SKY1『前途多難な日々の幕明け』

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SKY1『前途多難な日々の幕明け』

 正月ボケが抜けきらない一月の朝。  ぐっと冷え込んだ部屋に、万優(まひろ)はベッドから出られずに寝返りを打った。  開いた目に広がる景色は、がらんとした使用者のいない机とベッド二台ずつ。  万優は、ぼんやりと、その一つに視線を向けた。誰も居ない椅子に幻影が重なる。 『おい、遅刻してもいいのか?』  上からの物言いに、いつもむっとしていたが、今は懐かしい。 「今起きるよ」  聴こえた幻聴に答えて、万優は体を起こした。  ここで、一人の朝を迎えるのは昨日と今朝のたった二度。今日の午後からは、一つ下の学生が、三ヶ月前の自分のように入ってくる。  万優は、制服に着替え、身支度を整えると、テキスト類を抱えてドアを開けた。 「……頑張ろうな、(かなた)」  ぽつりとひとつ、呟いて。 「今日の教官、なんかぼーっとしてたな」 「風邪、治ってないらしいよ」  万優と悠太郎(ゆうたろう)は、他愛もない話をしながら、寮棟に戻ってきた。ロビーには、部屋番号と名前の貼られたダンボールがあちこちに積まれ、それを漁る学生たちが居た。 「今日か、下入ってくるの」  悠太郎が思い出したように言う。 「一人部屋気分も終わりだな」 「そうだな」  二人とも互いに同期のいない部屋だったので、万優の言葉に悠太郎は素直に頷いた。 「気の合う奴だといいなあ」  そう言う万優に、悠太郎は少し真剣な面持ちになる。 「それより……気をつけてよ。何かあったら必ず俺に連絡して」 「はいはい、わかってます」  悠太郎は、虎珀と空から「万優を頼む」と仰せつかったらしい。成り行き上、どうしても事の次第を話さなくてはならなかったので、そのまま任命されたわけだ。  それに、後で聞いた話、悠太郎も「万優は狙われそうだな」と思っていたらしい。だったら、早くそう言って欲しいものだ。 ……でも、当時の自分が素直にその言葉を受け入れたかといえば、多分否、だ。 「じゃ、また明日」 「うん」  万優の部屋の前で悠太郎と別れる。万優はそのまま部屋のドアを引いた。  そこは、予想通りの荷物の山。  その中で動く、二人の人物が居た。 「お、やってるね」  万優がそう声を掛けると、二人は振り返って頭を下げた。 「俺、同室の柚原万優。三ヶ月、よろしくね」  警戒されぬよう、笑顔で万優が挨拶すると、二人は互いに顔を見合わせてから、一人が口を開いた。 「初めまして。同室になります、遠藤風吹(えんどうふぶき)です。で、こっちが……」 「土屋蓮(つちやれん)です」 「よろしく」  風吹と名乗った方は、背が高く黒い短髪の活発そうな感じだった。一方の蓮と名乗った方は万優と同じくらいの背丈で茶色の髪がさらさらと柔らかそうな華奢な感じだった。  他人を見て初めて万優は「狙われそう」の意味が分かった。蓮の方は、どこか頼りなくて、女の子と見間違っても責めることができないような容姿をしていたからだ。  まぁ、ここに居るのだから性別は「男」で間違いないのだが。  万優は一通りの挨拶が済むと自分の机に向かった。テキストを棚に戻して、引き出しを開ける。そこには、空から貰った何冊かの本が入っていた。もう読まないから、と荷減らしに置いて行ったものだ。  数ページ読んだがさっぱり理解できない。いや、日本語がというわけではなくて、どのへんが面白いのかが、だ。  そりゃそうだろう、その本のタイトルは「宇宙理念と思想」。これならテキストのほうがまだましだ。 「あの、柚原さん」 「万優でいいよ、風吹」 「……万優さんは、普通ですよね?」 「普通……って?」  万優は風吹に向き合って聞き返した。何を持ってして「普通」なのか、皆目見当がつかない。 「ストレートですよね?」 「あのさ、遠まわしに言われても俺わからないから。いいよ、単刀直入に聞いて」  万優は風吹の言い回しに痺れを切らし、そう言った。 「男に興味はないですよね?」  その言葉に、万優は驚いて一瞬言葉を失った。空との淡い関係が、こんな一瞬会った奴に見抜かれたのかと思ったのだ。  けれど、呼吸を整え冷静になると、そういうわけではないと考え直した。 「ああ、ないよ」  落ち着きを取り戻した万優は深く頷きながら答える。  その様子に、風吹は安堵の表情を浮かべ、言った。 「蓮は俺と付き合ってます。だから、もし興味が湧いたとしても、手出したりしないで下さい」  それでもきっぱりとした口調で。 「あ……ああ、覚えておくよ……」  万優は呆気に取られたまま答えた。  そして、ふと蓮本人が視界の端に入ったので、そちらに合わせると、切ない表情でひとつ、頭を下げた。  こりゃまた大変な二人が入ったな、と万優は心の中でため息をついた。
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