ヤクザは静かに愛を与える。

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 やがて地下から顔を覗かせたマイケルは、クリストファーの姿にその真面目な相好を崩した。 『クリス。無事だったんだな』 『当然だろう。約束は守るさ』  何やら甘い雰囲気を醸し出すふたりを横目に、辰巳はやれやれと苦笑を漏らす。仲の良いことだと、自分たちも同じようなものだという自覚のない辰巳は肩を竦めた。 「ところでマイク、フレッドが何言ってっか通訳してくれねぇか。イタリア語なんぞさっぱりわからねぇよ」 『相手はイタリア人なのか?』 「どうやらそうらしいな」  カウンターの裏に隠れていようとも、フレデリックの声は充分聞こえてくる。外にいる侵入者の声も、静かな敷地の中では問題もなく聞き取ることが出来た。 『話の途中で良く分からないが…。相手はこのまま引き下がると思うなと、そう言っているようだ』  クリストファーの腕に抱かれながらも、マイケルは緊迫した空気に不安げな表情を浮かべていた。 『僕たちは無駄な争いを好まない。けれど、キミたちが火種を持ち込むというのなら、僕たちは歓迎するよ…今夜のようにね。キミたちは、勝手に数を減らし、力を削がれていく。ただそれだけだ』  フレデリックの呆れたような声を、マイケルが同時に訳していく。 『それでもまだ抗うというのなら、自滅でも何でも好きにすればいい。僕たちは何も困りはしない。…と』  マイケルの髪を、クリストファーが褒めるようにゆるりと撫でた。 『お前たちを狙っているのは我々だけではない。我々の猿真似をしているだけのお前たちに未来はない…』  通訳をしながらも、その内容にマイケルの言葉尻は徐々に沈んでいった。 『もういい。分かった。ミシェル、お前は地下室に戻っていろ。すぐに迎えに行く』 『だが…』 『大丈夫だ。連中の言いたい事はもう充分聞いてやったからな。これ以上譲歩してやる必要はない』  クリストファーと恋仲ではあれど、ファミリーの一員ではないマイケルをこれ以上巻き込むつもりはないのだろう。安全な場所に居ろと、マイケルの額に口付けを落とすクリストファーの表情は優しかった。 『交渉は終わりだフレッド。引き下がらないというのなら、俺たちは俺たちのやり方で終わりにしよう』 『そうだね。いい加減僕も、イタリア語は聞き飽きたよ。ボスの決定に従おう』  カウンターを回り込みながら、面倒だとばかりに言い放つクリストファーにフレデリックが同意を示す。窓を挟んだ反対側では、シルヴァンが僅かに強張った面持ちで無線に指示を吹き込んでいた。  次の瞬間、複数の銃声とともに幾人かの悲鳴があがる。クリストファーの言葉通り、交渉の時間は終わりを告げた。 「辰巳。夢を見ていたいのなら、ミシェルと一緒に地下室にこもってた方がいいぞ」  突然のクリストファーの台詞に、辰巳は呆れたように肩を竦める。 「はぁん? ふざけんなよクリス。ンなもん(はな)から見ちゃいねぇよ」 「くくっ、馬鹿だなお前。少しは嫁を気遣ってやったらどうだ?」  もはや銃撃される心配もないのだろう。煌々と点った部屋の明かりの下で、クリストファーがフレデリックへと視線を向ける。つられるようにそちらを見れば、酷く冷めた顔をしたフレデリックが立っていた。  ――気遣えったってなぁ…。今更だろ。  ここまで来て地下室へ辰巳が戻ったところでどうなるというのか。マイケルと違って、辰巳はこれでも同業者のようなものなのだ。今更フレデリックの非情な一面を知ったところで心変わりをする筈もない。むしろ、一度本性を曝してしまえばフレデリックが嫌われるかもしれないと過度に怯える事もなくなるのではないかとさえ思う。 「お前こそ、随分と兄貴思いじゃねぇかよ」 「さぁな。