act.04

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 ぐっと平均年齢のあがった部屋には、若い三人と入れ替わるように酒が届けられた。フレデリックもクリストファーも手配していないと言えば、イレールとロベールからの差し入れだという。  酒好きのヴァレリーが相好を崩したことは言うまでもない。 「気が利くじゃないか。……と言いたいところだが、毒でも入ってるんじゃないだろうな」 「いくらあなたでも口が過ぎますよヴァレリー」 「そう怒るなロラン。冗談だ」  毒を仕込むには、二人が退出してからそう時間は経っていない。だが、毒見をするに越したことはないだろうというのが、口には出さずともこの場に残った全員の総意でもあった。  クリストファーの視線がフレデリックへと向けられる。 「さてどうする、お兄様?」 「僕に毒見をしろとでも言うつもりかい?」 「他に誰が居る。俺は酒を飲む気はない」  下戸であるクリストファーは、頗る酒癖が悪い。ほんの僅かアルコールを舐めただけで豹変することは、この場の誰もが知っていた。  だからといってフレデリックがはいそうですかと毒見役を引き受けるはずもなく。空席の目立つ室内は妙な緊張感に包まれることとなった。幹部たちの顔が、いつ毒見役を言い渡されるかと恐怖に引き攣っていた。  沈黙を破ったのはロイクだ。 「仕方がない。我らがアンダーボスと、大切なゲストを危険に晒す訳にはいかないからね。ここは僕が引き受けよう」  隣で口を開きかけていたヴァレリーを横目で見遣り、ロイクは笑った。 「おいロイク、俺がいつ毒見をすると言った?」 「言おうとしてたくせに」 「賢しいのは変わらずだな。可愛げもない」 「僕は可愛がられたいタイプじゃないからね」 「つまらん冗談を言ってる暇があるならさっさと毒見をしろ。俺は酒が飲みたい」  椅子にふんぞり返ったままのヴァレリーに苦笑を漏らし、ロイクは運ばれてきたワゴンへと歩み寄った。封がされたままのワインボトルを取りあげて入念に観察するロイクのそばに、ロランが歩み寄る。 「どうです?」 「細工された形跡はないみたいだね」 「そうですか。一応診療器具は一式持ってきていますので、安心して毒見なさってください」 「まさかこの僕が毒見をする事になるとはね。酷い話だと思わないかいロラン?」 「下手に抵抗力のない方にされるよりは、私としては助かりますが」  医師免許を持つロランの台詞には容赦がない。身長だけで二十センチも高いロイクを見上げ、ロランは穏やかに微笑んだ。 「体が大きいぶん、毒の巡りも遅そうですしね」 「そういう問題じゃないと思うんだけどな…」 「いいですか? 動物というのは総じて体が大きいほど鼓動はゆっくりしているんです。つまり体が小さい動物よりも、血のめぐりが緩やかなんですよ」 「人間という生き物のくくりでその定義が適用されるようには思えないけれど…」  呆れるロイクの肩に、ロランはぽんと手を乗せた。 「大丈夫ですよ。あなたは、何事にも動じないでしょう?」 「やれやれ、君にかかると勝てる気がしないね」  諦めたように肩を竦め、ロイクは抜いたばかりのコルクを眺める。やはり細工をされている形跡はなさそうだった。  紅い液体を注がれたグラスを躊躇いなく口へと運ぶロイクへと視線が集まる。 「如何ですか? 変わった味や、舌に違和感は有りませんか?」 「ないね」  あっさりと呟くロイクに、俄かに張り詰めていた空気が弛緩していく。幹部たちの口から零れ落ちる安堵の溜息を、酒を飲まないクリストファーだけが他人事のように眺めていた。  自席へと戻ってしまったロイクに代わりグラスを配り終えたロランが席へ戻ろうとすれば、ヴァレリーが呼び止める。