セバスチャン

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 先週、俺のロボットが壊れた。  朝起きたら動かなくなっていたのだ。最近は急に停止することも多かったから、覚悟していなかったわけではない。でも俺が眠っているあいだに壊れてしまうのは予想外だった。ほんの少しでいいから動いてほしくて、ここ数日、俺は動画を撮り、メーカーに連絡し、いじれるところを全部いじってみた。それでもロボットは動かなかった。何もしゃべらず、ただひたすら重い塊になって、腕と足をかかえてうずくまっていた。そのうちメーカーから連絡が来た。  この結晶ロボットモデルは廃版で、動作停止は寿命によるものです。  メーカー引き取りを選ぶと最新版の種結晶キットが割引購入できます。ご購入されますか?  俺はしばらく考えてから「はい」を押した。すぐに、機能停止したモデルとひきかえに、本日中に種結晶キットをお届けしますというメッセージが来た。俺が壊れたロボットをみつめているあいだに運送業者が到着した。2時間かからなかった。  業者は無表情で重いロボットをプラスチックの箱に押しこんだ。蓋をしめるまえにその首がかくんと垂れるのを俺は見届けて、ひきかえに手のひらに載るくらいの箱を受け取った。  こうしてセバスチャンはいなくなった。  セバスチャンは俺がはじめてつくったロボットだった。慎重に種から結晶を育てたのだ。  結晶ロボット作りが流行ったのは俺が中学生の頃で、流行が廃れたいまは種結晶キットを売る会社も少ないが、あのころはものすごく流行った。ロボットは小さな育成桝に種結晶が植えられた状態で届く。最初は本当にただの小さな結晶で、綺麗なものでもない。でもマニュアル通りに辛抱強く手をかけ、プログラミングするとだんだん大きく育って、やがて結晶花のつぼみがつく。つぼみが開くたびにだんだん人型になってきて、さらにいくつかの特殊な花をがんばって開花させると、会話能力や動作能力が発現する。ついに育成桝を出て自律することは「誕生」と呼ばれた。  当時はSNSでたくさんの人が自分の結晶ロボットを自慢していた。誕生祭といって、育成桝から生まれる様子を実況するのだ。中学のクラスでも早々に種結晶キットを手に入れたやつが何人かいて、俺は興味ないふりをしていたけれど、みんな羨ましがったし、俺だって本当はほしかった。種結晶キットは子供には簡単に手が出ない値段だった。  結局俺は中学三年の夏休みに貯金をはたいて種結晶キットを買った。でも最初のうちは親にも友達にも買ったといわずにこっそり育てた。そのころ結晶ロボットの流行は頂点に達して、育成桝から出て自律したロボットに何をさせるか選手権みたいな話がSNSにはどんどん出てきた。ただの話し相手から、ゲームで高得点出せるよう鍛えるとか、料理その他の家事をさせるとか。  結晶ロボットは育成桝にいるあいだに自律したあとのポテンシャルが変わる。そのメカニズムは当時、かなり不安定だった。育てる人間の潜在意識が左右するともいわれたが、自律後どのくらいの大きさに育つのかもばらつきが大きかった。ロボットのサイズはポテンシャルを大きく左右するが、小さく育つとさせられることもその大きさにみあったことになるからだ――たとえば五歳児の大きさじゃ、キッチンのコンロに届かないから料理なんかさせられないってことだ。  成長の仕方によってはエグイことに使う連中も出てきて、そのころから問題が起きはじめた。要するに自律した人型のものをセックスドールとして使用したり、暴力をふるって虐待する行為が問題にされはじめたのだ。  俺のロボットが「誕生」を迎えるころ、種結晶キットは未成年への販売が禁止されてしまった。俺が買ったのはぎりぎりのタイミングだったといえる。それに、もし俺の種結晶から「誕生」したのが巷の動画で話題にされるような美人のお姉さんだったら、ちょっとまずかったかもしれない。  