終章 天堂

1/1
68人が本棚に入れています
本棚に追加
/23ページ

終章 天堂

 鷲の瞳が赤く染まる時、世界は炎に包まれる。  欲深き王の、濁った瞳に映るのは、恐れか憎しみか、はたまた執着か。  強く握られた両手には、雲の涙の如く煌めく金剛石。  血に染まり、涙に濡れ続けてなお、清く輝き続ける金剛石。  鷲の翼がはためき、力強く大地を叩く。  砂漠は空を無くし、灼熱の紅だけが、王の身を焦がす。  鋭い爪が、王の強欲を掻き切る。  その爪が、その手の宝を奪い去る。  金剛石を、奪い去る。  辺りに舞う紅は、炎か、はたまた人の血か。  鷲の双翼がはためき、力強く炎を叩く。  ただ、上を目指して。青くどこまでも広がる、空を目指して。  鷲は羽ばたく。金剛石を手に。  どこまでも遠くへ、どこまでも上へと。  誰も知らない。その鷲の行方を。  これは、灼熱の砂漠に伝わる、忘れ去られし物語。 ***  そっと、万年筆を置く。  私は、名も無い一人の、「自称」考古学者だ。大学時代に一人旅で砂漠を訪れ、現地の人々だけが知る、この物語を聞いた。  ある人は、燃え続ける町を見たと話し、ある人は、巨大な鳥の群れを見たと話した。しかし、どこにも記録は残っていなかった。  私は憑りつかれたように、研究を始めた。  何度も現地を訪れ、やっとのことで、かつて「天堂山」と呼ばれた山の麓に辿り着いた。現地の人々は、何度も私を止めた。「帰って来た者はいない」と。  しかし、私は登り始めた。  美しい山だった。見たことのない花々が、静かに咲いている。まさに、理想郷だった。  夜になった。途端、全ては恐怖に変わった。何もない。何も見えない。    そして、どこからか叫び声のような、泣き声のような音が聞こえてくる。  見れば、遠く。山から望める遠くの地が、赤々と光を放っている。    ああ、あれは火だ。火の町だ。  私は思った。  そして一晩中、恐怖に震えていた。  ようやく朝日が昇った。私は、もう引き返そうと決めた。しかし、どうしても帰り道が見つからない。  歩いても、歩いても。同じ道ばかりが広がる。恐ろしくなって立ち止まると、道端の白い何かが目に入った。見ればそれは、骨だった。しかも、人間の頭蓋骨。  私はとうとう恐ろしくなって、震えあがった。  母国にいる、両親や兄弟や、恋人を想った。帰りたい。ただその一心で、私は道なき野原を進んだ。 「あれ……、そこの君、どうしたんだい?」  突然響いた人の声に、私は驚愕して振り返った。  とうとう狂ったか、そう思った。目に映った人の影が、亡霊に見えた。  実際、その人はどう見ても、この世のものとは思えなかった。 「迷子かい?」  そう微笑むその人は、金色に輝いていた。眩しい裸体を日に晒し、流れる金の髪がその肩を、胸を流れる。  近くに水の流れる音がし、その髪が濡れていたので、私は彼が、水浴びをしてきたものと思った。 「ああそうだ、君にこれをあげるよ。きっと、君の大切な人の所へ、連れて行ってくれる」  言葉を無くした私の顔を覗き込み、彼は笑った。その腕にあった金の腕輪を外し、私の腕につける。一瞬触れた彼の手は、まるで風のように軽い感触だった。  見るとその腕輪には、青い石が嵌めこまれている。鮮やかすぎる空の青。高価なものであると、一目で分かった。 「こ、こんな、いただけません」 「うん? いいんだよ。これがなくても、私達はずっと……一緒だからね」  黄金の青年はそう言って、また笑った。それから、遠くの方に何か見つけたのか、大きく手を振った。 「ガルーダ!」  見上げると、遠くの空に、鳥の影のようなものがあった。  私は夢心地で、腕の青い石を眺めた。  黄金の青年へともう一度視線を移す。そして私は、二つの赤い玉がこちらを見つめていることに気づいた。  蛇だ。青年の身体に巻き付き、彼の首の辺りに顔を寄せている白い蛇が、こちらをじっと見ている。  どこからか、笛の音が聞こえてくる。  蛇の、その赤い目を見つめている内に、私は、意識を失った。  気づけば、自分の部屋にいた。見上げる天井と、心配そうな母の顔。  聞くと、私はいつの間にか母国へと戻り、荷物を持ったまま家の前で倒れていたのだという。  半信半疑でベッドの上に起き上がり、何の気なしに腕を見た私は、息を止めた。 ――「これをあげるよ。きっと、君の大切な人の所へ、連れて行ってくれる」  青年の微笑みが蘇ってくる。  そこにあったのは、金に空を嵌めこんだ、あの腕輪だったのだ。  母を見ると、安堵の表情を浮かべている。  私は思わずその手を取って、「ごめん。ありがとう」と言った。  物語は、もう、語られることがない。  だから私は、忘れ去られたその物語をこうして、書き記す。  皺が寄って、もう満足に動かない私の手。  私の一生を懸けても、彼らの実在はとうとう、世に示すことができなかった。  彼らのことをこうして残しておけば、いつかまた、誰かが彼らを見つけるかもしれない。そしてその誰かが、あの美しくて切ない、優しい彼らの物語に涙を流し、彼らをまた、あの砂漠に、そしてあの山へと、探しに行ってくれるかもしれない。  そんなことを独り思いながら、私は今日も。  空の腕輪を、見つめる。            
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!