくりと吐き出した。  まつ毛の長い、伏せがちのその目に、薄くかかる煙がなんとも美しい。 「……未由さんから教えて貰った連絡先に電話してみると、麻子さんのご両親が変わらず過ごしていた。ダメ元で麻子さんに線香を上げたいと申し出たら、たいそう驚いていたよ。――新手の詐欺かと疑われた」  そう言って、西念は片方の口の端だけを上げた。 「彼女は現在二十三区内の大学に通っている、と伝えられた。二人に頼み込んだら、本人に直接会えるよう取りなしてくれてね。  ――……まあ実際会ってみたら、とても明るいお嬢さんだった」  西念は、灰皿へと煙草を押し付けた。軽く押し付けるだけで、先ほどまで香り立っていた独特の匂いが、残り香へと変化する。 「事件のことは伏せて、四人が彼女に線香を上げたいと言っている、と口から出まかせを伝えると、呆れていた。まだつるんでいたのか、ってね」  コーヒーに口を付けた西念に代わり、野々市が口を開く。 「麻子さんは……今まで何を?」 「彼女は結局、三年の三学期の時点で高校を退学していた。ただ部活の友人とは最後まで交流があったらしくてな。その人たちの励ましで、独学で高卒認定を取得し、去年から大学に通い始めたんだ」 「……そうだったんだ」  未由の話を訊く感じ、いじめられる前の彼女は、自信溢れる女性だったから、それが元に戻ったということだろうか。  自分だったら、高校を退学した時点で、進学もそれに伴う夢も諦めてしまうかもしれない、と茜は自嘲気味に考える。  彼女が自分で道を切り開いたことは、彼女の元来のバイタリティを証明していた。  その一方で、ひとときでもそれを奪い去った、いじめの凄惨さの証左でもあった。 「面白いことに、四人の話を持ち出したら、『いたなあ、そんな子たち』と言う風に話してね。本人は今が楽しくて、すっかり忘れていたようだったよ」  西念はそう言うと、ふ、と笑みを浮かべた。 「でも、未由さんは、麻子さんが死んだって訊いたって……」 「あれは、麻子さん自身が流したデマだ」  西念がバーガーに手を伸ばしながら答えた。ソースで手が汚れないように、器用に包装紙を剥がしていく。 「彼女は一部の友人を除いて、学校関係者と金輪際関わりたくなかった。だから友人に頼んで、嘘の噂を卒業式の直前に流してもらった。そのタイミングであれば、教師の耳にも入りにくく裏取りもされない、と踏んだそうだ」  彼女がそこまでして過去との関係を断ちたかった事実は、茜の心に仄暗く染み入った。  中学時代のいじめの記憶が、ふたたび茜の頭をよぎる。いじめられていた他クラスの生徒も、卒業と同時に遠くの高校へ進学したと訊く。  当時は「これで良かった」と思ったが、いじめられた側のことを改めて考えると、気持ちが塞いだ。 「……そしたら、あれは誰なんですか?」  野々市が、絞り出すように尋ねた。西念は明後日の方を見つめている。  バーガーを咀嚼しながら少し黒ずんだ床を見つめる西念を、茜もじっと見つめた。  西念はバーガーを飲み込むと、口を開いた。 「あれは、未由さんだ、と思っている」  茜は今日何度目か、言葉を失った。  西念はそう言った後も、表情を変えない。バーガーの包みを置くと、目を閉じ、静かに息を吐く。 「だが、明確に『これ』と定義できるモノじゃない、とも思ってる。生霊にも似ているが、きっかけはあくまで儀式だ」  ――生霊。  つたない知識を茜は辿る。生きている人間が、恨みや妬みを募らせた相手に無意識に飛ばしている怨念のようなもの、だった気がした。 「でも……生霊だったら、麻子さんが原因の可能性の方が高いんじゃないですか?」  野々市のその質問はもっともだった。  元々、いじめられていたのは麻子だ。    あの柔らかい雰囲気の未由が、特に理由もなく、あの三人を殺すような禍々しい何かを作り出したとは到底思えなかった。 「確かにその線は捨てきれない。けれど、未由さんだという線の方が濃厚なんだ」 「なぜですか?」  茜は自分が半ばムキになっていることに気付く。未由とは最近知り合ったばかりなのに、同情している自分がおかしかった。 