act.04

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 ヴァレリーは演技じみた仕草でイレールへと首を振ってみせた。どうやらイレールの年老いた脳みそは、何故ヴァレリーまでもがこの場に居るのかを正確に理解できていないようだった。ともすれば、ただ国同士で喧嘩をするのだから同じフランスの組織として参加しているとでも思っているのかもしれない。 「その掟ってヤツが破られたから俺たちはイタリアと戦争をするんだ。受け皿がデカくなろうってのに、わざわざ飼い犬を路頭に迷わせる必要がどこにある。戦力にならない連中は犬小屋にしまっておけと、そうクリスは言ってるんだよ。そのために俺が居る」  ヴァレリーの言葉は、正確にクリストファーとフレデリックの意志を代弁するものだった。隣のロイクが面白そうな顔でフレデリックへと問いかける。 「フレッド、ヴァルの言っている事に間違いはないのかな?」 「ない」 「もちろんボスも同じ意見なんだよね?」 「ああ」 「では、我らがファミリーの進むべき道は決まったという訳だ。誰もが認める有能な船長殿(キャプテン)の舵取りに間違いはないよ。僕は、ボスの意志に従う」  ゆったりとしたリズムで手を打つロイクに続き、ロラン、ガブリエル、シルヴァンが倣う。続いてエリクとジャコブ、グレゴワール。それにヴァレリーとイヴォンが続いた。  自然辰巳の視線が向けられた廊下側の席の四人は、些か憮然とした面持ちながら手を叩いていた。 「決まりだな」  クリストファーの一声に全員の手がぴたりと止まる。室内に静寂が満ちた、その時を狙ったように、おもむろに口を開いたのはフレデリックだった。 「結構だね。けど、この場に居るキミたちにはくれぐれも忘れないでいてもらおうか。飼い犬の責任は、飼い主にあるという事をね」  フレデリックの冷たい視線が円卓についた男たちの上を滑る。平然としているのはロイクとヴァレリー、それにクリストファーくらいのものだった。ガブリエルとシルヴァン、それにロランとイヴォン、エリクとジャコブ、グレゴワールの表情が幾分か強張る。  イレール、ロベール、アドリアンとパスカルの廊下側の四人の表情は、明らかに蒼白だった。身を乗り出して口を開いたのはアドリアンだ。 「まっ、待ってくださいフレデリックッ! それではあまりにも…!」 「黙れ」 「…ッ」  テーブルに両腕をついたまま固まるアドリアンに一瞥すら与えず、フレデリックは続けた。 「組織の中で飼い主という立場でいたいのなら、相応の結果を出せばいい。この中の誰が飼い犬に手を噛まれたところで、それは本人の落ち度であって僕には関係がない」  フレデリックの声は、さぞかし抑揚もなく部屋に響いた。それとは対照的に、震えた声が辰巳の耳に届く。 「私たちをふるいにかけようというのか」  イレールは、声どころか肩までもが微かに震えている気がする。 「ふるいをかけたところで落ち度のない者は怯えたりはしない。それともイレール、キミには怯える理由があるとでも?」 「そうではない。これまでファミリーに尽くしてきた者たちは大勢いると、そう言っているんだ」 「その通り。だから僕たちはヴァレリーに協力を要請した。勘違いしないで欲しいね、僕はなにも非力な飼い犬たちを路頭に迷わせようとしている訳じゃない。”この場に居る”キミたちに忘れるなと言っているんだよ」  頭をすげ替えるだけだと言下に言い放つフレデリックに、だがイレールに反論の言葉はないらしかった。もはや辰巳から見れば年寄りが気の毒にさえ思える。 「僕とクリスは最小限の犠牲ですべてを成し遂げる。イタリアとの交渉も、ファミリーをこれまで以上に発展させることもね」 「いくらアンダーボスであろうとそんな勝手が許されると思っているのかフレデリック! だいたいフランスを離れている時間の方が長いあなたにファミリーのなにが分かるというのか!」  黙り込んだイレールに代わり声をあげたのはパスカルだった。 「それには僕が答えようかパスカル」 「ロイク……」 「フレッドは拠点を日本に移しているけれど、なんら仕事を疎かにはしていないよ。今どき世界中のどこに居ようとネットさえあれば現地に居るのと変わらないからね。現にこうして、フレッドは必要な時は僕たちの前に居るじゃないか。