そうかもしれん」  好きにしろと、そう言ってクリストファーは辰巳へと背を向けてしまった。  その横で、シルヴァンが無線からの情報をフレデリックへと伝えていた。 『フレッド。間もなく到着するそうです』 『そう』  シルヴァンに小さく頷き、フレデリックは身を隠していた窓際から離れた。フレデリックがレナルドを見る。 『相談役、お手間をとらせました』  深々と頭を下げるフレデリックは、レナルドが言葉を発するまで微動だにしなかった。 『愚かな事だ。()を弁えていれば何も失わずに済んだものをな』 『もっともです』 『歴史などというものは何の役にも立たん。我々は我々の権利を守ると、よく知らしめておくことだ』 『はい』  フレデリックの態度を見れば、どこの世界も年寄りに気を遣うのは同じようなものかと辰巳は心の内で苦笑を漏らす。  ともあれすぐさま手配された車へとレナルドは乗り込み、後は任せると言い残して去っていった。ただそれだけで、張り詰めていた空気が僅かに緩んだような気がするのだからレナルドという年寄りも恐ろしいものである。  やがて組織の人間の手で庭へと引きずり出された襲撃者は、たったの二人だった。その他大勢の侵入者の末路がどうであるかなど、想像するまでもない。  四肢を撃ち抜かれ、自由に動く事もままならない様子は辰巳でさえも目を覆いたくなる。レナルドが言った通り、こんな場所に乗り込んで来さえしなければ、まだまだ長生きが出来ただろう。 『パーティーは、楽しんでいただけましたか?』  もはやイタリア語さえも使わず、優雅に微笑むフレデリックの声音は表面上穏やかだった。だが、その目が笑っていない事は見えずともその場の誰もが理解している。  何事かを呟きながら、最後まで虚勢を張る男たちにフレデリックが笑った。 『そう心配しなくとも、キミたちの想像通りの殺し方をしてあげる。キミのお友達が、二度と僕たちに手を出すような愚かな真似をせずに済むように、ね』  庭へと降り立ったのは、クリストファーだった。腕を支えられ、辛うじて上体を起こしている二人の侵入者を交互に見る。 『お前にしよう』  前髪を掴み上げ、上向かせた男の顔に膝がめり込んだ。ほんの一瞬の出来事に、隣の男の顔から血の気が引いていく。  悲鳴を上げる男の口から血に塗れた歯がボロボロと落ちるのを、クリストファーは可笑しそうに見下ろした。 『どうせもう食事をすることもないんだ。歯がなくなっても問題はないだろう?』  歯がなくなっても…と、そう言いながら、クリストファーの手は止まることなく躰にあるべきものを容赦なく引き剥がしていく。  さすがにすぐ目の前で仲間が無残な姿になっていくのは見ていられないのか、悲鳴とも懇願ともつかぬ声がもう一人の男からは上がり続けた。  目を覆わんばかりの行為がクリストファーの手によってなされる中、フレデリックの隣へと移動した辰巳は煙草を咥える。 「容赦もねぇな」 「当然だね」 「俺ぁお前らとだけは喧嘩したくねぇよ」 「ふふっ。僕も、キミと喧嘩はしたくない」  キミがマフィアでなくて良かったと、フレデリックは囁いた。 「たとえマフィアだったとしても、お前らみてぇなおっかねぇのに喧嘩は売らねぇだろうよ」 「キミ自身がそうだったとしても、組織というのは個人よりも遥かに優先されるものだよ。それに従えないのなら淘汰(とうた)されるだけだ。もしくは、力を手に入れる努力をするか。……彼らのようにね」 「お前らは手柄を立てるに足る相手って訳か?」 「冗談だろう? 彼らには荷が勝ちすぎるよ」  さらりと言ってのけるフレデリックはクスクスと笑い声をあげた。 「僕たちは、イタリアの利権に興味がなかった。なのにこうして強欲な彼らは手を伸ばす。まったくもって理解が出来ないね。