act.05

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 辰巳が食堂へと降りれば、ヴァレリーとロランは席に着いていた。四人掛けのテーブルに向かい合って座る二人に、思わず足を止めた辰巳である。  逡巡する辰巳の耳に、ヴァレリーが拳でテーブルを叩く音が聞こえた。 「俺の隣に来い、辰巳」 「ああ? 何でだよ…」  辰巳が思わず身構えたのは、ヴァレリーの自由奔放な性格を考えれば致し方のない事だったろうか。どうして隣に座っていないのかと、ついロランを恨みがましい目で見遣る辰巳だ。 「何だ、フレッドに嫉妬されるのがそんなに嫌か?」 「そりゃあお前、あいつが嫉妬するような真似するつもりでいるって事だろぅがよ」  いくらフレデリックでも、隣に座った程度で嫉妬はしないと辰巳が言えば、ヴァレリーはつまらなそうに鼻を鳴らしてロランを呼んだ。反論するでもなく移動するロランに、最初からそっちに座っていろとそう思う。  テーブルに着いた辰巳の前には、すぐさま食前酒が用意された。 「酒飲んでる場合かよ?」 「飲まないのか?」  けろりと返してグラスに口をつけるヴァレリーを横目に、ロランを見れば小さく首を振るのが見えた。  相変わらずマイペースなヴァレリーにかかると、つい辰巳自身がまともに思えてしまうから困ったものである。ともあれヴァレリーが飲んでいるのならまぁいいかと、辰巳がすぐさまグラスに手を伸ばしたことは言うまでもない。 「ところで辰巳」 「あん?」 「お前、案外躰は鍛えているようだが、銃の扱いはどうなんだ。フレッドにでも習ったのか」 「いや? まぁ、適当に撃ったら当たんだろ」 「はあ?」  当たる訳がないだろうと、ヴァレリーが呆れたのは当然だった。”普通は”そんなに簡単に当たらない。 「お前…本当に大丈夫だろうな。足手まといのお()りなんて俺は御免だぞ」 「あー…まぁ、役に立つかどうかは知らねぇが、てめぇの身くれぇはてめぇで守っから安心しろよ」 「……本当だろうな」  じろりと、ヴァレリーはグラス越しに疑いの眼差しを辰巳へ向けた。 「だいたいフレッドは随分お前に甘いようじゃないか」 「そりゃあ俺のせいじゃねぇだろ」  口許のグラスへと辰巳は渋い顔で口をつけた。その瞬間、何の前触れもなくドアが勢い良く開く。三人の視線が、駆け込んできた男に集中した。 「あ?」 「(やかま)しいな」 「申し訳ありませんッ! ですが、市街南東部で交戦に入りましたのでお知らせに!」  慌てて駆け込んできたのは、マルセイユの会合でクリストファーに同行を願い出たエリクだった。が、息を切らせて報告に来た彼に集まった視線はどれも緊張感の欠片もない。それどころか、ヴァレリーに至っては片耳を塞ぐ始末である。 「あぁあぁ、そんなに大騒ぎしなくても分かってる。お知らせというならもう少し有益な情報を持ってきたらどうだ?」 「は、……え?」 「いいか、……あー…誰だったお前?」 「は、エリクです…が」 「ああ、エリクな。そんなものは予定のうちだ、いちいち大袈裟に騒ぐな」  しっしと犬でも追い払うような仕草で片手を振るヴァレリーには辰巳でさえも苦笑が漏れる。そんな辰巳のすぐ目の前で、ヴァレリーは音もなく立ち上がった。 「じゃあ俺たちも行くか」 「あ?」 「何をぼんやりしてる辰巳。仕事だ」  あっという間に手の中のグラスを取りあげ、一気に中身を煽ってしまうヴァレリーにロランが呆れたように首を振る。辰巳は苦笑を漏らして立ち上がった。  三人が部屋を出れば慌てたようにエリクが頭を下げる。 