一.

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一.

 野々市は、その丸い目を更に大きく見開いた。  隣にいる茜のところまで、生唾を飲む音が聞こえてくる。  門での手続きを終え、改めて敷地に対峙すると、ロータリーのような形をしたアスファルトの小径と、それに囲まれた芝生の広場が現れる。  五十メートルほど奥には、レンガ造りの講義棟があり、それをかわして左手に進むと、無機質な建物群が建っていた。勿論、この見える範囲だけでは無く、奥の方に学部ごとの講義棟や、研究棟も別で設けられている。  それらコンクリ製の建物とは異なり、正門正面にあるレンガ造りの講義棟のみが、この学校が開校した大正と昭和の狭間の名残を残していた。  徒歩で移動するには広く、自転車で移動するには狭いこの大学は、都心の大学へと通学する野々市には珍しいらしい。その証拠に彼は、辺りを見回して首を振るばかりだった。何もかもを珍しがる彼と同じく、周囲を歩く女性たちも奇異の目で野々市を観察している。  それもそうか、と茜は心中で呆れ気味に納得する。  彼の大学を先日訪ねたが、確か端から端を歩くのに、五分かからなかったはずだ。それからしてみたら、ここは大層広いだろう。  それに加え、彼の大学では女性しかいない(・・・・・・・)状況なんて起こりえない。  吐き出しかけた溜息を飲み込んで、茜は野々市に声を掛ける。 「野々市くん、ちょっと挙動不審過ぎるよ」  そう指摘すると、野々市は少し身体を揺らして、肩をすくめた。その姿は小動物のようで、同い年の男子学生とはとても思えない。  頭を掻いて茜の方を向いた野々市は、少しはにかんだ。 「いや、だって、女子大に入る経験なんて、初めてだし……」  そう言って頭を掻く彼を見て、茜は今度こそ大きな溜息を吐いた。  調査員がこの調子で、私たちがかかった『花子さんの呪い』は解けるのだろうか?     ◇  聡子が茜に声を掛けて来たのは、一月の初めのことだった。  所属するラテン音楽サークルを中心に学校生活を送る茜にとって、聡子は数少ない学部の友人だ。  聡子も、学内と学外のオーケストラサークルにそれぞれに所属する多忙な女だった。サークルに対する姿勢が同じせいか、互いに授業に出れない時に協力できる、気楽な仲間だ。  そのはず、だったのだが。 「茜、ねぇ、お願い」 「嫌」  そう断り、講義室から出ると、中庭に向けて開けた回廊に出る。夏季には青々とした芝生や、見目鮮やかな花で溢れるそこも、今は乾いた濁色を纏って、鮮烈さに欠けた。  聡子はいなくなったか、と背後を伺うと、驚くべきことに、まだ彼女は茜の斜め後ろを着いてきている。 「ねぇねぇ、茜、三年になったら文化人類専攻になるんでしょ?そしたら、ちょっと参考になったりしない?」 「いやいやいや、研究内容が異なれば、全くの畑違いだからね。オカルトと文化人類学を一緒くたにしないでよ」 「いや、それは……わかるんだけどさぁ」 「じゃあ、いいね」 「待って!後生だから!」  その言葉を聞いて、茜は立ち止まった。回廊には、冷え冷えとした風が吹き込む。  その差すような寒さと、聡子の頼みに、茜は溜息を吐いた。  聡子が依頼――もとい、相談してきたのは、茜の苦手なオカルト関係の相談だった。  どうやら、彼女のサークルの友人のうち一人が、数人で『花子さん』を呼ぶらしい。  大学で花子さんを呼ぶこと自体、耳を疑った。茜にとって花子さんといえば、小学校のトイレに出るおかっぱの少女、くらいの認識しかない。  それだけでもおかしいのに、主催であるオカルト研究会の女学生が、友人たちだけでなく、第三者の証人が欲しいと言い出し、聡子に白羽の矢が立った。  聡子は面白そうだからと、首を縦に振ったのは良いものの、急に心細くなった、と言うのだ。 「でも、オケ部の友だちが一緒にいるんでしょ?他に私が居なきゃいけない理由あるの?」  そう問うと、彼女は茜から視線を逸らす。  聡子の願いを無碍(むげ)に断ることはしたくなかったが、茜は去年の夏に経験した事件を機に、オカルトめいたことに無闇に首を突っ込むことは、避けていた。  あの時はたまたま、茜の父の友人の教え子たちが助けてくれたからどうにかなった、と茜自身は感じていた。運が良かっただけなのだ。  別に自分で無くても良いなら遠慮したい。茜は率直にそう思った。  聡子は視線を逸らしたまま、肩を落とす。 「そのオケ部の友だちは、そのオカ研の友だちと元々友人なの。だから、他にサークルの友だち誘おうと思ったんだけど……こんな変な会に参加してるって思われたら、嫌で……」  その言葉を訊いて、茜は断れない自分に嫌気が差した。  聡子の言い分が、何となくわかってしまったのだ。  同じサークル仲間に誘われたイベントでも、他の友だちに参加すると知られたくないものもある。下手に誘って断られるのは避けたい事案だったのだろう。  断られた上に、もしサークル内で噂なんてされたら溜まったもんじゃないからだ。  ――気楽な関係、と呼んだのは自分だったと、茜は思い出す。 「……わかったよ。一緒に行く」  茜が渋々そう言うと、聡子は嬉しそうに破顔した。 「ありがとう!恩に着る!」  そう言って抱き着いて来る聡子に、茜は柔らかな溜息を吐いたのだ。
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