ジョセフ・ヘルマン博士

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「研究所の人たちは息子のジョセフの死について何か隠しています!私の愛しいジョセフは自殺するような人間ではありません!ああ!ジョセフは結婚もせずずっと研究に身を捧げてきたのになぜこんな最後を迎えなければいけなかったのでしょうか!国立科学研究所の皆さん!どうかお願いです!どうか本当のことを話して下さい!ジョセフはどうして死んだのですか!」  テレビカメラの前で一人の老婆がこう訴えていた。彼女は偉大なる科学者で、生前はノーベル物理学賞候補の一人と目されていた、ジョセフ・ヘルマン博士の母その人であった。国立科学研究所の若い研究者たちはテレビの周りに集まり、その記者会見の模様を食い入るように観ている。会見の内容を聞いていた若い研究者たちは自分がヘルマン氏に対して何か罪を犯しているように感じ始めてきた。彼らは全身ヘルマン博士の弟子のようなものだった。直接大学でヘルマン博士の薫陶を受けたもの、また著作や論文でヘルマン博士の業績を知り、研究所に入所したもの入り口はそれぞれだが、全員ヘルマン博士の無口であり多少ヒステリックな性格に戸惑いながらもヘルマン博士を尊敬どころか信奉していた。この小枝のように細い男が科学を発展させているのだ。そんな人間の研究を手伝うことが出来るのかと彼らは自らの能力の全てをヘルマン博士の研究に捧げていた。そんなヘルマン博士が突然死んでしまったのだ。しかも自殺という、遺された者にとってはあまりにも残酷な死に方で。一昨日、研究所の幹部からそうアナウンスされた時、彼らはそのあまりに簡潔な報告に疑わしいものを感じたが、やはり遺族や世間も同じように思っていたのか、新聞やニュース番組などでは連日ジョセフ・ヘルマン博士の死の真相を究明せよと連日のように書き立て、また報道された。記者会見はまだ続いている。研究者たちは相変わらずテレビを観ていたが、そんな中一人の男が口を開いた。この中にいる研究所の中で最年少のグスタフ・ユーハイムだ。 「皆さん、僕のような若輩が言うべきことではないかもしれませんが、しかし僕はもう耐えられないのです!まだ大事な突然一人息子を失ったショックから立ち直れていないはずのお母様まで、こうしてテレビカメラの前でヘルマン博士の死の真相を究明してくれと訴えているのに、僕たち国立科学賞研究所の職員はこのままそしらぬ顔で研究を続けていいんですか?僕たちみんなヘルマン博士に憧れてこの研究所に入ったんじゃないですか!そのヘルマン博士が疑惑の死を遂げたのに、この国立科学研究所はヘルマン博士の死をろくに検証せずに自殺と判断しました。大体幹部連中は昔からヘルマン博士を快く思ってなかったじゃないですか!現に今年の研究予算の割り当てはヘルマン博士が一番少なかった!もしかしたら彼らのうちの一人がヘルマン博士への嫉妬のあまり自殺に見せかけて博士を……」 「グスタフ!勝手な当て推量で物を言うんじゃない!」  グスタフを一喝して黙らせたのは長年グスタフの研究助手を勤めていたアレフレード・ホープケンだった。彼はグスタフや研究員たちを見て、そして彼らがグスタフと同じことを考えていることを悟った。彼はしばらくの沈黙ののちようやく口を開いた。 「グスタフ、そしてみんな聞きたまえ。ヘルマン博士の死が納得できないのは我々も同じだ。だが勝手な思い込みで結論は出せないのだよ!君たちが今考えている推論を幹部連中にぶつけてヘルマン博士の死の真相を問いただすのもいいだろう。しかし君たちは一時の感情に振り回されて大事なことを忘れていないかね?我々は科学者なんだよ。科学者たる我々は検証もなしに実験はできないのだよ!検証に検証を重ねそしてようやく検証結果を出す為に実験が行われる。こんな基本的な事を何故今更言わなければいけないのかわかるかね。それは科学に例えるなら、君たちがヘルマン博士の死についてろくな検証もせずに感情のままに幹部連中にヘルマン博士の死を問い質そうという、実験をしているからだよ!君たちは一番危険な事をしているのだ!そんな実験は失敗するに決まっているじゃないか!そんな科学者たる本分を忘れた暴挙は死んだヘルマン博士が許すはずがない!」 「しかし!証拠もないのにどうやって検証すればいいんですか!」  グスタフはアレフレードの話にどうしても納得いかなかった。大学時代にヘルマン博士の講義を受けて以来ヘルマン博士に憧れてやっと同じ職場で働けることになったのに、この突然の悲劇によって全て終わってしまったのである。肩を震わせているグスタフを見たアレフレードは彼の肩に手をかけこう言った。 「グスタフ、君のヘルマン博士を想う気持ちはわかった。博士も天国で喜んでいるだろう。確かに君のいう通り証拠はない。検証しようにも検証できないのが実情だ。しかし検証の方法が全くないことはないのだよグスタフ。ひとつだけ検証の方法がある。だがこの検証には君の協力が必要だ。残念ながらここでは検証は不可能だ。あとで私の部屋に来たまえそこで検証作業ををしようではないか。準備が終わったら君に電話する」  それからグスタフは自室に戻りアレフレードの電話を待った。柱時計の針の音が今日はやたらに澄み切って聞こえた。そして一時間ほど経った時だった。電話のベルが鳴り、受話器からアレフレードが準備ができたと連絡してきたのだ。グスタフはアレフレードの元に急いで駆けつけた。  アレフレードの部屋のドアを開けたグスタフはいきなり人が一人すっぽり入る程の大きなダンボールに出くわした。そしてその周りにアレフレードと他の研究員が並んでいる。この光景のあまりの異様さにグスタフは鳥肌が立つのを抑えられなかった。皆が一斉にグスタフを見た。そしてアレフレードはグスタフに言った。 「グスタフ、今からヘルマン博士が自殺したか他殺したかを検証するための実験を行う。まず君はヘルマン博士になってもらいそのダンボールの中に入ってくれたまえ。君がダンボールに入ったら、すぐにダンボールを閉めて毒ガスを注入する。君はこのダンボールの中で一時間何もせずじっとしてるんだ。喉が苦しくなったからといってダンボールに穴を開けて外の空気を吸うことは厳禁だ。そんな事をやったら君の愛しいヘルマン博士の死の真相は永遠に知ることは出来ないだろう。さて、他の諸君はヘルマン博士になっているグスタフが一時間のうちに毒ガスで死ぬかどうかを考察するのだ。そんなことわかり切ったことだと言わないでくれたまえ。ヘルマン博士になっているグスタフが死んだ世界と、運良く助かった世界は現時点では存在しているのだ!これは可能性だよ!そして現実のヘルマン博士は自殺なのか他殺なのか。これもまだ現時点では確定できていない。確定できていないと言うことは博士が自殺した世界と他殺された世界は現時点では共に存在しているのだ!」  グスタフはアレフレードの意味不明の長広舌を聞いて思わずブチ切れダンボールをビリビリに破いて叫んだ。 「バカ野郎!シュレーディンガーの猫を実際にやるやつがどこにいるんだ!」
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