デリバリーサービス

1/1
14人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 まったく、とんでもない世の中になったものだ。  どこもかしこも営業自粛で、パチンコ屋も飲み屋も軒並み休業、俺にとっての人生の楽しみの半分以上が、あっという間に町から消え失せた。これではSTAY HOMEとか言われなくても、外に出かける気にもならない。更に職場でもテレワークが導入されて、外出の機会が一層減ってしまった。  おかげで殆ど日がな一日中家にいるようになった。とは言え、人間何か食わなければ生きていけないから、偶に買い物には出かけるわけだが、料理の心得の無い独身男としては、結局、一番近いコンビニの弁当ばかり食べている。こんな風になる前までは、馴染みの飲み屋を定食屋がわりに使って、会社帰りにちょくちょく寄っていたものだが、今やそういう店は全て休業中だ。テイクアウトに対応してくれる店は、ここから結構距離があり、そこまで歩くのも億劫なので、結局全てコンビニで済ませているのだが、流石にもう飽きて来た。まったく、気ままに町を歩けないというのが、こんなに窮屈なものだったとは思いもしなかった。  近所の人たちも多かれ少なかれ似たような思いをしてるみたいだ。俺の隣の部屋の住人は夫婦と小学生の子供一人の三人家族なのだが、子供も学校が休校になってしまったために、一日中家にいる。急に学校に行けなくなって友達にも会えなくなったし、偶に外に行って遊んだら遊んだで、やれ子供の声がうるさいの、密集してるのと文句をつけるやつ、果ては警察に通報する輩までいるらしい。どこにも行き場がなく、ひたすら我慢を重ねるしかないが、まだ小学校低学年では、なかなか理解は出来ないのだろうな。最近はいよいよストレスが溜まってきたらしく、泣きながら駄々をこねる声が頻繁に聞こえてくる。そして、それを懸命に宥める母親の困惑した声も、まる聞こえだ。親子共々可哀想だと思う。どうにかならないものだろうか。  今日は久方ぶりに買い物に駅の方まで出た。なんとなく町の様子も様変わりして、人通りも車の数も減っている。一方で、デリバリーサービスの車両が急に増えたように見える。良く見かけるサービス会社のロゴが入った、黒いボックスを背負った若者たちが、颯爽と自転車を漕いでいる光景が頻繁に見られるようになった。ピザやバーガーや弁当屋なんかの宅配車両の数も増えたように思える。こういうご時世、流行ってるんだろうな。  だが、どうも俺はこのデリバリーというものが昔から好きになれなかった。自分の口に入るものを、現物を見ないで、しかも売り手の顔も見えない状況で買うということに、何となく抵抗感があったのだ。途中でどんな環境を経由して家に届くのかも分からないわけだし、そこはかとなく不安なものを感じていた。一方で、そんな自分が世の中から立ち遅れているのかなあ、という迷いもあったのだが。  たまたま買い物帰りに通りがかった民家の玄関先から、作業服姿の男性が二人がかりで大きな箱を持ち上げるところを見た。黒くて四角い箱に、業者のロゴマークが入っていて、町でよく見かける自転車に乗った兄ちゃんが背中に背負っているあの黒い箱によく似た感じだ。だが、あれの二倍以上の寸法がある。容積にしたら10倍以上だろう。あれじゃあ、とても背中にしょって自転車で宅配するなんて無理だろうな。ロゴも微妙に違うようだ。デリバリーサービスが流行ってるから、新規参入してきた会社なのかな。先行する会社のパッケージやロゴを真似るという、パクリ寸前の二番手商法みたいなやり方は昔からあったし。  黒い箱に書かれたロゴをちらっと見ると、Weeeeeeetと書いてある。Weeeeeeet……We eeeeeeat?……“食うぞー!”って感じかな。それを配達員の男性が重そうに持ち上げて二人がかりで車に積み込んでいた。  部屋に戻ると、おりしも隣の子供が泣き叫んでいるところだ。いつものように外に出たいと駄々をこねている。口を全開にして泣きわめく子供の声は、遠慮も何もないから相当にうるさい。母親の方も「しょうがないって言ってるでしょ!何で我満できないの!いい加減にしなさい!」と大声でしかりつけるようになってきた。もう余裕が無い感じだ。その後に続いてぼそぼそとした男性の低い声が何か言うのは父親のものか。それに続いて「あたしだっていっぱいいっぱいなのよ!急にあんたの昼メシまで作んなきゃならなくなって、もう、本当に勘弁してよ!」とヒステリックな母親の怒鳴り声が聞こえる。完全な騒音公害だ。これから少々込み入った案件のメールを打たなきゃならんってのに、これじゃ集中できやしない。勘弁してほしいのはこっちの方だ。集合住宅なんだから、少しは配慮してほしい。  ひととおり仕事が落ち着いてから、Weeeeeeetというデリバリーサービス会社を検索してみた。ウィートと言うそうだ。  ここは単にユーザーとレストランをマッチングして宅配をアレンジするだけではなく、自前で弁当も作っていて、出前もするらしい。もっともメニューはまだハンバーグ弁当とカレーライスくらいしかないみたいだが、とにかく税込み配達料込で390円というお値段は十分に魅力的だ。