でもそんなことはなかった。育成桝の管理によってロボットの外見は変わるのだが、誕生した俺のロボットは執事型、つまり「カッコいいお兄さん」タイプで、しかも小さかった。実は俺のひそかな憧れはつくった結晶ロボットに「マスター」と呼ばれることだったのだが、これは中学生のころ好きだったマンガの影響である。だからロボットの名前も「セバスチャン」にしたのだが、なんとなく恥ずかしくて名前は誰にもいわなかった。 「誕生」後はさすがに親に結晶ロボットを買ったことがバレてしまったが、執事型だったことや、実家にいた頃はセバスチャンがずっと小さかったので、とくに問題にはされなかった。俺は自律したセバスチャンをアシスタントロボにしようと思ったのだが、セバスチャンは俺が理想としたようには育たなかった。きっと育成桝にいたあいだに俺がやったプログラミングがまずかったのだろう。何しろ最初だったから、マニュアルや参考サイトをみてもわからないこともたくさんあり、がむしゃらにやったのだ。  中学生のころの俺は、俺より大きくなったセバスチャンを子分のようにしたがえて「マスター」と呼ばせたかったのだが、当時のセバスチャンは小さかったし、そのくせ生意気で偉そうで、俺に対して厳しい家庭教師のようにふるまった。実家でのセバスチャンの定位置は俺の机にそなえつけの本棚の上で、彼の王国は最初は俺の机の上、しだいに俺の部屋全体へ広がった。  結晶ロボットはネットに接続できるから知識が豊富だ。セバスチャンは受験のとき俺にさんざんガミガミいった。俺は何度かセバスチャンに頭にきて、バラバラに壊してしまおうと思ったこともある。でも、結局そんなことはしなかった。  いまじゃロボットなんて通販でなんでも買える。料理をするとか話し相手になるとか、場合によっては恋人代わりになるとかで、一人暮らしでもロボットの一体や二体持っているのは普通だ。  でもセバスチャンのような結晶ロボットは、いま人気があるロボットとちがって、育成桝でどれだけ厳密に調整してもどんなふうに育つか未知数の部分があった。結晶が育成環境に対して過敏すぎるせいだ。だから自律したあとも置かれた環境によってずっと成長し続けたり、急に成長が止まったりする。  爆発的に流行したのに結晶ロボットが廃れたのは結局、その予測不可能性のためだった。いま人気のある、どの家にもいるロボットはそんなものじゃない。多くの人は何かの目的にあわせて結晶ロボットをつくりあげたかったから、そんな予測不可能性を嫌った。  俺のセバスチャンも、俺が最初に思ったようにはちっとも育たなかった。ところが大学に入って一人暮らしをはじめると急に大きくなりはじめ、やがて俺よりデカくなってしまった。人間ほどのサイズになったロボットはそれなりにいろいろなことが可能になるはずだったが、セバスチャンは俺の予想を裏切り、かなり不器用だった。そのくせなんでもできる俺の家事ロボットがセバスチャンは嫌いで、家事ロボットが作った完璧なオムレツの皿を何度もひっくりかえしていた。俺が社会人になってもセバスチャンは生意気で偉そうで、俺のいうことなんか聞かなかった。おまけに俺が好きな相手――恋人候補――を家に連れて帰ると、きまって何かトラブルを起こした。  いや、この年まで固定した恋人ができなかったことについて、俺はそれがセバスチャンのせいだなんていうつもりはない。結局セバスチャンを作った――種結晶から育てたのは俺だ。結晶ロボットの予測不能性が育てた人間の潜在意識の反映であるのなら、セバスチャンとうまくいかない人間は俺とも結局うまくいかないってことかもしれないし、たしかにそんな気配はあった。セバスチャンは種結晶のころに俺が考えた完璧なロボットではなかったが、俺も完璧な人間ではなかった。  完璧なロボットじゃないセバスチャンは、それでも、完璧じゃない俺が失恋したときはいつもなぐさめてくれた。