「――彼女が、『まじない』を行ったからだ」  西念が静かに言った。 「まじない?花子さんの儀式のことですか?」  茜の問いかけに、西念は頷いて続ける。 「そもそもの話、あの儀式は奇妙だった。辻褄が合ってなかったんだ。まず『水に何かを流す』行為は、ケガレを祓うことと関係が深い。それが何故、花子さんの降霊に繋がるのか、よくわからなかった」  西念の言っていることを汲み取れずにいると、野々市が尋ねた。 「流し雛と同じで、悪いことを祓う意味があるのに、何で花子さんを呼ぶことに繋がるんだ、ってことですか?」 「そうだ」 「流し雛?」  首を傾げて野々市の方を見ると、野々市は頬を掻きながら照れたように笑う。 「僕も曖昧なんだけどね。確か人形に息を吹きかけて穢れを移して川に流し、自分に憑いた悪いことを流してしまうっていう行事」 「なるほど」  西念は野々市の説明に対して無言で頷いた。野々市が得意げにニヤリと笑う。  そんな彼にはもう構わず、西念は先を続けた。 「もう一つ。名前を書いた紙を切り刻んで、塩と一緒に流す行為。あれは一時期、ネットで流行っていたまじないにそっくりだった」 「どんなまじないなんですか?」  野々市が聞くと、西念がじっとこちらを見た。 「人の名前を書いた紙を切って、塩と一緒にトイレに流す。  ーー縁切りのまじないだ」  あ、と茜は声を上げた。築城さんが言っていた、『大学で流行っていた』というまじない。それは、これのことだったのかと思い至る。  茜の脇で、野々市がああ、と声を上げた。見ると、心得たように頷いている。  茜は、なぜ野々市が頷くのか理解できなかった。縁切り、と言えば別れたい彼氏とか、嫌な上司とか、そういう自分に害を与える人との縁を切る効果だったと思ったが。しかも、人が死ぬなんて訊いたことがない。  そんなことを考える茜を傍目に、野々市が言う。 「縁切り神社と同じですね」  再び理解の追いつかない単語が出てきて、首を傾げる。茜が視線で説明を求めると、野々市は肩をすくめて続けた。 「縁切りに限らず強力に願いを叶えてくれる神社があるんだけど、曖昧な祈りでお願いしてしまうと、願いを叶える力が強力過ぎて、とんでもない方法で叶っちゃうんだ」 「例えば?」 「例えば、恋人と縁を切りたい、と願ったら、相手が死んでしまったりする」  まあ眉唾だけどね、と野々市が冗談めかして言うと、意外にも西念が反応した。 「……学部時代の温厚な友人が、凄い所を知っている、と言っていたな。耐えられないくらい嫌な奴がいると、家族に頼んで、その神社の辻に人型を埋めて貰うそうだ。そうすると、するすると相手がいなくなる(・・・・・)」  それを訊いた野々市は、ひい、と声を上げた。茜も思わず唾を飲み込む。 西念がこちらに向き直った。 「あの花子さんの儀式の本質は、『記名された名前の人物』との縁切りを願うまじないだ。お前たちが先日訪ねた築城さんの言う通り、花子さんの呼び方は元々あの方法じゃなかった。  それが、数年前にあの『まじない』が流行った時に、花子さんの噂と混じってしまった可能性はある。  ーーどちらも、同じ『トイレ』で行うからな。  オカルト研究会であれば、そういう噂には敏感だったろうから、それが定着してしまった。今回、そうとは知らずに沙綺さんは『花子さんを呼び出す方法』として実験してしまったんだ。  そして、その『まじない』の実行者になった未由さんの気持ちに触れて、縁切りの効力を盛大に発揮してしまった可能性はある」  西念はそう言うと、再びハンバーガーを齧った。  理屈はわかった。だが茜にはまだ疑問点が残っている。 「なぜ、未由さんがそのまじないを行うと、友人三人が死ぬことになるんですか?」  その問いに対して、西念は黙った。隣でハンバーガーの包みを開きながら、野々市が尋ねた。 「……未由さんは三人を恨んでいた、ということですか?」  西念が首を縦に振ったのを見て、茜は頭を抱えた。 「また何で」  ジンジャーエールを飲んでいた野々市が言った。 「僕も疑問です。