何の問題もないし、もちろんそれはアドルフもレナルドも承知している事だよ」 「だからといってすべてに目が届く訳じゃない!」 「そうかな。むしろフレッドの不在を良いことに好き勝手する連中があぶりだせていいじゃないか。フレッドがあまりにも目を光らせていると、悪事が巧妙になって困る。体を蝕む膿は、早いうちに排出してしまわないと、…ねぇロラン先生?」 「私に振らないでいただきたい」 「ちぇ…つれないなぁ…」  拗ねるロイクの隣で、ヴァレリーがおかしそうな笑い声を響かせた。 「おいフレッド、この際足を引っ張りそうな”飼い主”をこの場で処分するってのはどうだ? イタリアの連中と遊んでる最中に邪魔をされては敵わんからなぁ」  じろりとヴァレリーに睨まれたパスカルが、乗り出していた上半身を僅かに引く。 「お前の言い分は、保身にしちゃあ少々やり過ぎだな。だいたいボスが目を瞑ってることに口を出すのなら、フレッドじゃなくクリスに進言するのが筋ってもんだろ」 「ヴァル、その辺にしておいてくれるかい? 収拾がつかなくなってしまう」 「そりゃあ悪かったな。思ったことは口に出さないと気が済まない質でな」 「君のそういうところは嫌いじゃないけどね」 「好きって正直に言えよ」 「好きだよ、ヴァル」  茶番を始めた二人組を呆れたように眺め遣り、フレデリックは相変わらず抑揚のない声を出した。 「もしこの中に、ファミリーの方針に従えないという人間がいるのなら今すぐ出ていくと良い。今回の件で邪魔をしないと誓うのなら見逃してあげるよ」  フレデリックの一言は、幹部たちを騒めかせた。互いに顔を見合わせる幹部たちを面白そうに眺めるヴァレリーとロイクを辰巳が見ていれば、イヴォンに睨まれる。何を言われた訳でもないというのに思わず頭を掻いた辰巳である。   「良いのかよ?」 「うん?」 「お前が頭をすげ替えてぇのはだいたい想像がつくが、ありゃあ体面もなく退場しそうだろ」 「キミの心配はもっともだけれど、僕はなにも今後見逃すと言ってる訳じゃないからね」 「今だけとも言ってねぇだろぅが」  フレデリックの考えがようやく読めた辰巳は、渋い顔でフレデリックを見遣った。 「そこまで回る頭があるならまだ一考の余地はあるけれど、あの調子では目の前の餌に夢中だと思うよ?」 「本当に性格が悪ぃなお前は」 「冗談だろう? こんな単純なことにも気づかない彼らが悪いんじゃないか。僕は悪くない」 「あぁそうかよ」  どうでもいいかのように吐き捨てて、辰巳はヴァレリーのように足をテーブルへと乗せた。フレデリックの方へと躰を傾けたおかげで、目の前に靴を乗せられたガブリエルが僅かに眉を(ひそ)める。 「親父…」 「あん?」 「日本のヤクザにはギョウギっていうのがあったと思うんだけどな」 「そりゃ下っ端の話だろ」  ガブリエルの苦言をさらりと躱す辰巳の視界でイレールとロベールの二人が立ち上がった。 「予想通りだな」 「ふふっ、キミの見る目はいつでも正しいよ」  ひそひそと会話を交わす辰巳とフレデリックの代わりに、クリストファーが立ち上がった年寄りたちへと口を開く。 「良いだろう。イレール、ロベール。お前たちの意志を尊重するとしよう」 「約束は守っていただけるのでしょうな?」 「お前たちがファミリーに不利益を与えるような事がなければ当然守られるさ」 「下っ端の意気を削ぐのも、立派な不利益ってもんじゃねぇのか?」  呆れるクリストファーに、思わず口を出した辰巳の言葉にヴァレリーの豪快な笑いとロイクのおかしそうな笑い声が部屋に響いた。 「どうして東洋人などにそんな事を言われなければならぬのか!」 「そう怒んなよ。俺ぁあんたらに忠告してやってるだけだ。あとはてめぇらで意味を考えるこったな」  ロベールの怒りように動じる様子もなく辰巳が告げれば、隣から小さな声が聞こえてくる。 「辰巳は優しいね」 「無用な口出して悪かったな」 「いいんじゃないかな。どちらにしても、彼らの未来は変わらないからね」  薄く笑うフレデリックの顔が、辰巳には能面のように思えた。 「ロベール。二十四時間だ。二十四時間後にもう一度答えを聞いてやる。イレールもな」 「ボスッ!」 「言い訳も不満も聞く気はない。お前たちはこの部屋を出ていくことを選んだんだ。