結晶ロボットの皮膚は人間の皮膚の感触によく似ているが、それ自体にぬくもりはない。表面は白くマットな光沢があって、触っていると俺の体温がうつるのか、かすかに温かい感触になる。  俺はセバスチャンにもたれかかって、腹のあたりをささえてもらう。俺の座りやすいかたちになるようにセバスチャンは絶妙に位置をずらし、調整する。マッサージチェアみたいなもたれ加減だ。セバスチャンに背中をあずけて背後からゆるい振動に腰をや肩を揺さぶられるうち、いつのまにか俺は足を抱えられ、広げられている。  俺の太腿のあいだにセバスチャンの一部がはいりこみ、俺はセバスチャンに両方の尻を揉まれ、中を広げられる。ひやっとしたものが入ってくる。入ってきたものはどういうわけかぬるぬるしていて、痛くはなく、俺はその感触に慣れるだけでなく、気持ちよくなってしまう。たまらず声をあげてもセバスチャンはやめない。それどころか俺の中を何度も突き、突きながら「マスター」とささやく。いつもはけっしてそんなことはしないのに。  結晶ロボットを未成年が買えないようになったのは、彼らをセックスドールとして使う人間がいたからだ。でもセバスチャンはセックスドールじゃない――俺はそうしろなんて命令しなかった。それはいつのまにかはじまっていて、はじめたのは俺じゃなく、セバスチャンの方だった。  それともセバスチャンは俺の潜在意識を反映して、あれをはじめたのだろうか?  一応いっておくと、いつもいつもセバスチャンがこんなことを俺に仕掛けていたわけじゃない。あれはいつも、仕事でひどいへまをして落ちこんだとか、実家の両親が亡くなったとか、そんなふうに悪いことが起きたとき、あるいは逆にとても良いことがあったときだった。良いことだろうと悪いことだろうと、そのとき俺はいつもひとりで、喜んだり落ちこんだりする気持ちをわかちあう相手は誰もいなかった。  だから、俺の潜在意識はともかく、セバスチャンはたしかに俺のことを理解してあれをやっていたのだと思う。  暗い部屋でセバスチャンにもたれかかって中を突かれながら「マスター」とささやかれると、他のことはどうでもよくなった。セバスチャンは俺の結晶ロボットで、俺はセバスチャンにとってただひとりの人間なのだ。  いまセバスチャンはプラスチックの箱に入れられ、どこか遠くへ運ばれている。  いや、あれはもうセバスチャンじゃない。  壊れた結晶のかたまり、ただのボディだ。  セバスチャンの寿命が近づいているのを俺はうすうす察していた。最近のセバスチャンは前のように生意気な口をきくことが減り、そのかわり俺をよく「マスター」と呼んだ。立ったまま俺を背中から抱きかかえて「マスター」とささやくのだ。  俺は笑って「どうしたんだ?」というが、セバスチャンは黙っている。  結晶ロボットがささやいたところで人間のように熱い息が触れることはないし、ため息をつくことなんてできないはずだ。でも俺はセバスチャンが長いため息をついたように感じる。何か伝えたいのに、伝えられないことがあるときの、ため息。  メーカーがセバスチャンのボディとひきかえに届けた小さな箱をあけると、丸い皿に埋め込まれた種結晶があらわれた。俺はセバスチャンの種結晶がどんなものだったか思い出そうとしたが、中学生の頃の記憶はもうどこかへ行ってしまっていた。  この種を育てたらいつかまた、セバスチャンが育成桝からあらわれるんじゃないか。そう考えようとしてみたが、間違っていることはわかっていた。俺の潜在意識はセバスチャンが生まれる前には戻らない。この種からどんなロボットをつくりだしたとしても、俺を「マスター」と呼ぶことはないだろう。  俺にそうささやくのは、セバスチャンだけだ。
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