隣へ来いというヴァレリーの要求に、ロランは躊躇いながらも従った。呆れた、というよりも面倒だという態度をありありと浮かべるロランをヴァレリーが鼻で笑う。 「お前は相変わらず隠し事が下手だな」 「隠そうとしていないのだから当然ですよ」 「…相変わらず可愛げもない」  不貞腐れたヴァレリーが一気に酒を煽る。空いたそのグラスに、ロランはワインを注ぎ足した。その様子を可笑しそうに眺めていたのはロイクである。 「乾杯もしていないのに君という男は…」 「お前だって飲んだだろ」 「毒見だけどね」 「なんだ? ニースではボスより先に酒を飲んじゃならないなんてつまらない決まりがあるのか?」 「我らがボスは酒を嗜まないよ。というか、君のところと違ってうちのペット()たちはお行儀がいいからね。ちゃんと”待て”ができるんだ」  残った五人の幹部たちを見回してロイクが言えば、クリストファーが溜息を吐く。  好きに飲めと、どうでもいい事のように告げるクリストファーに幹部たちが軽くグラスをあげてみせるのを横目に、ロイクが口を開いた。 「ところでクリス、そろそろ、可愛い部下たちの不安を払拭してあげてもいいんじゃないのかい?」 「不安?」 「そう。不安」  短く応えるロイクに、クリストファーの視線が幹部たちへと向けられる。その面々には確かに、不安の色が滲んでいるような気がした。 「自分たちの身と土地を守るだけだ。何も変わらない」  これといって特別な事をする必要などないと、クリストファーがそう言えば、それまで黙っているだけだったエリクが口を開いた。 「ボス・クリストファー、俺に出来ることなら何でもします。俺もイタリアに連れて行ってください…!」  エリクの瞳に爛々と浮かんでいるのは、クリストファーに対する憧れと敬意だ。幹部の中でエリクだけが、クリストファーとフレデリックが組織を継いでから幹部の座に就いた人物だった。少々短気な点を除けば面倒見も良く、部下からも慕われる兄貴肌の男である。  エリクのクリストファーへの心酔ぶりは組織の中でも有名で、この場で手を挙げたからといって文句をつける者も居なかった。否、文句をつける者はすでにこの部屋に居ないというだけの事ではあったが。  クリストファーがフレデリックを見遣る。 「どうするフレッド? 行きたいそうだがまとめ役として連れていくってのは」 「キミの判断に任せるよ」 「だそうだエリク。俺たちが動いている間、お前には現地での指揮を任せる」 「ありがとうございます…!」  子供のように目を輝かせるエリクに笑みを漏らしたのは、隣に座るジャコブだった。 「エリク、良かったな」 「ああ。ボスの役に立つことが俺の望みだったからな。やっと機会が回ってきたようだ」 「無理はするなよ」  ジャコブはアドルフの代から幹部を任されているが、イレールやロベールのように古臭い考えもなく、クリストファーやフレデリックのやり方に不満を漏らすこともない。性格は真面目で、働きぶりも誠実。些か気の弱いところがあるものの、面倒見も良く部下たちからの信頼も厚い好人物だ。  エリクの肩を叩くジャコブの姿をハンカチの隙間から見遣り、グレゴワールが声をあげた。 「クリストファー、その…我々も…?」 「グレゴワール、人には適材適所ってやつがある。お前を前線で戦わせようなんぞ思ってないから安心しろ」 「は、はあ。ありがとうございます…」  相変わらず忙しなく汗を拭うグレゴワールを、隣のロイクが呆れた様子で見ていた。だが、ロイクが口にしたのは別の事である。 「ところでクリス。僕はまあ当然として、フレッドと君、ガブリエルの他に実働部隊はどれくらいの規模になるのかな?」 「辰巳を連れていく」 「シチリア四千九百、ナポリ五千四百、ローマ五千百。それに対してうちはたったの五人?」  