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ネジが外れていた時代1
注釈:もともとここにたくさん画像貼ってましたが全削除で。
18歳、19歳、20歳。
わたしが一番壊れていたのが、このへんの歳です。完全にネジが外れておりました。
2週間焼きそばだけ食べて生活したのもこの時期。
ふらりと東京に行っては、ノリで5ヶ月も過ごしてしまい、お金が尽きてホストのバイトしちゃったりしたのもこの時期(・ω・,,)
その中でも、今回は大学入りたての時期をセレクトします。
あの頃のわたしは猪でした。
まさに猛進。
大学に入ったは良いものの、選んだ法学部の授業には全くもって興味を持てないでいた木緑。(今思えば役立ってますけど)
ある日の午前中。授業に出ながらあんぱんを食べてました。
栗が入ったやつです。
てっぺんのつぶつぶが癖になる噛みごたえのやつです。てっぺんのつふつぶがゴマじゃなく粟のやつです。
どうでもいい情報をお届けしております。
はい。
商法の講義を根性で20分聴いたところで、あんぱんも無くなり、お口が淋しくなり、やがてシンプルに飽きがきました。
……ダメだ、張りあいがない。
ついでに昼夜逆転してお肌の張りもない。
いったい、何をやってるんだろう。
人生の貴重な時間を無気力に過ごして良いのか?
京都には単位互換制度だってある。
学びたいものを他の大学に学びに行けば良いじゃないか。
いや、もっと何か。
こう、刺激的な。
そんな人生に刻める時間を。
そうだ。
ラクダ乗りに行こう。
猪。
そして、青春18切符で一路、鳥取へ。
猪、突き進みます。己の思うがままに。
さあ、何も考えず、電車に乗り込みました。
まさかの手ぶら。
そして、
着いてすぐ野宿。
あの頃、逞しく無計画に生きてました。
翌朝。
プルルルルル
「はいよ」
「今どこにおるん? 模擬演習始まっとるよ。迎え行こうか?」
大学まで徒歩4分の立地に住んでるのに、昼夜逆転して学校にほぼ姿を見せないわたし。
この友達は起こしに来てくれたり、余すとこなくノートを見せてくれたり、素晴らしい友達でした。
おそらく寝てると思って電話をくれたのです。それもそのはず。大事な4単位の授業。
「んーーー、ごめん。無理かも」
「結構ヤバイって。あんた単位まずいやろ。来たがいいて」
「行けへんのよ」
「なんでよ、起きなあかんて、君は」
「いや、砂丘におるから」
「……さ、砂丘?」
「うん、こんなにでかいと思わんかった。鳥取砂丘」
「…………ついていけんわ」
「めんご」
「午後、フランス語もあんた、出席リーチちゃうの? 午後には戻ってくるん?」
「んー、それより、財布とケータイしか持ってきてないんよ。お着替え持って、○○もこっち来えへん? 鳥取、すごいよ」
つー つー つー
見捨てられました。
そら、そうです。
今では、彼は立派な新聞記者になりました。こんなわたしと仲良くしてくれてありがとう。
ちゅうことで、素晴らしい友達に見捨てられ、ラクダに跨がる猪こと山城木緑。しかも、途中でラクダ止まっちゃって、おじさんがすごい引っ張ってる。
この間にわたしの4単位が消えていく。
ファンタスティポ
しばし、日本海の波を見つめていました。父と母は福岡から京都の大学へ送り出し、日々元気でいるわたしのことを思ってくれていたことでしょう。
勉強を頑張っているかしら。
また新しい友達と仲良くやっているのだろうか。
そんな思いを寄せてくれていたと思います。
波を見ながら、わたしは考えました。
まさか、授業に出ずラクダに乗っているとは夢にも思っていないでしょう。友達に服をもってきてほしいなどとお願いしているとは、予想の範疇にもないでしょう。
心の底から思いました。
めんご。
はい。
この続きはまたいつかです_(._.)_
ちなみに今、9/14の深夜です。
現在、山城木緑は氷室冴子青春文学賞の作品執筆に集中しています。(いや、上のエッセイ書いといてよく言うな……)
おそらく10月に一作、12月に一作というペースになろうかと思います。題名だけでも。
『まるでビリヤードのよう』
『ねずみの打突』
この二作のプロットはできていて、まるで~から書き始めている段階です。
しばらく新作をお届けできず申し訳ありません_(._.)_
ではでは、皆様ごきげんよう❗
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