だって、未由さんはいじめる側でしたよね?」  西念は少しの間、黙っていた。店内BGMが、やけに大きく聴こえる。 「未由さんは高校時代、麻子さんのいじめの実行犯だった」 「え」  声を上げたのは野々市だ。だが、茜は野々市が驚いた気持ちがよくわかった。本来、彼女がそういったことに手を汚すとは、到底思えないのだ。 「勿論、それは亡くなった三人に命令されてのことだった。麻子さんに訊いた話だと、確かに四人は全員で麻子さんをいじめていた。  けれど、それは無視や、悪口といった範囲の話だ。  亡くなった三人は、麻子さんの身体や所有物に危害を加える時――例えば、階段から突き落としたり、スカートを切り刻んだ時、またはトイレで彼女に水を浴びせた時、決して自分の手を汚さなかった。  ――それら全てを、未由さんにさせたんだ」  茜は声の出し方を忘れた。野々市も、口を開けて言葉を失っている。 「頭の回る奴らだった、と麻子さんは言っていた。彼女たち三人にとって、未由さんは自分たちの所業がバレてもいいような、保険でしかなかった。  麻子さんがグループに入る前から彼女たち四人はつるんでいたが、その頃から未由さんは三人にいいように使われていた、という。  万引きさせられたり、からかわれたりな。傍から見ると、それこそいじめにしか見えなかったそうだ。  一度、麻子さんは未由さんに『辛くないか』と尋ねたが、『私がどんくさいから悪いんだ』というようなことを言っていたらしい。つまり、未由さん本人もその友人関係に疑問と辛さを感じつつ、そこから離れられない状態にあった、ということだ。  麻子さんはだんだん嫌気が差して、未由さんをいいようにする三人に嫌悪感を示したそうだが、そうするといじめが始まった」 「それって」  その先を、どう続けるべきか、茜にはわからなかった。  未由は確かに加害者だった。だが、同時に被害者でもあった。しかも、長年。下手をすれば高校に入る以前から、今までだ。  派手ないじめには遭ってこなかった。けれど一方で、長く、細く続いたそれは、彼女の中で楽しい友人関係にはなりえなかった。  発するべき言葉が、浮かんでは消えて、浮かんでは消えてを繰り返していると、西念がもう一本、煙草に手を伸ばした。ジッポの擦れる小気味よい音がして、紫煙があたりを流れる。 「茜さん、これは正直言いたくはない。けど、訊いてくれないか?」  西念の言葉に、茜は顔を上げた。 「今後、未由さんとは関わらないほうがいい」  茜は絶句した。ようやく「何で」と尋ねると、西念は鋭い視線を茜に寄越した。ふざけているわけではない。彼は真剣だった。 「未由さんが切ったのは自分を含めて五人分の名前。しかし、その中で真に『縁を切りたい』と願っていたのは死んだ三人だ。  今回は美由さんが、茜さんと聡子さんに恨みを持っていなかったから亡くなることはなかった。  けれど、あのまじないの効力は、いつまでかわからない。今後彼女の不興を買った場合、まじないが発動しない保証は俺にはできない。茜さんが死ぬことだって、可能性としてあるんだ」 「そんな……」  西念にそう言われても、あんなまじない一つで彼女の祈りが三人を殺したとは、到底信じがたいことだった。  迷いの色を滲ませる茜に構わず、西念はもう一度煙を吸い込んだ。それを吐き出すと、静かに語りだす。 「茜さんが見た女は、髪が長かった、と言ってたな?」 「そうですけど」  茜は脳裏にあの日のことを思い浮かべた。その途中で、西念の言葉が思考を切った。 「麻子さんは今、明るい色の、ショートヘアだ」  流れるような、黒い髪がフラッシュバックした。気味が悪いのに、美しささえ感じるあの髪は、確かにショートヘアではない。  未由の持つ髪と、よく似た長さだった。  茜には、もう何も言えなかった。  あれは未由本人ではない。ーー彼女に似た何か。  そうだとわかっているのに、彼女と一緒にファミレスで食事をする日はもう来ないのだ、と悟った。  その時、感情を抑えた、しかし尖った声が隣で上がった。 「西念さん、何でそのこと未由さんに言わないんですか?」  