act.04

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 クリストファーの窮地を救うため、ロイクの呼び出しに応じて現れたのはロランだった。驚きに、辰巳の目が僅かに見開かれる。 「ロランかよ」 「ロランはね、ヴァルとは幼馴染なんだよ。それに、ひ弱そうな見かけによらず結構な酒豪だしね」 「はぁん?」  ヴァレリーのちょっかいを避けるクリストファーの姿と、ロイクと辰巳の遣り取りにロランは事情を察したらしい。 「ヴァレリー、酒癖が悪いにもほどがありますよ。あなたが誰に向かって無礼を働いているのか、わかってやっているんでしょうね?」 「お前が来るまでの暇潰しだ」 「大それたことを言わないでください。いくらあなたでも、次は本当に頭に風穴が空きますよ」 「最初からお前が来れば良かったんだ。もったいぶるなよ」  何故か渋い顔をするヴァレリーの隣へとロランは大人しく腰を下ろした。その様子に、辰巳が何気なく口を開く。 「お前、コルス出身なのかよ?」 「ええ。ヴァレリーの元で働く気にはなれませんでしたので私はこちらに」  クリストファーがロイクの隣に落ち着くのを見遣り、些かつまらなそうな顔をしながらもヴァレリーはロランの肩を気安く抱いた。 「俺の部下は嫌だとか、生意気だろう? 昔からこいつはそうなんだ。しかも当てつけのようにフレッドの部下になってるんだからな」 「あなたがもう少し謙虚だったなら、私はコルスに残っていましたよ」 「俺のせいだっていうのか?」 「ええ。あなたのような傍若無人な上司など私は御免です」  きっぱりと言ってのけるロランに鼻を鳴らし、ヴァレリーは肩を竦めた。だが、ロランの肩に掛かった腕に離れる気配はない。そんな二人の姿を見遣り、笑みを零したのはロイクである。 「ヴァルは、お気に入りの子をうちに取られちゃって拗ねてるんだよねぇ?」 「昔の話だ。こんな生意気な犬など要らん」 「ふぅん? その割に君は、未だにロランが好きだよね」 「引き抜かれるのを警戒してるなんて冗談は言うなよ」 「そんな心配はしていないよ、ロランは信用できる。たとえ君とロランが恋人同士になったとしても、うちの情報が君に漏れることはないだろうね」  逃がした獲物は大きかったねと、ロイクはそう言って笑った。事実、ロランの口の堅さはロイクならずフレデリックもクリストファーも認めるところだ。そのうえ、医師としての腕も一流である。  数の劣勢を今さらながらに悟ったのか、渋い顔をしたヴァレリーは八つ当たりのようにロランを手荒く引き寄せた。 「っヴァレリー…!」 「黙れよ。俺の機嫌を損ねたら、フレッドの努力が水の泡だ」 「卑怯なのは相変わらずという訳ですか」 「何とでも言え。俺は自分の立場ってものを理解してるだけだ。精々もてなせよ」  悪びれもせずにロランを脅すヴァレリーを咎める者はいなかった。ロラン本人でさえも。 「わかりました。あなたの希望通り精々媚を売ってさしあげましょう。あなたの”立場”というものにね」 「本当にお前は可愛げがない」 「ありがとうございます」  ごく自然な口振りで礼を言いながら、ロランはヴァレリーの頬へと唇を寄せた。挨拶、というには些か艶やかな雰囲気を纏うロランの姿に、辰巳の袖をフレデリックが引く。 「あん?」 「僕もあんな風に甘えられたい」 「ああ? 馬鹿じゃねぇのかお前」  突然何を言い出すのかと、渋面を作る辰巳へとフレデリックが躊躇なくしなだれかかる。 「じゃあ、僕が甘えるから」 「ざけんな阿呆。誰も許しちゃいねぇだろぅが」  押し退けようとする腕をものともせずに、フレデリックは拗ねたように辰巳の耳元に囁いた。 「会合の間、ずっと我慢してた僕を甘やかして?」 「お前は偉そうにふんぞり返ってただけだろ」  クリストファーの方がよほど仕事をしていたと辰巳が言えば、ロイクの可笑しそうな笑い声が聞こえてくる。 「それは仕方がないよ辰巳。フレッドが口を開こうものなら、話し合いなんてできもしないからね」  幹部らの態度を見ただろうと、そう言って笑うロイクの隣でクリストファーが肩を竦める。 