六章 六日前

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「今日、お婆さんは……」 「あぁ、おふくろなら昨晩、階段で足を滑らせて死んだ」  平然とした表情でそう言った男性は、車椅子にストッパーを掛けてベンチに座った。俺の後ろにいる咲子が声を上げる。 「あの……お通夜の準備とか、大変じゃないんですか? 公園に来ている場合じゃ……」 「準備したいのはやまやまやけど、親父もこんな状態やからな。この公園に連れて来んかったら、後で面倒なことになるから。準備は妹に任しとる」  俺の質問にそう答えた男性は、大きく溜息を吐いてカバンから文庫本を取り出した。  “面倒になる”という言葉に違和感を抱きながらも、今はこの男性と距離を縮める必要があると思い「何を読んでいるんですか?」と訊ねてみる。すると、男性は文庫本のカバーを外して表紙を見せてきた。そこには女性の乳房が大きく描かれている。官能小説だ。  咲子は顔を背け、気まずそうに俺の顔を見つめてくる。
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