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ECHO
スーパーで買い物を済ませ、サッカー台でエコバッグに荷物を詰める。そんな何気ない動作の中でも、私の目は捉えてしまう。目の前に貼られた食事宅配サービスのチラシに、お弁当を手に持って運ぶネコのイラストが描かれている。汗をかきながらお弁当を運ぶネコ、笑顔で万歳してジャンプするネコ、同じネコのいくつものポーズが私の視界に飛び込んでくる。かわいい。シンプルにそう思う。スーパーの店員とお揃いのエプロンをつけたキャラクター化されたネコ。全てが普通にかわいくて、涙が出そうになった。
この前まで私はデザイン会社の新人デザイナーだった。いや、新人というのは正確ではない。2年と8ヶ月、そこでデザイナーをしていた。主な業務は、このネコのようなキャラクターデザインをすることで、クライアントの要望に合わせていくつものカットを用意する。けれど私は上司いわく「使えない社員」であった。どんなに注意してクライアントからのメールや仕様書を見ても、上司は私の作るキャラクターを見て首を傾げるばかりであった。
「あのさぁ、なんでもっと普通に描けないわけ? ありきたりでいいんだよ。ありきたりで!」
「……申し訳ありません」
「もう3年目でしょ? 君さあ、ここ来てから上手くなったのって、謝ることだけだよね」
「……以後気をつけます」
「はぁ……もういいや。これ、別の人に頼むわ。普通はこんなの数日で及第点出せないと困るし」
何十も繰り返されたやりとりであった。悔しくないのかと問われたら、悔しいに決まっている。けれど、どうしようもなかった。私には何度説明されても「普通」とはどういうことなのか、全く理解することができなかったから。別に個性派なんて目指しているつもりもなかった。でも周囲の人がいつの間にか私をカテゴライズする。一度だけ、休日の本屋で目に留まった本を棚から引き出していると、同じ会社の別部署の先輩社員に偶然声をかけられたことがあった。
「あら、あなたデザイン部門の子じゃない?」
「あっ……そうです。総務の山下さんですよね。こんにちは」
「こんにちは、どうしたの? 今日はこんな所で」
「ちょっと、欲しいものがあって」
「へぇ……『かわいいの作り方』?……ちょっと、嫌だ! まさか、あなた、かわいくなりたいの?」
「いえ……仕事の参考になるかなと思いまして」
「ああ、なるほどね。一応あなたもデザイナーだったもんね。びっくりしたわぁ。じゃあ私は用があるから、また会社でね」
「はい、お疲れ様です」
頭を下げて先輩社員を見送りながら、私は腹を立てていた。先輩にだけじゃない。どちらかというと自分にだ。どうして私がかわいさを目指したら、あんな風に茶化されなければならないのか。そして仕事の悩みを打破するために
普通」とやらを探して月並みそうな本を手に取っただけなのに、それを正直に話しても、言葉足らずで言い訳みたいになってしまうのか。何もかもが腹立たしかった。
その日以来、私は妙な声が聞こえるようになった。聞こえるというか、頭の中でずっとエコーしているのである。それは先ほどのように、かわいいイラストを見かけた時だったり、「普通」に「かわいい」と分類されるであろう存在に触れたとき。私の中で、言葉にならない悲痛な渦が動き始め、今まで言われたあらゆる嘲笑や憐みの声がエコーしていくのである。
退職届を書いたのは、それからすぐであった。「普通」で「かわいい」ものに溢れているデザイン会社などで、こんな状態で仕事を続けられるはずがなかったから。届はあっさりと受理された。2年と8ヶ月座り続けたデスクとも、あと1ヶ月でお別れになった。
最後の退勤日、普段より数秒長い時間かけて「お疲れ様でした」と礼をしてから退社したけれど、おそらくそんな私の動作には誰も気付いていなかったと思う。一歩一歩歩くごとに、体の芯から涙が染み出して来そうになって、地下鉄の入り口へと急いだ。ポスターや広告は見ないようにして、下だけを向いて改札を通った。
そんな辞め方をしたのに。私は後悔でいっぱいだったのである。もしも上手くできたなら、もしも必要とされていたなら、もしも普通に仕事ができたなら……想像しても仕方のない「もしも」の海に力を抜いて浮かぶことで、私は私を慰めようと試みた。
それでもやはりダメだったようだ。エプロンを着てお弁当を運ぶネコのイラストで心がジクジクと痛くなってくる。こんな時どうすればいいのか。教えてくれる人に今日まで出会えていたなら良かったのに。私は昔から話すことが苦手で絵ばかり描く子供だったから、そんな相手もいない。専門学校に入学したばかりの時、校内で見かけた就活支援サイトの広告を思い出す。
——世界は広い、と。
ならば私の安らげる居場所だって何処かにきっとあるはずなのに。それでも今日も私は泣かずにはいられなかったことが、また悲しくなってしまった。
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