「辰巳、お前は忘れてるかもしれんが、フレッドはあいつらにとっちゃ死神同然だからな。イレールもアドリアンもパスカルも、今頃はベッドで震えてるだろうよ」 「そうそう。いつフレッドが大きな鎌を持って首をとりにやってくるかと、ね」 「そいつはどうだろうな。禍々しい鎌を振り回すのは、フレッドだけとは限らんだろう」  クリストファーの台詞に、思い出したかのようにヴァレリーが呟いた。 「ニースには、金髪に碧い瞳の死神が二人いる…か?」 「君にしては情報が古いねヴァル?」  グラスを口許に運びながら、ヴァレリーの視線がロイクを促す。ロイクは片目を瞑りながら口を開いた。 「今は、金髪の死神が三人いるんだよ」 「ガブリエル…。天使の名を持った死神とは、ずいぶん洒落てるな」  感心しているのか呆れているのか分からないような顔でヴァレリーがフレデリックを見遣る。ひっついたまま、答えることなく肩を竦めるフレデリックを辰巳が呆れたように見下ろした。 「夢魔だの吸血鬼だのが聞いて呆れるな」 「ふふっ、まさかキミがそんなことを覚えてるとは思わなかった」 「おっかねぇ嫁だよまったく」 「キミの前ではこんなに可愛いのにね?」 「はッ、言ってろタコ」  ごつりとグラスの底で額を弾かれてフレデリックは唇を尖らせる。 「痛い…」 「死神にも痛覚があんのかよ?」 「辰巳まで僕をそんな呼び名で呼ぶのかい?」 「冗談だろ、怒んなよ」  フレデリックを押し退けようとしていた武骨な手は、いつの間にやら金色の頭を撫でていた。その様子に、クリストファーの口から苦笑が漏れる。 「なあロイ、俺はいつまでこんな茶番を見てなきゃならない」 「うん? 羨ましいなら僕が慰めてあげるよ?」 「ハーヴィーに恨まれるのは御免だ。あいつにへそを曲げられるとうちの収入が激減する」  ハーヴィー(Harvey)エドワーズ(Edwards)。英国人でありながら組織の中でも中核を担う男の顔を思い浮かべ、クリストファーはロイクの手を叩き落した。そして、何を隠そうハーヴィーはロイクの恋人でもある。  客船『Queen of the Seas』のホテルマネージャーだったハーヴィーは、もう随分と前にロイクとともに船を降りた。その後数年で五つ星ホテルの総支配人となったハーヴィーを引き抜いたのは、他でもないクリストファーである。  排他的な組織において、フランス人以外の人間を迎えるというのが前代未聞であったことは言うまでもない。が、アドルフからの代替わりをきっかけに、クリストファーとロイクはハーヴィーを組織へと引き入れた。  当然、反発はあった。だが、結果としてハーヴィーの働きによって組織にもたらされた資金は莫大な額にのぼり、今や文句を言う者すらいないという手腕の持ち主である。 「ハーヴィー? 聞き慣れない名前だな」 「ああ、ヴァルにはまだ言ってなかったね。僕の恋人だよ」 「どこをどう(つつ)いても出てこなかった情報を、そんなにあっさり漏らしていいのか?」 「ヴァレリー・トラントゥールともあろう男が、僕の恋人を盾にとって何かをするような姑息な(やから)だとは思っていないよ」  わざとらしい笑みを浮かべるロイクにヴァレリーは大袈裟に肩を竦めた。 「もし手を出せば、ニースの死神に命を狙われるという訳か」 「それも、”壊し屋”の異名を持つ死神にね」 「覚えておく」  ヴァレリーにしては神妙な面持ちで返された返答に、ロイクがグラスを軽くあげてみせる。  だが、ハーヴィーの名前に驚いたのはヴァレリーだけではなかった。 「ハーヴィーって、もしかして俺が船で脅したあいつか?」 「そうだよ。もう十年以上も前の事なのによく覚えていたね、辰巳」 「そりゃああン時は肩書確認すんのにネームプレート見たからな」 「僕の旦那様は記憶力も素晴らしいね」  すりすりと嬉しそうに頬を寄せるフレデリックを完全に無視して辰巳はロイクを見遣った。 「あれからずっと付き合ってたのか?」 