act.04

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   ◇   ◇   ◇  マルセイユへと向かうフェリーは定刻を少し遅れてポルト=ヴェッキオを出港した。  フェリーに乗り込むなり会議室で報告を受けた辰巳とフレデリックである。ガブリエル(Gabriel)ロイク(Loic)、そしてロラン(Roland)の三人が収集した情報は、どれもがフレデリックにとって有益なものだった。  だが、それを隣で聞いていた辰巳の意識は情報どころではなかった。  見た目も口調もフレデリックにそっくりなロイクと、若い頃のフレデリックにそっくりなガブリエルに囲まれた辰巳は頗る居心地の悪い思いを味わったのである。  苦手という訳ではないが、似たような顔に似たような口調の人物が三人も同じ場所に居るという状況は、やはり普通ではないだろう。思わず”ドッペルゲンガー”などという言葉を思い出してしまった辰巳だ。  ともあれ高い能力を有している三人の報告は簡潔で、短い時間で情報交換を終えることができたことだけが救いだった。  それぞれが各自の部屋へと散り、辰巳とフレデリックもまた一晩を過ごす客室へと足を向けた。客室へと入ったフレデリックが、開口一番『Queen of the Seas』を引き合いに出したのには呆れ果てた辰巳である。 「ただの移動手段とあんな馬鹿高い船を一緒にするんじゃねぇよ」 「またキミと船旅が出来たらいいのに」 「落ち着いたらな」  ソファに寛ぎながら、辰巳は肩に寄り掛かったフレデリックの髪を撫で梳いた。イタリアとのいざこざが片付いたら少しくらいは(ねぎら)ってやっても良いかもしれないと、そう思いながら。  どこに居ようとも隣に互いが居れば、ふたりには何の不満もなかった。 「明日は到着も早いし、食事をしたら今夜は早めに寝ようか」  飼い主に撫でられるペットよろしくフレデリックが目を閉じて囁いた時だった。客室のドアをノックする音がふたりの耳に届く。  むくりと辰巳の肩から頭を起こしたフレデリックの顔に、”不機嫌”の三文字が張り付いていたことは言うまでもない。 「僕と辰巳の邪魔をするなんて…」 「いいからとっとと行ってこい阿呆」  不満を零すフレデリックの腰を叩き、辰巳はテーブルの煙草へと手を伸ばす。ドアを開けたフレデリックの背中の向こうに見えたのはロイクだ。途端、フレデリックの背中に逆毛が立ったように見えたのは、きっと辰巳の見間違いだろう。 「やあフレッド、少しお邪魔してもいいかな?」 「いったい何の用だい? 僕は辰巳とゆっくりしたいんだけど」 「まあそう言わずに、ね?」  ドアの前から退く気のないフレデリックを、ロイクはあっさりとすり抜けた。強引に部屋へと侵入したロイクの背後からフレデリックの鋭い舌打ちが聞こえて辰巳が苦笑を漏らす。 「失礼するよ、辰巳?」 「ああ、構わねぇよ」  辰巳が視線で向かいのソファを示してやれば、ロイクはフレデリックによく似た顔で微笑んだ。ついでに、持っていた細長い紙袋を差し出してくる。 「これは、君にプレゼント」  テーブルに置かれたそれを取りあげれば、中にワインボトルが見えた。 「ワインか」 「とても美味しいから、あとでフレッドと飲んでね」 「おう、悪ぃな」  ロイクから受け取ったワインを辰巳はフレデリックに渡す。それすらも渋々と受け取るフレデリックのロイク嫌いは筋金入りだった。 「それで? いったい何の用があってあなたは僕と辰巳の時間を邪魔しに来たのか、教えてもらおうか」  フレデリックの口調は、納得できる理由でなければ許さないという空気をひしひしと漂わせている。 「やれやれ…、僕がただ君に嫌がらせをするためだけに来たとでも思ってるのかい?」 「そうでないのなら用件を告げて早く立ち去って欲しいね」 「用件というのは他でもないジュリエッティ(Giulietti)兄弟の事でね。君も知っての通り、御三家の中であそこだけはうちのように代替わりをしている。君は、そこにつけ入る気でいるだろう?」  フレデリックはようやく話を聞く気になったのか、辰巳の隣へと腰を落ち着けた。  ロイクの言う通りイタリア三大組織の中でナポリは代替わりを果たし、その頂点に立つのが兄のヴァレンティノ(Valentino)・ジュリエッティと弟のマルコ(Marco)・ジュリエッティである。  いかに共闘体制をとろうともけっして一枚岩とはいかないイタリアに、亀裂を入れるのであればナポリの良からぬ噂を流してやれば、シチリアとローマの頭の固い年寄りは疑いを向けるだろうと、フレデリックはそう踏んでいた。 「問題が?」 「シチリアとローマは最悪の場合、頭を入れ替えてしまえば新たな関係を築けると思う。けれど、あの兄弟は少し厄介かもしれない」 「もちろん、彼らも手に入れたばかりの地位を譲る気もないだろうね」 「どちらかが死なない限りは、ね」  できれば無用な争いは避けたいフレデリックの思惑通りにはいかないと、ロイクは忠告をしに来たという訳だ。  