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万優は自分の部屋の前で、わざと二、三回足音を響かせるようにしている。風吹と蓮が入ってきてから、一人で出掛けて戻るときはいつもそうしている。
お互いに見たくないもの、見られたくないものがあると思っての行動だ。この日、風呂場から戻った万優は、そうしてからゆっくりとドアを開けた。
「万優さん、お風呂だったんですね」
蓮が笑顔で言う。風吹のベッドの端に座っている。
そして、自分の視力の良さに、万優はため息をつきそうになった。
見えてしまったのだ、蓮がとっさにシャツで隠したそのベルトのバックルが外れているのを。
邪魔して申し訳ないという気持ちと、ここでは盛り上がってほしくないなあという思い、両方を感じながら万優は部屋の奥へと進んだ。
「まだ混んでました?」
「いや、俺が出た時には、大分空いてきてたよ」
蓮と風吹は、なるべく遅くに風呂へ行くようにしているらしい。きっと、風吹が蓮のことを思って人の少ない時間にしているのだろう。実際、万優もピークの時間は外すようにしている。
「蓮、行こうか……風呂」
それまで黙っていた風吹が椅子から立ち上がって言った。
「うん。じゃあ、万優さん行ってきますね」
「うん、行っておいで」
蓮の笑顔を見送ってから、万優は脱力し、自分のベッドへ転がった。
「寮だぞ、ここ……何してんだよ、あいつらは」
視界に入る、乱れたベッドを見ながらため息をつく。
そして、思い立ったように机の引き出しを開け、スマホを取り出した。
メッセージアプリを立ち上げ、手早くメッセージを作る。
「……送信!」
万優はそう言うと、天井を見つめた。メッセージを入れたからといって、すぐに返信が来るわけではない。そんなことはわかっている。
『新入りが来ました。一人はキツイ感じで、もう一人は柔らかいイメージ。二人は付き合ってるらしくて、毎日こっちが大変です』
他愛もない報告。返事は来ない事だって考えられる。
けれど、この時は万優の手元でスマホが震え返信があったことを知らせてくれた。
「……珍しい」
メッセージの相手は、空。この時間、大抵勉強しているのだが……こんなこともあるらしい。
『今、一人か?』
短い文に、万優も『うん』と一言で返す。
すると、すぐにスマホは、着信を知らせた。
「……もしもし」
ベッドに転がったまま電話に出る。
『久しぶりだな』
落ち着いた、柔らかい声が耳元で響く。
「うん」
懐かしい感じがした。まだ、前の電話から二週間も経っていないのに。
『面倒そうなのが入ったな』
「空なら確実に毎日ため息ついてるよ」
『……上手くやっていけそうか?』
「うん……まあ、とりあえず身の安全は保障されたから安心していいよ」
聞かれた問いには、答え辛かったので万優は言える事だけを口にした。
『そうか……。チェックの方は?』
「うー……それ言われるとなんとも。でもね、最近は悠太郎とたまに勉強してるんだ。お互い楽に考えることにしたんだ。俺が、悠太郎にフライトアドバイスして、悠太郎が俺に勉強教えて……って」
『いい傾向だな。お互い助かるだろ』
天井を見上げたまま、空の声を聞く。ふと、風吹のベッドが視界に入り、そういう状況で空の声を聞くとこんな感じか……なんて想像してしまう。慌てて万優は起き上がって、椅子に座りなおした。
なぜか、鼓動が速い。
これじゃまるで変態だ……
万優はうな垂れて心の中でため息をつく。
「うん。悠太郎、真面目だからねー。シミュレーター、たまに一緒に入るけど俺なんか教えること少ないよ」
万優は、考えていたことが伝わらないように、軽い口調で答えた。
『シミュレーター?』
「うん、FTDの方」
FTDは、フライト・トレーニング・ディバイスつまり飛行訓練装置のこと。普段はシミュレーターと呼ばれるもので、実際のコックピット同様に作られており、操作することが可能でそれがコンピューターに伝わり計器やグラフィックに反映されるものだ。
もうひとつ、シミュレーターとよんでいるものがあるのだが、そちらはただの模型に近く計器類は動かない。
「……それが?」
万優は、黙ったままの空に聞き返す。
『いや……別に』
空には珍しく、そんなふうに曖昧に否定する。
万優は首を傾げ、その理由を聞こうとしたが、ふと、廊下から聞き覚えのある声が響いてそれに集中した。
“蓮、明日の実習何時から?”
“午前中だよ。滑走路凍ってなければいいなあ”
同室の二人の声だった。
『万優、どうかしたか?』
「あ……ごめん、空……二人、戻ってきたみたい」
『そうか……じゃあ、また電話する』
「うん、ごめんね」
謝って、万優はそっと電話を切った。それを引き出しに仕舞ったところで二人が部屋へ戻ってきた。
「……おかえり」
万優が言うと、風吹は小さくはい、と答えすぐに自分の机に向かった。
「ただいまです」
対して蓮は、タオルで髪の水分をふき取りながら、笑顔で答えた。
対照的な二人に、万優は心でため息をつく。
うまくやっていけるだろうか……と。
何かありそうな気がして胸騒ぎを覚える万優だった。
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