「当時は色々あったけれど、おかげさまでね」 「俺の記憶が正しけりゃ、ずいぶん嫌われてた気がすんだがよ」 「人生というのは何が起こるか分からないから面白いんだよ、辰巳?」 「そうかよ」  フレデリックとそっくりな笑みを浮かべるロイクを胡乱げに眺め、辰巳はグラスを口へと運んだ。どうしてこう胡散臭げな笑い方まで似ているのかと、そう思いながら。  当時ロイクとハーヴィーの間になにがあったのかを辰巳は知らない。聞こうとも思わない。今ふたりが付き合っているというのなら、それが事実なのだろう。ただ、ロクでもない手段で手籠めにでもしたのだろうと、そう思わなくもなかったが。  だがしかし、そう思ったのはなにも辰巳だけではなかったようである。 「嫌われてたのに付き合ってるのか? お前が?」 「どうしてそんなに不思議そうな顔をするのかな、ヴァル」 「脅してるの間違いじゃないのかと思ってな」  さらりと毒を吐きながら可笑しそうに笑うヴァレリーに、だが返事をしたのはロイクではなくロランの方だった。 「ロイクと同類のあなたの口からそんな言葉が出るとは、世も末ですね」 「俺はロイほど手荒くないだろ」 「立場を笠に着るのと、暴力で支配するのと、果たしてどちらがマシでしょうね」  至極正論を吐くロランにヴァレリーとロイクが顔を見合わせる。その表情は渋かった。思わず辰巳の口から苦い笑いが零れ落ちる。 「どっちもどっちじゃねぇかよお前ら…」 「そう言うお前も会って二度目でフレッド強姦しただろう」  すかさずクリストファーから返された台詞に、ロイクとヴァレリーの視線が辰巳を向く。 「言っとくが色目使ったのはこいつだぜ?」  隣の嫁へと親指を向けて言い放つ辰巳からフレデリックを経由して、ロイクとヴァレリーは互いに顔を見合わせた。 「フレッドを…」 「強姦…」  口々に呟くロイクとヴァレリーに、溜息を吐いたのはロランだった。 「よもやここまで真っ当な人間が居ないとは…呆れてものも言えませんね」 「俺を一緒にするなよロラン」 「クリストファー? あなたがそれをおっしゃいますか?」  ぴしゃりと言われてしまえばクリストファーにも反論の余地はなかった。なにせクリストファーの遊び癖は、相当なものである。たとえ今は恋人一筋といえど、過去が消える訳でもない。  勝ち誇ったように微笑んだのは、フレデリックだ。 「まあ、まともなのは僕とロランくらいのものという事だね」 「……そういう事にしておきましょうか…」  盛大な溜息とともに吐き出したロランに、他の四人の憎々しい視線が集まったことは言うまでもない。ロイクに至ってはロランの隣に移動する始末である。 「おいロラン、フレッドには甘いんじゃないか?」 「そうだよロラン、どうして僕はヴァルの同類にされたのかな?」 「他人をどうこう言える立場ですか?」 「俺は納得がいかないって言ってるんだ」 「僕とフレッドのどこが違うのか教えてもらわないと」  あっという間に大柄な二人に挟まれたロランが鬱陶しそうに眉を顰める。 「現にこうして私に絡んでいるところが、です。少なくともフレデリックは、私にこのような真似はしませんよ」 「そりゃあお前、フレッドには辰巳が居るからだろう。ロイは恋人がいるっていうのにこれだ。まだ俺の方がマシだろ?」 「君こそ、可愛らしい番犬が聞いたら泣いてしまうんじゃないのかい? ヴァル」 「私を挟んでつまらない口論を繰り広げないでください。鬱陶しい」  ぴしゃりと言い放ち、ロランは煽ったグラスを手荒くテーブルに置いた。思いのほか大きなその音に、ロイクとヴァレリーが顔を見合わせる。 「やりすぎたかな?」 「お前のせいだろう」  ロランの背後で囁き合う二人に、クリストファーが呆れたように首を振るのがみえて、辰巳は小さな笑いを零した。 「辰巳?」 「いや、なんでもねぇよ」  同じフランスにありながら対立していると聞いていただけに、和やかな雰囲気に辰巳が内心胸を撫で下ろしたことは言うまでもなかった。
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