もともとリサイクルビジネスから出発した会社だそうで、食材を無駄にしたくないという発想のもと、色んな所から余った食材を貰ってきて、自ら再加工して料理として提供するということもするらしい。一般家庭の余った食材まで引き取ってくれるそうだ。さすがに生ごみは引き取らないだろうが、少々鮮度が落ちたものくらいならOKらしい。それはそれで引き取ってきちんと選別の上、安全に再利用出来るものは使用し、それが出来ないものは、自社農園の肥料に使うそうだ。食品ロスを可能な限り少なくしようとする姿勢には何となく共感が持てる。そうか、昼間見た大きな箱は、一般家庭から不要食材を引き取るサービスに使っていたんだな。何となく興味を惹かれた。  今日もまた始まった。隣家の子供が火のついたように泣き叫び始めたのだ。まったくうるさいガキだ。だが、母親のヒステリックな怒鳴り声もそれ以上にうるさい。「まったく!いい加減にしてよ!ギャアギャアうるさいんだよ、黙れこのクソガキ!」 お前もうるせえんだよ、クソババア!大体、手前のしつけが悪いからこんな出来の悪いクソガキに育ったんだろうが。何も出来ない無能な父親にも腹が立つ。手前が無能だから収拾がつかねえんじゃねえか。ああ、もう全てがイライラする!クソガキもクソババアもダメおやじも、手前らみんな消えてなくなっちまえ!  今日、俺は初めてウィートのデリバリーサービスを頼むことにした。  前にも言ったように、俺はどうもデリバリーというものを、今一つ好きになれないでいた。だが、もはやそうも言っていられなくなってきた。近所のコンビニの弁当は全て一巡してしまって、もうすっかり飽きてしまったし、テイクアウトの店まで歩くのも億劫だ。ここはひとつ、思い切ってデリバリーを試してみるか。そう決めた俺は、ハンバーグ弁当を頼んでみることにした。  住所、氏名、連絡先を入力、クレジットカードナンバーを入れ、配達時間を2時間後に指定して注文する。  人生初のデリバリーに、軽くテンションが上がりながら待っていると、きっかり2時間後にチャイムが鳴った。 「こんにちはー、ウィートです。お弁当お持ちしましたー」  ドアを開けると、でかいマスクを付けた上に、フェイスシールドまで被った配達員の兄ちゃんが、弁当の袋が乗った小さな台をドアの少し手前に置いて、後ろに下がって立っている。ご苦労様と言って袋を取り上げると、有難うございました、と早口で言ってその場で一礼した。なるべくコンタクトを避けるためにこういうやり方をしているらしい。代金はカードで決済済みだし、弁当以外に物のやり取りは無いわけだ。俺が部屋に入ると、ドアの向こうで台をたたむカチャリという音と、小走りに立ち去る足音が聞こえた。  受け取った弁当は、まだ十分に温かい。袋の隙間から美味そうな匂いが漏れてくる。早速取り出してみる。容器の真ん中に、茶色いデミグラスソースをたっぷりとまとった大きなハンバーグがどっしりと鎮座してる。見事な大きさだ。早速食べてみる。出来立てでまだ十分ほかほかしているから、温めなおさず、いきなり食べる。テーブルの上に置いたプレートの透明なカバーを外した途端、美味そうな匂いが立ち上る。期待とともに分厚いハンバーグのど真ん中にナイフを入れて、肉汁の滴るやつを口に放り込んだ途端、俺の口中に素晴らしい旨味が広がった。ほのかに甘みさえ感じさせるような肉はとんでもなく柔らかく、そのまま口の中で溶けていってしまいそうなくらいだ。俺は夢中で口と手を動かして、ものの五分もしないうちに目の前のプレートを空にしてしまった。これで390円だなんて、申し訳ないくらいだ。これからちょくちょく頼むことにしよう。もう少しメニューが増えないかな。  今日、外出から帰ってみると、マンションの前の道にウィートのミニバンが停まっていた。どこかでデリバリーを頼んだのかな、と思って見てると、丁度うちの隣の部屋の前から、いつか見た大きな箱を、二人の配達員が重そうに持ち上げるところだった。ああ、隣家もここを使ってたのか。配達員があの箱を持って帰るってことは不要食材を引き取ってもらってるんだろうな。自分の周囲にそういう光景を見ると、こういうサービスが色んな所に浸透し始めているのを実感する。  これを機会に俺も料理に挑戦してみようかな。独身者としては、どうしても食材を余らせてしまうことも多いかもしれないが、そうなったら、ああやって引き取ってもらえばいいわけだ。それが世の為人の為になるのなら、一応納得感もある。まったく、ビジネスのチャンスは色んなところに転がってるものだ。  この頃は、それなりに世の中も落ち着いてきた感じもするし、段々と平穏な日常ってやつが戻ってくるんだろうな。まあ、世間の急激な変化に大変な思いもしたが、このままなんとなく収まるところに収まっていくんだろう。まだ時々違和感を感じることもあるけど、これも“新しい生活様式“ってやつか。  違和感と言えば、あんなにうるさかった隣家から、最近は子供の声も母親の怒鳴り声も、さっぱり聞こえてこなくなった。まあ、いいか。平穏な生活が戻ってきたんだから…… [了]
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!