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「はははっ」
「悠太郎ー、笑いすぎー」
後輩が入ってから一週間経ったある日のランチタイム。
食堂に、悠太郎の笑い声が響いた。万優はその様子に箸を銜えながら呟く。
「だって、警戒されてるの? 万優が?」
そう言ってまた笑い出す。こうなったらおさまるまで待つしかない。万優は目の前の塩鯖定食を突付きながらそれを待った。今日の鯖はちょっぴり塩辛い気がする。
「万優の方が警戒してもいいくらいなのに、それを警戒するなんてよっぽど惚れてるんだな、その子に」
悠太郎は水を一口飲み下してから言った。
「うん。でも、笑い事じゃないんだよ。俺の部屋でもあるのに、なんかこう小さくなって生活しなきゃいけないんだから。なるべく二人を見ないように、会話も聞かないようにって」
「疲れない?」
「疲れるよ! ホント、虎珀さんたちと居た頃が懐かしいよ」
ふぅ、とため息をつく万優の様子を見ながら、悠太郎は万優の鯖に箸を伸ばした。
「あ、今日の鯖塩辛い。ハンバーグにして良かったー」
「話、聞いてる?」
「聞いてるよ。なんだかんだ言って、空さんとも上手くやってたみたいだしなー」
悠太郎の言葉に、万優は心臓を射抜かれたみたいに固まる。悠太郎の口から、空の名前が出ただけで、この有様――万優はひとつ、深呼吸をして鼓動の速度を緩めた。
「どした? 万優」
「う、ううん、なんでもナイ……」
「ハンバーグ、食べる?」
「うん、貰う」
万優は、悠太郎の皿に箸を伸ばしながらその様子を伺った。
どうやら、空との関係は知らずに言った言葉の様だった。
「万優」
そんな万優に悠太郎が低く声を掛ける。
「な…に?」
「お前って、魚好きだよね?」
「……は?」
「いや、ちょっといつも食べてるもの思い出してた。そういえば大河さんも魚派だったなーって」
「あ、そう……」
あまりに真剣な声音に、万優は緊張したが無駄だったようだ。
もうすぐ一年の付き合いになるが、未だ悠太郎の思考回路は読みきれない。敏感なようで鈍感な時もあれば、恐ろしく勘の冴えている時もあって、万優を飽きさせることがない。
それが、今のように万優にとっていいことばかりではないのだが。
「万優、噂をすれば、だよ」
悠太郎がそっと箸で万優の後方を指す。
万優はその方向を振り返った。
食堂のトレーを持って歩く風吹と蓮が居た。
「こっち来るぞ」
悠太郎に向き直ると、彼はそう言って万優の後方から視線を外さなかった。
「あんまり見てると、風吹に睨まれるよ」
「……そうだな」
万優の言葉に真実味があったのか、悠太郎はすぐに視線を外して、茶碗からご飯をすくって頬張った。
それを見て、万優も皿に箸をつける。
「万優さん、こんにちは」
その時だった。背中から、男のわりには少し高い声が掛かる。
振り返ると、蓮の笑顔があった。
「こんにちは」
蓮のイメージは、子供か天使。風吹に睨まれるとわかっていても、笑顔で素直に返してしまう。可愛らしく生まれてきてしまった蓮に罪はない。
「蓮、何してる?」
「あ……じゃあ」
呼ばれて、蓮は笑みを残したまま万優の傍を離れた。
「うん」
答えて、その背中を見送ると、その奥の風吹と目が合う。
――というよりは、しっかり睨まれていた。
「……ね、こんな感じ」
万優はその視線からゆっくりと自分を解いて、悠太郎に向き直った。
「前途多難っぽいね」
悠太郎の言葉に素直に頷く万優だった。
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