act.05

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 フレデリックの用意した金が届けられたのは、辰巳が二本目の煙草に火を点けたすぐ後の事だった。部屋に入ってきたロイクの姿を目にした途端、マルコの表情が見る間に強張る。理由は、辰巳にもすぐに知れることとなった。  ロイクの体躯をもってしても些か大きく見えるサイズのアタッシュケースが二つ、フレデリックの足元に置かれる。金を運んできただけだとばかり思っていたロイクがテーブルに着いて、辰巳は驚きに僅かに眉をあげた。  マルコは何かを言ってこないのだろうかと、ロイクが見遣った先にことのほか険しい顔がある。その唇が憎らし気に歪んだ。 「悪趣味な野郎だ。ラウル《Raul》ってのは偽名か」 「もちろん」 「こんな事をしてどうなるか、分かってるだろうな」  マルコと言葉を交わすロイクの口調は、明らかに普段辰巳が知るそれではなかった。 「負け惜しみにしても陳腐だな」 「種明かしをしたからには、無事でいられると思わない方が良い」 「自らの恥を曝すだけだと、すぐに分かる」  幾分か穏やかだった空気は、とうに過去のものとなっていた。ロイクが口を閉じたのに代わり、フレデリックの穏やかな声が部屋に響く。 「喧嘩はその辺にして、早くゲームを始めないかい? せっかく用意したキミへのプレゼントなんだから」  わざとらしいまでに好意的なフレデリックの声に、マルコの視線が下がる。 「何を持ち込んだ」 「ただの札束だよ。……ロイ」  短いフレデリックの言葉に、ロイクは足元のアタッシュケースをあけて中身をテーブルの上へとぶちまけた。見る間に小さな山と化した札束の横で、ロイクが空のアタッシュケースを振って見せる。 「これで信用できたかな。それとも、ケースも調べるかい?」  フレデリックの言葉に、マルコの視線がロイクを連れてきた黒服へと向いた。ほんの僅かに首を振って見せた黒服に、マルコが小さく鼻を鳴らす。アタッシュケースは、とうに調べたという事なのだろう。 「いいだろう」 「疑いも晴れたところで、ゲームを愉しませてもらおうかな」  札束に占拠されて使えなくなったテーブルのすぐ横に、マルコは新たにテーブルを用意させた。もはやチップなど不要だとばかりにフレデリックとマルコの前に札束が積み上げられる。 「たまにはこういう馬鹿げた遊びも悪くないね」 「フン、田舎者が」 「僕は正直者だからね。楽しいときは楽しいと言いたくなってしまうんだ」  フレデリックが手札を明かせば、マルコの口からは鋭い舌打ちが漏れた。 「どうやら今夜の僕はとてもツイているらしい。キミとこうしてゲームを愉しめるのも、ラッキーだったしね」  長い指先で掴み上げたグラスをフレデリックは悠々と煽った。それとは反対に、当然の如くマルコの顔は渋い。対照的なその姿を眺める辰巳はその顔に何の感情も浮かべてはいなかった。 「君は、ゲームに参加しないのかい?」 「あ?」  唐突に聞こえてきたロイクの声に辰巳が振り向く。 「ルールは知っているんだろう?」 「ああ、まぁな」 「なら参加すればいいのに」 「お前こそ遊んだらどうだ」 「僕は、立場を弁えているだけだよ」  今はその時ではないのだと、はっきりとロイクはそう言った。それは、普段フレデリックと並び立つロイクばかりを見てきた辰巳にとって意外な姿でもある。 「あんたでもそういうの考えるんだな」 「意外でもないだろう? というより、僕はいつでも考えているつもりなんだけど、どうもフレッドには伝わらないみたいでねぇ…」 「まぁ、あんた嫌われてるみてぇだしな」 「ははっ、そうはっきり言われると傷つくなぁ」  フレデリックによく似た顔で笑うロイクは、辰巳にとって胡散臭い。そういうところが嫌いなんだろうと、思いはしてもさすがに口に出す気にはなれない辰巳である。