フレデリックは、クリストファーを除けば未だ組織の主だった幹部たちにもイタリアとどう交渉するつもりなのかを打ち明けていない。もちろんロイクも例外ではなかった。それでもフレデリックの考えを見越し、そのうえガブリエルとロランのいる場所を避けてわざわざやって来るあたりがロイクの抜け目のなさだろう。 「もちろん、ご退場願うのは兄君の方だろうね」 「そう言いたいところだけれど、あれはガードが固くてね。そう簡単に寝首をかける気がしないな」 「ロイク(Loic)ヴァシュレ(Bachelet)ともあろう男が、随分弱気な事を言ってくれるね」 「ほかでもない君が頼りにしてくれるのは嬉しいけれど、僕も神様じゃないからね」  万能ではないと、そう言ってロイクが肩を竦める。 「姿を現すのはマルコばかりで、ヴァレンティノは居場所を掴むのも相当難しい。もはや組織内でも”ヴァレンティノなんて人物は存在しない”なんて噂も流れるくらいでね」 「そのふざけた噂が事実である可能性は?」 「ないね。マルコも頭が悪い訳じゃない。けれど、組織の動きを見ていれば確実に背後に別人が居ると分かるよ」 「それがヴァレンティノかどうかは、謎のままという訳かい?」  呆れたように肩を竦めるフレデリックに、ロイクは苦笑を漏らすしかなかった。 「君の叱責は甘んじて受けるよ。今回は、僕の力不足としか言いようがないからね」 「あなたに不可能なものは、他の誰でも不可能だよ」  やれやれと、フレデリックは辰巳の左肩にこてんと寄り掛かった。当然簡単に片付くとは思っていなかったが、ロイクの話を聞けば計画を見直す必要がある。クリストファーとの打ち合わせの場に同席を依頼すれば、ロイクは恭しく頭を下げて部屋を出ていった。  再び静けさを取り戻した部屋の中、フレデリックはしばらく辰巳の肩に寄り掛かったまま今後の事を考えた。ロイクが足どりを掴めないとなれば、ヴァレンティノは相当用心深い男なのだろう。 「あまり根詰めすぎんなよ?」  思慮に耽ってたフレデリックは、髪を撫でられてはっと我に返った。 「辰巳…」 「お前はすぐ考え込むクセがあっからな。もう少し力抜けよ」 「うん。ありがとう」  とはいえど、これといってする事もなく静かな部屋に居れば自然とフレデリックの思考はこれからの事へと向かってしまう。常に何かを考えていないと落ち着かないのは、もはや性分とも言えた。  再び黙り込んで宙を見つめるフレデリックに苦笑を零し、辰巳はしばしの間左肩を貸すことにした。    ◇   ◇   ◇  午前八時にマルセイユへと到着した辰巳とフレデリックは、ポルト=ヴェッキオで合流した三人とともに船を降りた。サングラスをしていてもなお分かる辰巳の険しい表情にガブリエルが笑みを漏らす。 「本当に、親父は朝が弱いね」 「うるせぇなほっとけ」  ガブリエルに悪気はなかろうが、親子揃って似たような台詞を言われた辰巳の顔が増々渋くなった事は言うまでもない。 「会合の時間と場所は知らせた通りだよ。それまでは各自自由にしてくれていい」  移動続きの三人を労うように告げて、フレデリックは辰巳とともに港を後にした。言うまでもなく朝の早い時間に慣れない辰巳のために部屋を押さえているフレデリックである。  昨夜ロイクが手土産に持ってきたワインを片手にチェックインを済ませたフレデリックは、辰巳とともに早々に部屋へとひきこもった。 「あー…クソ、怠ぃ…」  部屋に着くなりソファに沈み込んだ辰巳の前に、ミネラルウォーターのボトルを差し出す。 「辰巳の前世はきっと吸血鬼(ヴァンパイア)だね」 「ああ?」  前世など欠片も信じていないであろうフレデリックの口から零れた言葉に辰巳は苦笑した。  二十年前からほぼ変わらない顔と躰。時に血の通っていなそうな雰囲気を醸し出す白皙の美貌。吸血鬼というのなら、辰巳よりよほどフレデリックの方がお誂え向きだ。 「お前に言われたくねぇな」  隣に腰を下ろした男へと呆れたように言い返し、辰巳はボトルへと口をつけた。喉を滑り降りる冷たさに少しだけ眠気が紛れる気がする。 「お前の場合、本当に誰かの血ぃ吸ってても俺ぁ驚かねぇよ」 「じゃあ、辰巳の血を分けてもらわなきゃ」 「今さらだな。いっつも齧りついてんだろぅが」 「けど、どうせなら僕は夢魔(インキュバス)がいいな」  しなだれかかるフレデリックを受け止めて、辰巳は小さく笑った。 「朝っぱらから盛ってんじゃねぇよ」 「精気を吸わないとインキュバスは生きていけないんだよ?」 「夢魔ってくらいなんだから起きてるヤツは襲わねぇだろ」 「寝ぼけてるキミがご馳走に見える」  どこまでも都合の良い言い分を並べ立てながらフレデリックは辰巳を押し倒した。されるがままの辰巳の唇へと齧りつく。  深く重なった唇から吐息を奪うフレデリックは、本当に辰巳の精気を吸い尽くそうとしているようだった。
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