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4日かけて口述筆記が終わり、梶君は無事に原稿を編集さんに提出出来たらしい。
文芸部の時間、旧校舎の図書室で梶君はわたしに向き合い、
「今度は、蒼井さんの原稿を完成させる番だね」
と言った。
『若葉小説大賞』の締め切りまで、あと15日。
「斉藤が雛子に好意を持つ過程が急すぎるから、もう一つエピソードを加えた方がいいと思うんだけど……」
まだ痛々しく包帯を巻かれている右手の自由になる指だけで器用にルーズリーフを繰りながら、主人公の雛子と、雛子が片想いする斉藤君の関係について、アドバイスをしてくれる梶君の顔を、ぼーっと見つめる。真剣な表情がかっこいい。
「……蒼井さん?聞いてる?」
梶君に名前を呼ばれて、ハッと我に返った。
(いけない、いけない。梶君に見惚れてた)
慌てて、
「ご、ごめん」
と謝る。梶君は、ふうっと息を吐いた後、
「最近の蒼井さん、なんだかぼんやりしてない?」
と小首を傾げた。
「あっ、えっと……そうかな」
梶君のことばかり考えていて、ぼんやりしているだなんて、とても言えない。
慌てて笑ってごまかすと、梶君は怪訝な表情でわたしを見た。
「本当に、何でもないよ」
「何か悩みごとがあるなら聞くよ」
優しい言葉をかけられて、じーんとする。
(ああ、わたし、梶君のこういう優しいところが好きだ)
頬が熱くなり、とっさにうつむいた。そんなわたしを見て、梶君はもう一度、小首を傾げた後、
「よく分からないけど、元気のない蒼井さんに、元気が出るものを渡すよ」
と言って、隣の椅子に置いてあったカバンを手に取った。
「元気が出るもの?」
「――なんて、大きく出てみたけど、本当に蒼井さんが喜んでくれるかどうか、分からないけど」
梶君はカバンの中から、分厚い紙の束を取り出した。A4用紙の紙は200枚以上ありそうだ。右端を大きなクリップで止めてある。「はい」と差し出された紙の束を受け取って、一枚目を見て、わたしは目を見開いた。大きく小説のタイトルが書かれている。
「これ、もしかして……『霧島悠』の新作?」
「うん、そう。……蒼井さん、読みたいって言っていたから。口述筆記もしてくれたし、お礼」
「うわっ、嬉しい……!」
わたしは嬉しさのあまり、震える手で原稿を抱き締めた。こんな貴重な物、手に取れるなんて奇跡みたいだ。
「内容は、誰にも秘密にしてくれる?」
「もちろん!大事に読むね」
胸に原稿を抱いたまま、「うん」と頷く。満面の笑みを浮かべているわたしを見て、
「喜んでくれて良かった」
梶君も笑った。その笑顔がまぶしくて、わたしは目を細めた。
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