さっさと出て行け」  低く威圧を纏うクリストファーの声に、イレールとロベールは一度だけ顔を見合わせて部屋を出ていった。その背中を見るアドリアンとパスカルの顔に、安堵の色が浮かんでいた。 「さて、話を戻そうか」  やれやれと肩を竦めるクリストファーへと、グレゴワールが控えめな声で問う。 「ボス・クリストファー、…マルセイユとパリを抜いてイタリアとの交渉を乗り切るつもりですか?」 「ファミリーは個人の下にあるわけじゃない。イレールもロベールもただのまとめ役だ、二人程度居なくなったとして何の問題もない。それとも、お前はあの二人に個人的な忠誠を誓う者が居るとでも思うのか、グレゴワール?」 「い、いえ…。私の部下たちも、もちろんファミリーに忠誠を誓っている者たちばかりです」  ただの汗かきなのか、それとも今だけなのか、グレゴワールは忙しなくハンカチを持つ手を動かしていた。その忙しない手の下から、チラチラとクリストファーやフレデリックの様子を窺うさまがどこか小悪党を思わせる。  空席になった二席をちらりと一瞥し、クリストファーは言った。 「当分の間は内部も騒がしくなるだろうが、ひとまずお前たちの仕事は、逃げようとする連中をコルスへ誘導することだ」  残った五人の男たちはそれぞれにクリストファーへと頷いた。 「ロイ、ロラン、ガブリエルは引き続き情報収集と監視を頼む」 「仰せのままに、ボス・クリストファー」  歌うように告げるロイクに、クリストファーは呆れたように首を振ってロランとガブリエルを順に見遣った。どちらも、小さく頷くだけで了解の意を伝えてくる。 「シルヴィー、お前も変わらずだ」 「はい。逃亡者の管理ですね」  義理の息子へと頷いてみせたクリストファーは、ヴァレリーへと目を向けた。 「そういう事だヴァレリー。もし必要なものがあればシルヴィーに言ってくれ。今後、こいつがお前のところと遣り取りをする事になる。息子のシルヴァンだ」 「養子にしても似てないのを選んだな」 「フレッドにも言われたよ」 「そうだろうな」  クリストファーとヴァレリーが遣り取りをする間に、シルヴァンはヴァレリーの元へと歩み寄っていた。 「シルヴァンと申します。宜しくお願いします」 「礼儀は、親父よりも知っているようだな」 「聞こえてるぞヴァレリー」 「聞こえるように言ってるんだよ」 「気をつけろよシルヴィー。あまりそいつに近付くと番犬に噛みつかれるからな」  クリストファーが顎をしゃくった先は、もちろんイヴォンだ。 「はじめましてイヴォン。シルヴァンです」  静かに差し出されたシルヴァンの手を一瞥し、イヴォンはふいとそっぽを向いた。 「…イヴォンだ」 「はい。よろしくお願いします」 「よろしく…」  小さく呟かれた言葉にシルヴァンが柔らかな笑みを浮かべる。 「よろしければ、今から少し体を動かしに行きませんか? 私もガブリエルも、ちょうどトレーニングの時間なのですが」 「え?」 「ここでの話は、聞いていてもつまらないでしょう?」  あとでヴァレリーに聞けばいいのだと唆すシルヴァンに、イヴォンの視線が飼い主へと向かう。 「行って来たらどうだ。運動はお前も嫌いじゃないだろ」 「いいのか?」 「ついでに遊んでもらってこい。シルヴァンは無理だろうが、ガブリエルならお前と充分遊べるだろうしな」 「買いかぶり過ぎですよヴァレリー。コルスの狂犬は俺の手にもあまります」  そう言いながらも立ち上がったガブリエルは、楽しそうにシルヴァンの元へと歩み寄った。血の繋がらない従弟の肩に肘をかけてガブリエルが笑う。 「はじめましてイヴォン。ガブリエルだよ」 「…あんた…金髪の子供かよ」 「血縁関係はないけどね。ああ、そう言えばキミはフレッドが好きじゃないんだっけ?」 「大嫌いだ」 「そっか。まあ似てはいるけど俺は別人だから仲良くしてくれると嬉しいな」  ガブリエルのこれ以上ないほど胡散臭い笑顔は、もはや養父譲りと言えなくもない。  大嫌いだという金髪と赤毛の養子たちを交互に見あげたイヴォンは、だが退屈に負けて腰をあげた。 「ヴァル、ちょっと行って来る」 「おう、遊んで来い」  ひらひらと手を振るヴァレリーへと、シルヴァンとガブリエルは一礼して部屋を後にした。イヴォンを連れて。
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