5.「代わりに打つ!」

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 列の端まで来ると、今度は隣の列に入り、また順番に長机の上を見て行く。そうして、何度か列を通り過ぎた時、 「あっ!」 わたしは会場の一角に、見知った顔を見つけて声を上げた。梶君がわたしの声につられたように視線を向け、 「あ、松峰先生だ」 と意外そうにその人の名前を口にした。  わたしたちはスペースまで近づいていくと、なかなか人が立ち寄ってくれないのか、退屈そうにしている先生に、 「先生!こんにちは」 「こんにちは」 と声をかけた。突然わたしたちに声をかけられた松峰先生は目を丸くして、 「蒼井さんと、梶君!どうしてここにいるの?」 と驚いた声を上げた。 「2人で『文学マーケット』を見に来たんです。先生こそ、どうしてここにいるんですか?見たところ、出展者みたいですけど……」  梶君が小首を傾げると、先生は、 「いやー、ははは……バレちゃったかぁ」 と困ったように頭をかいて笑った。 「私、大学時代から『文学マーケット』に毎年参加しているの」 「どうりで……。文芸部の本を作ってくれた時、手慣れてるなと思いました」  梶君が納得した表情で頷く。 「先生、高校時代、文芸部だったって言ってましたもんね。今でも、小説書いてたんですね」  わたしが感心したように言うと、松峰先生は、 「実は、文学賞に投稿なんかもしてるんだけど、全然引っかからないのよね」 と恥ずかしそうな顔をした。 「えっ、先生、小説家を目指しているんですか?」  びっくりして問いかけたら、 「なれたらいいなぁ~とは思ってるけど、なかなか難しいよ」 と先生は肩をすくめた。そして、梶君の方を向くと、 「だから、梶君はすごいと思う。『霧島悠』の本、私、好きだよ」 と言った。 「えっ……」  松峰先生の口から自分のペンネームが飛び出し、梶君が戸惑った表情を浮かべた。 「先生、梶君が『霧島悠』だって知ってたんですか?」  驚きの連続だ。わたしが先生に尋ねたら、先生は「うん」と頷いた。 「蒼井さんは知らない?3年前、中学2年生の子が小説家デビューしたって、かなり話題になったのよ。新聞や雑誌にインタビューが載ったりして。わたしは何かの雑誌でそのインタビュー記事を読んで、写真も見ていたから、文芸部の顧問になって梶君に会った時、すぐに梶君が『霧島悠』だって分かった。でも、梶君はそのことを隠してるみたいだったから、今まで言わないでいたんだけどね。こないだの文化祭で、バレちゃったんでしょ?」 「俺が小説家だってことはバレましたけど、『霧島悠』だってところまではバレてなかったんですけど……」  梶君は先生に向かって、困った顔をみせる。 「あ、そうだったの?ごめんねぇ、てっきり情報解禁だって思っちゃった」  松峰先生は両手を合わせて謝ったけれど、あまり反省している様子はない。 「学校では、あまり言わないでもらえると……」  いくら吹っ切れたからと言って、言いふらされるのは避けたいらしく、梶君は先生にそうお願いをした。 「オッケー、言わない」  先生は親指と人差し指で丸を作り、わたしたちに見せた後、 「その代わり、私が『文学マーケット』に出てたことや、小説家志望だってことも内緒にしてね。他の先生や生徒に知られたら、面倒くさいし」 片目をぱちんとつぶった。 「分かりました」 「言いません」  わたしと梶君は頷いて、先生と約束をした。
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