茜は、そう言葉を発した野々市を見つめた。同様に野々市を見つめながら、西念も黙っている。 「おかしいじゃないですか。彼女は麻子さんをいじめた加害者でもあります。それを、彼女自身も被害者だからといって、彼女が生んだ醜い情念から目を逸らさせていいんですか」  野々市が一気に言った。彼の眼には、先日電車に乗っていた時のような、怒りの色が揺らいでいた。西念の方も、さも「だから言いたくなかったんだ」とでも言いたげに、盛大に溜息を吐いた。眉間には深い皺が寄っている。  二人の間の険悪な空気に茜はどうしていいかわからず、おろおろと視線を右往左往させる。  だが、西念がその眉間の皺をふいに緩ませた。 「……今回彼女は、誰の名前を書いた紙を切った?」  その問いに茜はすぐに答えることはできなかった。野々市も同じなようで、軽く息をつく音をさせた後は黙っている。  その様子を見て、西念は続けた。 「彼女は、自分自身の名前も切っている。  ――野々市。お前、あの人が苦しむだけで終わると思うか?」  野々市は黙ったままだ。その目には、先ほどのような怒りの色は見えない。 「このまま今日彼女が死ななければ、俺の推測は裏付けされ、いくらでも真実味をもってこの話をできる。  あんなまじないを、人を死なすくらいの恨みに変換できる人間なんだ。俺の責め方次第では、未由さんはいくらでも自分を恨むし、破滅に向かうだろう。  彼女がどうなってもいい、と真にお前が思っているのなら喜んでそうしよう」  けれど、と西念は継いだ。 「その覚悟がないなら止めろ」  野々市は押し殺したような表情をして黙りこんでいる。しばらくすると「頭を冷やしてくる」と言って席を立った。  ここに来て、茜は彼が事件を内々に終わらそうとした理由がなんとなくわかった。  こうなること(・・・・・・)が嫌だったのだ。  彼の下した決断は、人によってはなかなか噛み砕けないものだ。それをわざわざ他人に伝えることのリスクを、彼が取りたくなかったのだろう。  狡い人間だ、と感じた。  西念はただ黙っている。  茜は何を言っていいかわからず、盆に残ったハンバーガーを眺めることに終始する。  西念が身動ぎしたのに気付き、顔を上げると、彼は窓の外を見ていた。  長い指に挟まれた煙草は今にも燃え尽きんばかりに短くなっている。火傷しないか心配で話しかけようとした時、先に西念が口を開いた。 「『私は逃げた。それに後悔は無い』って、麻子さんは言ってたよ」  ぽつりと言った西念は、そのまま遠くを見続けた。  西念の視線を追って、窓の外を見る。  モノトーンの建物で囲まれたロータリーを、西日が照らしていた。  その周辺に点在する花壇も、今は寒々しく土肌をさらしている。  ――春は、まだまだ遠い。  それが今は、無性に悲しかった。     ◇  数か月後、茜は構内で久しぶりに彼女を見かけた。  入学式も済み、新入生で構内が沸く頃だった。  桜の花びらが散る中、茜は、聡子と一緒に受ける予定の授業へ急ぐ。  正門を通り過ぎ、風で芝生の青い匂いが巻き上げられる中、正面のレンガ棟を目指す。  反対に、とある一団がわらわらとレンガ棟から抜けてきた。そこそこの人数だ。避けながらすれ違う時、何気なくその集団に目を向けた。  ――彼女がいた。  長かった髪はバッサリと、うなじのラインで切り揃えられていた。  ボブに、緩くウェーブが掛かった髪は、緩やかに舞う花びらの気配を纏い、黒く鮮やかに、風に揺れている。彼女は周囲の友だちに、花開くような笑顔を向けながら、その場を去っていった。  その姿を見て、茜の足はしばし止まった。  ゆっくりと、別の講義棟へと吸い込まれていく彼女を、視線で追う。  どこか切ないような、やるせないような気持ちと、「これで良かったのだ」という気持ちが綯い交ぜになった。  気持ちを振り払うように、茜は踵を返した。  そうして古い校舎の中へと歩みを進めた。
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