2話

9/12
前へ
/68ページ
次へ
 ◆  一人教室に取り残された光は、少しの間柚希が出て行ったドアを見つめる。その後、はあ、と小さく息を吐いて、押された拍子に尻餅をついてしまって汚れたズボンを払いながら立ち上がった。 「……まずいこと、言ったのかな、俺」  光がまた柚希を怒らせたのは態度を見ていれば明らかだった。しかし、光には柚希が怒った理由が分からなかった。  柚希に対して、自分の癖とはいえ、勝手に楽しんでドラムを叩いていないと言ったことは光も反省している。心の底から楽しんでいない演奏を聴くのが少し辛かったことも、思わず口に出してしまった要因だったが、それが事実だとしても、触れられたくないことは人間だれしも持っている。  だが、まさに今柚希が教室から出て行った理由はそれとは違う。なら、柚希を怒らせた言動が光にあったはずなのだ。  それが何なのか、光には皆目見当もつかなかった。  柚希がさっきまで座っていた椅子に腰掛け、ピアノと向かい合う。  先ほどの曲が光にとって最高の曲であるということに偽りはない。皆に聴いてほしいと思ったのも本心だ。  だが、それ以上に知りたいことがあった。  柚希はどんな気持ちで、どんな思いを込めて、あのメロディーを考えこの鍵盤を叩いていたのか。こんな狭い、誰も来ない教室でたった一人、自分だけの世界に入って。  だから、光は柚希にしつこくせまったのだ。何度もあの曲を聴いていれば、あるいは弾いていれば、少しでも柚希の隠している気持ちが分かるような気がしたから。 「弾いてみようかな、さっきの曲……」  独り言をつぶやきながら、鍵盤に指を乗せて記憶を頼りにメロディーを紡ぎ出した。  強烈に脳内に刻み込まれたその旋律を、寸分狂わず響かせる。  だが、違う。何かが違う。やはり、柚希でないとこの曲の良さは出ない。 「……もう一回、聴きたいな」  手を止めて椅子に手をつき、染みだらけのくすんだ天井を見上げて光はぽつりと零した。
/68ページ

最初のコメントを投稿しよう!

77人が本棚に入れています
本棚に追加