古くからの取り決めを無視した後に何が起こるのかを、彼らはこれから知る事になる」  レナルドは権利を守ると言ったが、フレデリックとクリストファーの意見は少々違っている。  フレデリックとクリストファーの養父であるアドルフ(Adolf)の代よりももっと前。国境を境に定められたイタリアとフランスの協定は今夜破られた。であれば、今後こちらが手を出したとしても相手は文句を言えない筈である。  今夜こちらへと手を出した組織は、同じイタリアンマフィアと呼ばれる他の組織に葬り去られるだろう。だがしかし、だからといってこちらがすべてを水に流す必要などないのだ。 「僕たちの要求を受け入れるか、長く続いたフランスとイタリアの仮初めの蜜月に終止符を打つか、彼らは今後選ぶ事になる」  フレデリックは楽しそうに笑いながら、庭に蹲る二人の侵入者と、こちらに背を向けて立つ弟を見つめていた。    ◇   ◇   ◇ 『……ちょっと、辰巳! 聞いてる!?』 「あ、…ああ?」  うっかり一週間前の晩に意識をトリップさせていた辰巳は、フレデリックの話をまったくといっていいほど聞いていなかった。 『んもぅ! 僕と話してるっていうのに他の事を考えてるなんて酷い!』  当然おかんむりのフレデリックを適当に宥めすかし、辰巳はガシガシと頭を掻いた。どうにも面倒くさいと思うものの、電話を切る気になれないから困ったものである。 「悪かったって。で、何だよ?」 『怪我の調子はどうだい? ちゃんと清潔にしているんだろうね?』 「ああ、たいして痛みもねぇよ」  パーティーの晩に、急な眩暈に襲われて倒れた辰巳は右足を負傷していた。未だ時折り痛む太腿には適当に包帯を巻いてある。が、そんなことは口が裂けてもフレデリックに言えはしない。言えば最後、延々と小言が続くことだろう。  ともあれ鬱陶しくともフレデリックが心配していることは明白で、辰巳は「痛みはない」と、さらりと嘘を吐いた。 『怪我が治ったら、会いに来てくれる?』 「気が向けばな」 『優しい僕の旦那様は、きっと会いに来てくれるって信じてるから』  辰巳もフレデリックも今年で四十七になる。五十もすぐそこだというのに甘ったるい声で囁くフレデリックに苦笑が漏れた。 「言ってろよ」 『毎日催促するから』 「やってみろ。電源切っといてやる」 『それは困る。会えないぶん、せめて毎日キミの声を聞かないと本当に窒息してしまいそうだよ』  電話越しに聞こえてくる声は甘さを増すばかりで、それだけで辰巳は胸焼けしてしまいそうだった。否、年甲斐もなく熱くなった顔を片手で隠す。 『早く、キミの腕に抱き締められたい…辰巳』  口には出さずとも、辰巳とてフレデリックと離れているのが平気な訳ではなかった。だが、だからといって何と言って返せばいいのか。  素直になれるはずもなく黙り込む辰巳の耳には、艶を纏うフレデリックの声は毒にしかならなかった。顔に集中していたはずの熱が、あっという間に全身に広がっていく。 『キミに愛されたい』 「っるせぇよ…阿呆」  僅かに掠れた声を吐き出して、辰巳は煙草を咥えた。深く吸い込んだ煙を長く吐き出す。  溜息にも似たそれを訝るように、フレデリックが辰巳を呼んだ。 『辰巳…?』 「ったく、煽るんじゃねぇよクソが。人が大人しくしてりゃあ好き放題言いやがって。そんなに溜まってんなら見ててやっからてめぇで慰めろ」  魔が差したとでも言うべきか、それとも興が乗ったとでも言うべきか。ともかく勢い任せに辰巳が吐き出せば、回線の向こうでフレデリックが息を詰める気配が伝わってくる。 『……本気?』 「ああ? ンなモノ欲しそうな声で何言ってんだお前。精々変態らしく煽ってみせろよ、得意だろう?」
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