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第一話 黄巾の乱
一八四年春、その日は晴れやかな日であったが、天が急に騒めきだした。鳥は山へ逃げ、狼や鹿、虎でさえも隠れその変調に怯えた。太平道の教祖張角を指導者とする、太平道の信者が各地で起こした農民反乱が勃発していた。目印として、漢王朝の転覆を暗示した
『蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉』
という文字を掲げた軍旗を持ち、黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた賊が、荊州全土で暴れまわった。
日中であるのに、辺りが日食で真っ暗になったのだ。襄陽には、黄巾の乱の魔の手がすぐそこまで延びているとも知らず、民衆は、いつものように、生業をし商人が街を行き来していた。そんな、南郡中盧県の賑やかな城下街の外れの一角で、土地の豪族である、廖氏の邸宅では、一大事と言わんばかりに侍女たちが、右往左往しており、旦那は入り口を行ったり来たりしていた。皆が見守る中、廖淳(りょうじゅん)は生まれた。両親から抱かれ、幸せそうだった。有力豪族の子が生まれたということで、周囲にも祝いの声が聞かれた。
その頃、荊州南陽では、黄巾が荊州の乱により賊に侵略され、老若男女問わず、惨殺され生き残ったのはわずか一割だったという。その流れで、襄陽中盧県にも賊の魔の手は伸びていた。廖淳は、親戚の者に厩の藁の中に隠され生き延びたが、両親、親戚共々皆殺しにあった。邸宅も焼かれ、金銀財宝は、皆略奪されていた。黄巾賊討伐のため、荊州兵が立ち上がり、何とか城外へ賊を追いやった。その後、皇甫嵩将軍率いる漢の官軍が平定にやってきて、難は逃れた。
廖淳は、厩からある者に拾われていた。名を、龐徳公という荊州襄陽郡の名士であった。この度の乱の鎮圧にも私兵を動員し討伐へ向かっていった。
「おお、親友、廖氏の子がまだ生きておったか。生まれたばかりのこんな赤子が、こんな目に…… いったい、この乱世はいつ終わるのだ」
「兄上、どうしたのですか?」
弟の龐昂が駆け寄ってきたが、子どもを見るや、
「兄上、身寄りも無くなった赤子など、もう生きる力も無いでしょう。どうなさるおつもりですか」
「うむ、我が家には、兄弟や子もおるしなぁ……」
弟の顔を見るなり、預かってくれと言わんばかりに赤子を寄せてくる。
「いやいや、兄上!」
「では、昂よ、今日からお前が父となり、兄となるのだ、よいな」
邸宅に来てから、下女や親族に赤子の世話をしてもらいながら困り果てていた龐昂に、司馬徽が訪れてきた。
「日食の日に生まれた身寄りがない子とな…… これは、主が良ければ大物になるやもしれぬ」
「水鏡先生、お久しぶりです! まったく、兄は困りましたよ。しかし、豪族と言えど、庶民の家の厩で拾った子など、大物になどなりますかいな」
司馬徽は、髭を擦り笑いながら、
「良いぞ、良い」
と言って去っていった。龐昂は、溜息を吐き、まだ、結婚もしていない俺が、子どもを持つなんて、と不平を感じていた。
黄巾賊と漢官軍との戦いは、冀州広宗で激しくぶつかった。病を隠して戦っていた、天公将軍張角が倒れた。その後、見る見るうちに黄巾賊の求心力も無くなり、弱体化し官軍に圧されるようになった。黄巾賊の頭目達も、次々討たれ、最後は、張角の弟である張宝が、小さな城に籠城したが、最後には、皇甫嵩と朱儁の軍に鎮圧された。
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