可笑しそうに笑うロイクにクリストファーがわざとらしく肩を竦める。 「馬鹿を言うな。もちろん兵隊は別に連れていくさ」 「それにしてもだよ。各地のトップたちの周囲にどれだけの人数が居ると思ってるのかな?」  トップだけではない。ナンバーツーにしてもそれぞれに護衛がついているのは明らかだった。 「頭ひとつに対して少なくとも二十人は下らないだろうな」 「承知のうえという訳かい? なかなか面白い事になりそうだね」 「別に一気に相手にする訳じゃない。上手く潜り込めれば正面から当たらずに済むからな。そう考えれば手間でもないだろ?」 「上手く潜り込めれば、ね」  これでは逃げ出す人間が居ても仕方がないと、逃げる気などさらさらないロイクが言うのは幹部たちにとって、嫌味以外には聞こえなかっただろう。 「おい待て待てロイ」 「なんだい? ヴァル」 「俺を除け者にするなよ」  ようやくテーブルから足を下ろしたヴァレリーは、椅子ごとロイクの躰を引き寄せた。なすがままのロイクの耳元に囁く。 「この俺に子守りだけさせて、愉しませない気か?」 「君が遊びたいというのなら、クリスも歓迎だとは思うけど…」  なにせ狂犬がついてくると、そう言ってロイクが笑う。ヴァレリーが戦力として申し分ないのは、言うまでもない事実だ。 「君の番犬は我らがボスと、アンダーボスを嫌っているようだからね」 「それと喧嘩は別だ、安心しろ。それに言っておくが、フレッドにそっくりなお前もイヴに嫌われてるぞ」 「ええ!?」 「今さら何を言ってる」 「まあ、残念だけどそれは仕方がないね…」  しゅんと項垂れるロイクの蟀谷にヴァレリーは唇を寄せた。 「代わりに俺が慰めてやろう」 「素敵なお誘いだけれど、僕には恋人がいるからお手柔らかにね?」 「噂には聞いてたが、本当だったのか」 「惚気は聞かせてあげないよ?」 「惚気られるほどお前が好かれてるとも思えんが」 「酷いなぁ。僕を何だと思ってるんだい?」 「”壊し屋”が何を言ってる」 「ヴァルこそ、ちゃんと番犬を躾けておいてくれるのなら大歓迎だよ? ねぇクリス」  エリクを除く幹部たちが不安そうな面持ちを浮かべる中、大人げなくはしゃぐ二人にクリストファーは「好きにしろ」と吐き捨てた。    ◇   ◇   ◇  予定通りの時間に解散した会合の後。フレデリックと辰巳、クリストファー、ヴァレリーとロイクの五人は、すっかり意気投合したシルヴァンとガブリエル、イヴォンを部屋に残し酒場へと移動した。  広い個室にコの字型に配置されたソファの一番奥を、フレデリックは当然のように辰巳と陣取った。辰巳の右手側にはロイク、そして左側のクリストファーだ。  ヴァレリーは、クリストファーを選んだらしかった。ちゃっかり隣を陣取り肩へと腕を回すヴァレリーをクリストファーが嫌そうに押し退ける。 「絡むな鬱陶しい」 「酒に付き合えないぶん愉しませろよ」  ウザ絡みするヴァレリーに顔を顰め、クリストファーは盛大な溜息を吐いた。 「おいフレッド。お前が招待したんだろう、この鬱陶しい男をなんとかしろよ」 「僕には辰巳がいるからロイに任せるよ」 「まあ、ヴァルは嫌いじゃないからね。別に構わないけれど…」  言いながら、途中で何かを思いついたようにロイクはスマホを取り出した。パネルに指を滑らせるだけで何も言わないロイクにフレデリックがクリストファーへと肩を竦める。 「はい完了。すぐにヴァルの接待係がくると思うよ」 「接待係? そんなもん居んのかよ」 「君と同じくらい酒に強くて面倒見の良い男がね」 「はぁん?」 「そういう事だから、もう少し我慢してねボス?」
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