フレデリックの手元へと目を遣れば、スッとカードが伏せられた。おやと思う間もなく柔らかな声が辰巳の耳へと流れ込んだ。 「キミも参加するかい?」 「ああ? なんだよ急に」 「見ているだけじゃつまらないだろう?」  フレデリックの口振りを聞けば、どうやらロイクとの遣り取りはすべて聞こえていたらしい。辰巳は幾分か考えるようなそぶりを見せた後で、首を横に振った。 「酒飲んでる方が気楽でいい」  小さく肩を竦めるフレデリックの横で、辰巳は犬でも追い払うかのような仕草で手を振って見せた。山のような札束を前に飲む酒も悪くはないと、そう思う。  その後も二人の勝負は続いていったが、辰巳の目の前のゲームテーブルの紙の山は増える一方で、減る気配もない。それにつれて、マルコの表情は増々険しくなっていった。 「そろそろ終わりにするかい? マルコ・ジュリエッティ?」 「おいおい、勝ち逃げできるとでも思ってるのか? ここをどこだと思ってる」 「参ったなぁ。僕にも予定というものがあるんだけど」 「ならキャンセルしてもらおう」  マルコの返答は予想通りのものだった。敵地のど真ん中で、そう易々と帰れるなどとはフレデリックも辰巳も思っていない。いやむしろ、このままマルコを追い詰めればヴァレンティノ・ジュリエッティが姿を現すかもしれないという淡い期待もある。 「そうだなぁ、僕のスケジュールを空けたいというのなら、それ相応の対価をもらわないと。田舎者にも都合というものがあるんだよ」 「では、最後の大勝負といこうじゃないか。お前が勝ったなら、そこの金を持ってここから出ていって構わない。もちろん、追手もつけないと約束しよう」 「僕が負けたら?」 「金も、お前の命も俺のものだ」  ニッと口角をあげるマルコの表情は、自らが負けるなどとは露ほども思っていないそれだ。どうやら、イカサマでもするつもりでいることは明らかだった。 「そう。けど、僕が彼の命を賭ける訳にはいかないから、勝負は彼に任せるよ。問題はないだろう?」  にっこりと微笑みながらフレデリックの視線が辰巳へと向く。だが当の辰巳はと言えば、二人の会話など聞いていなかった。 「あ?」  唐突に集まった視線に素っ頓狂な声をあげれば、ロイクの可笑しそうな声が耳元に囁いた。 「どうやら、フレッドは君に最後の大勝負を任せるつもりでいるらしい」 「はぁ?」 「勝てば金も僕たちもここから出て美味しいお酒が飲める。負けたら……まぁ言わなくても分かるよね?」  相変わらず胡散臭い笑みを浮かべるロイクに辰巳が顔を顰めたことは言うまでもなかった。いったい何故そんな話になったのか、理解が出来ない。 「何だって俺がンな勝負をしなきゃならねえ」 「言っただろう? 僕がキミの命を賭けることは出来ないよ」  困ったように笑うフレデリックを一瞥して辰巳は言った。 「そりゃあアレか、勝てる見込みがねぇって話か」 「まあ、僕では分が悪いことは確かだね」 「ただのポーカーだろぅが」 「僕がこの窮地をキミに救って欲しいだけ。って言ったら、キミは勝負をしてくれる?」  これ以上ないほどの柔らかな笑みを浮かべて告げるフレデリックに、辰巳は苦笑を漏らす他になかった。言い合うだけ無駄なことは明らかだ。 「ったく仕方のねぇ野郎だな。負けても怒んなよ?」 「キミのもたらす結果に、僕が文句をつける筈がない」 「はッ、どうだかな」  咥え煙草でガシガシと頭を掻く辰巳はマルコと向かい合った。 「まぁ、よくわかんねぇがお手柔らかに頼むわ」  中身の減ったグラスを軽く振った辰巳に、マルコの口角があがる。口許だけに笑みを浮かべるマルコの表情は、よく分からない東洋人を見下すようなそれだった。 「ルールは知ってるんだろうな?」 「ああ」  一応な。と、小さく口の中で呟いた辰巳の声は、誰の耳にも届かなかった。    ◇   ◇   ◇ 「あー…その、なんだ。勝っちゃいけなかったか…?」 「いやいや。