34人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
目覚めたら……
カーテンから朝日が差し込み、眩しさに目を覚ますと、なんとなく体が軽いような気がした。さらに、ゆっくりと身を起こすと、ぴったりだった服がだぼだぼになっている。
そのことに疑問を感じながら辺りを見渡すと、隣で寝ていた雪晴がちょうど目を開けるところだった。
「宮坂、おはよう」
まるで声変わりをしている最中のような、高音と低音が入り交じる掠れた声が口から出てきた。また違和感を覚えたが、寝起きなのと慣れない飲酒のせいだと思い込もうとする。
ところが。
「ん……?その声は、誰だ?……君、眼鏡はその辺にないか」
雪晴も奇妙に感じたらしく、寝る時は外している眼鏡を探しながら怪訝そうにしている。
テーブルの上にあった黒縁眼鏡を差し出すと、それを受け取ってかけた雪晴が蒼を見て言った。
「ん?君、本当に誰だ?」
「え?宮坂、寝惚けているのか?」
「いいや。ちょっと頭痛はするが、私は朝の目覚めはいい方だ。君、海藤はどこに行ったか知らないか?」
「は?いや、俺がそうなんだけど」
「ん?いやいや、君はどう見ても海藤よりずいぶんと若いじゃないか」
「え?」
あの真面目な雪晴が冗談などと洒落たことをするとは信じ難く、また冗談を言っているようには見えない。
困惑しながら何もついていないテレビ画面に目を向けると、自分の顔に違和感があった。どう見ても、これは。
不思議そうにする雪晴を置いて、慌てて洗面台へ向かった蒼は、その鏡に映った自分の姿に愕然とした。
「何だこれは!?」
蒼が思わず絶叫したのも無理はない。そこに映った蒼の姿は、確かに蒼のものではあるが、どう見ても10代のそれになっていた。
「どうしたんだ、君。叫び声なんか上げて」
声を聞きつけた雪晴が、驚きを顕に洗面台へ来る。そして鏡を凝視している蒼をじっくりと眺めると、顎に手を当てて首を傾げた。
「君、どことなく海藤に似ているな。もしかして弟か何かか?それで、肝心の海藤はこんな明け方にもう出勤したというわけか?」
疑問を口にしながら考え込む雪晴。その身長はほとんど変わらないくらいだったはずが、今は少しばかり見上げる位置になっている。
その雪晴を見上げて、蒼は真剣な顔で告げた。
「あのさ、信じられないだろうけど、俺がその海藤なんだ。俺には兄弟がいないって知ってるだろ?」
「……ああ、言われてみれば。だが、にわかに信じ難いな。君があの海藤だという証拠はあるのか?」
「証拠……証拠か……」
思ったより冷静な態度で指摘されたおかげか、少し頭が冷えてきた。しかし、自分である証拠を示せと言われてすぐに用意できる人間がどこに。
「あ」
ふと蘇ったのは、あのコンビニ店員の言葉だ。
ーーええ、これは何でも一つ願いを叶えるお酒です。満月の夜……ちょうど今夜ですね。これを飲んで眠ると願いが叶うんです。
「あの店員」
「ん?」
証拠になるかは分からない。しかし、自分が海藤蒼だと証明するには、あの店員に話を聞きに行けばいいのではないか。
そう、きっとこの奇妙な現象はあの酒以外にはありえないのだから。
閃いた蒼は、雪晴の腕を掴んで引いた。
「ちょっとついて来て。あの人に会えば分かる」
「あの人?おい!私は今日仕事で……」
「まだこんな時間だ。今から出かけても間に合う。それに、俺も部長に事情を説明しないといけないんだ。宮坂にはいざというときの証人になってくれ」
「はあ……?」
今ひとつ状況が飲み込めないながらも、雪晴は振り払うことなくついてきてくれた。
そして、朝焼けが目に染みる早朝の街を歩き、目的のコンビニへと二人で向かった。
途中で、もしかしてあの店員はもういないかもしれないと思い当たったが、連絡先も名前も把握していなければ仕方がない。あとは、まだコンビニにいることを祈るばかりだ。
歩き馴れた道筋が長く感じたのは、ひとえに元の姿より多少足が短くなっているせいかもしれない。
やけに時間がかかった気がしながらコンビニに辿り着くと、ちょうど中からあの店員が姿を表した。
服装が制服から私服に変わっていて、一層近寄りがたい雰囲気になっていたが、そんなことに構ってはいられない。
「あの!」
バイクに乗ろうとしていた店員の背中に声をかけると、男は振り返って蒼と、その後ろに来ている雪晴を見た。
「……あれ、あなたはもしかして。これはまた、ずいぶんと」
男はわざとらしく驚いて見せると、バイクからこちらに向き直った。その反応を見るに、やはり憶測は大方当たっているらしい。
そう思った蒼は、男の方にずかずかと近付いた。
「これはやっぱり、あのお酒のせいなんですよね?」
「酒?」
背後から雪晴の怪訝そうな声が降ってきたが、それを綺麗に無視して話を続けることにする。この会話を聞けば、雪晴も察してくれることを祈りつつ。
「ええ、まあそうですね。しかし、あなたのようなパターンは初めてですけど。よっぽど変わった願いだったんですか?いえ、子供に戻りたいという願いは珍しくはないですが、それだけの願いのためにあのお酒は現れませんし」
まるであの酒が意思を持ち、神出鬼没に現れるという言い方が気になりはしたが、その疑問は横に置いておくことにした。
これがあの酒のせいだと分かっただけでも収穫だ。あとはどうやって戻るかだが。
「俺の願いは、初恋の相手にもう一度会うことです。それがどうしてこうなったかは分かりますか?」
「さあ。私に聞かれても分かりませんね。ただ、可能性ですけど、もしかしてその初恋というのが、その年齢の時のことではありませんか?それから、そのお相手というのが、それを望んでいる」
「……?」
前半については納得したが、後半の相手が望んでいるというのはどういうことなのだろうか。
そのことを聞こうとしたが、男はそうそう、と続けた。
「戻る方法は私もはっきりとは言えませんが、少なくとも何かを代償にすることは確かです。今言えることはここまでなので」
「代償?」
「ええ、きっと戻る時に分かるはずです。それはあなたの最も大事なものになるはずですが、果たしてそれを犠牲にしてまで戻りたいと思われるでしょうかね」
「……」
「では、これにて私は失礼します。あ、名前だけ名乗っておきますと、瀬川紅葉と言います。レシートに印字されているでしょうが、一応」
「俺は……」
「あなたは名乗る必要はありません。私はあのお酒を飲んだ人に情を持たないようにしているので」
それだけ言うと、紅葉は謎めいた笑みを残してヘルメットを被り、バイクに乗って走り去った。
「海藤、今の話は」
紅葉がいなくなった後、雪晴の問うような声がした。
少なくとも、ちゃんと海藤だと認めてくれたことに救われた気がしながら、努めて明るく言った。
「さあ、宮坂には部長に説明する時の証人になってもらおうか」
最初のコメントを投稿しよう!