さすが僕の旦那様だよ」 「彼らの度量もこの程度という事だろうね」  口々に言葉を交わす辰巳とフレデリック、それにロイクの三人は、数十人の黒服に取り囲まれていた。 「けれどまぁ、かさばる札束をケースに詰め終えた後で助かったけどね」 「しめて五千万ユーロ。辰巳のおかげで美味しいワインが飲めると思ったのになぁ…」 「つぅか乗り込もうっつったお前がすべての元凶だろぅが。案の定ロクな事になりゃしねぇ」  今にも舌打ちをしそうな辰巳ではあったが、その顔はどこか楽しそうだった。  最初に動いたのは、ロイクだった。辰巳とフレデリックの遣り取りに気をとられた黒服の一瞬の隙をついて間合いを詰める。  多勢に無勢で気を抜いていた黒服が慌てて胸元に差し込んだ手元から、ロイクはあっさりと銃を取りあげてしまった。 「遅いんだよなぁ」 「貴様…!」 「いったい僕たちを誰だと思っているんだい?」  小馬鹿にしたような口調で宣いながらも、ロイクの手元から放たれた銃弾は次々と黒服を仕留めていった。  辰巳の唇から、小気味の良い口笛が聞こえる。 「やるじゃねぇかよ」 「軽口をたたく暇があるなら少しは手伝ってくれないかな」 「いいねぇ、ちっとは遊べそうだ…!」  まさに猪突猛進。ニッと口角をあげた辰巳が黒服たちへと突っ込んでいく。その後ろで、フレデリックは小さく肩を竦めてみせた。  ――やれやれ。どうやら遊び心に火を点けてしまったかな?  いつもであれば敵の最中(さなか)へと辰巳が突っ込んでいけば(いさ)めるフレデリックである。だが、今の辰巳を止める理由はなかった。 「フレッド」  黒服から奪い取った銃を、振り向きざまのロイクの手が放り投げる。それを、フレデリックは空中で受け止めた。くるりと、大きな手の中で黒い鉄の塊が回転する。  あっという間に、奪われた銃はロイクの頬を掠めて黒服の頭を撃ち抜いた。 「いったい君はどこを狙って撃っているのかな?」 「おや失礼。そんなところにぼんやり立っているからつい邪魔で」 「遣り合うなら終わってからにしろ阿呆がッ」  相変わらず仲の悪いフレデリックとロイクに怒鳴り、辰巳もまた黒服から奪い取った銃で目の前の男を殴り飛ばす。  形勢は、火を見るよりも明らかだった。  見る間に減っていく部下たちを横目に、逃げようとするマルコを辰巳の視線が捉える。すぐ目の前に倒れた黒服を跨ぎ越えて、辰巳はマルコの襟首を無造作に掴んだ。 「下っ端置き去りにして逃げるんじゃねぇよ」 「離せっ!」 「そう言われて離す馬鹿がいんならお目にかかりてぇもんだな」  せせら笑うように言い放ち、辰巳はマルコの片腕を軽々と捻り上げた。途端に悲鳴をあげるマルコに僅かに眉を上げる。 「いちいち煩ぇな。たいして力入れてねぇだろぅが」  ぼやきも虚しく、大袈裟に騒ぎ立てるマルコを後ろ手に拘束して、辰巳は床に転がした。 「おいフレッド、コイツ締め落として良いか」 「お望みのままに」  次々と黒服をなぎ倒しながらも、芝居がかった仕草で告げるフレデリックに辰巳は小さく首を振った。どこまでも危機感を感じさせない野郎だと。と、次の瞬間、足元の床が小さく削れて、辰巳は慌てて飛びのいた。 「っぶねぇなオイ」  振り返った先には、銃を持った黒服の腕を振り回すロイクの姿があった。 「おっと失礼。ことのほか彼の力が強くてね」  黒服の腕を掴んだまま、器用に肩を竦めるロイクをフレデリックが睨む。 「死神もたまには事故に巻き込まれて死ぬこともある」 「彼は傷ひとつ負ってないっていうのに?」 「危険に晒した時点で理由は充分だよ」  黒服に囲まれた時よりも数倍剣呑な雰囲気を醸し出す二人に、辰巳はやれやれと首を振った。もはや諫める気にもならない。  毒気すら抜かれたのかやる気をなくした辰巳の目の前に、フレデリックとロイクは屍の山を築きあげた。
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