「あのっ、いってらっしゃいませ…!」  背後から聞こえる声に片手を上げたヴァレリーとともに、辰巳はエレベーターへと乗り込んだ。地上階で一度停止した箱からロランだけが箱を降りる。 「それではまた後程。ご武運を」  すぐさま閉まるドアの隙間に、ロランが踵を返した、その時。ヴァレリーの手が閉まりかけたドアの合い間へと伸びる。 「待てロラン」 「はい?」 「女神のキスはないのか?」  扉を開けたままニッと口角をあげて嗤うヴァレリーに、ロランはくすりと小さな笑みを零した。 「私はもう、あなたの女神ではありませんよ」 「なら、世話役として客の機嫌を取れよ」  身も蓋もないヴァレリーの言い草に、わざとらしく肩を竦めたロランが再び箱の中へと戻ったことは言うまでもなかった。僅かに背伸びをするように、ロランは高い位置にあるヴァレリーの頬へと口づけた。 「どうぞ、いってらっしゃいませ」  幾分か艶を纏うように聞こえる声が囁くのを、辰巳の耳は捉えていた。  余韻もなく再びエレベーターを降りたロランが扉の奥に消えるのを見送り、辰巳が小さく頭を振ってヴァレリーを見やる。 「お前、イヴォンと付き合ってんじゃねぇのかよ」 「はあ? 何だ突然」  怪訝な声を返すヴァレリーの顔は、この上なく渋い。というより、呆れているとでもいうべきか。 「一緒に住んでんだろ?」 「アレはペットだって言わなかったか?」 「そりゃあお前、言葉のアヤってやつじゃねぇのかよ」  怪訝な顔をしたいのはこちらだとばかりに辰巳が言えば、ヴァレリーは一瞬だけ驚いたような顔を見せた。 「おい辰巳、お前とフレッドがどういう付き合いをしようが構わんが、他人も同じだと思うなよ?」 「そりゃあそうだろぅが、あからさますぎんだろ」  些か不穏な空気が密室に充満する中、今度こそ肩を竦めてみせるヴァレリーに辰巳はガシガシと頭を掻いた。 「俺が誰とどういう遊び方をしようと、お前には関係ないと思うが」 「ごもっとも」 「もちろんお前とも、な」  当事者に向かって関係ないとはどういう事かと、呆れた顔を向けた瞬間、ヴァレリーは片腕を辰巳の背後の壁へとついた。すぐ間近にあるヴァレリーの瞳を、闇色の瞳がひたとみつめる。 「何か言えよ。そうでないと、本当にこのまま押し倒すぞ?」 「仕事じゃなかったのかよ?」  やれるものならやってみろと辰巳が口角を上げた刹那、ヴァレリーがその長い脚でエレベーターのパネルを蹴り飛ばす。 「っ……!?」  辰巳が息をつめるのと同時に、密室は不自然な揺れとともに停止した。 「お前な……」 「利用できるものは利用するって言ったろ」 「そりゃアレか、俺にもお前のご機嫌取りをしてみせろって言ってんのか?」 「フレッドを困らせたくないだろ?」  囁く声が、冗談なのか本気なのか分からなかった。  すぐにでも触れそうな距離で囁くヴァレリーに小さく笑い、辰巳はさてどうしたものかと思案する。面倒な二択を迫られたものだと、そう思う。 「厄介な野郎だな」 「今頃気付いたのか?」  否定するどころか可笑しそうに喉を鳴らすヴァレリーの指先が、辰巳の頤をつぃと持ち上げる。グレーの瞳がじっと辰巳を見つめていた。その目元がふと緩んだかと思えば唇に温かな感触を感じて辰巳は反射的に後ろへと退いた。が、狭い箱の中で辰巳の背中はすぐさま壁に阻まれる。 「おい、いい加減……っぅ!」  言いかけたものの、がっしりとした腕に喉元を押さえられて辰巳は息をつめた。首筋に食い込む腕の強さに自然と頤が上がる。息苦しいと顔を顰めてみても、ヴァレリーの腕が解かれることはなさそうだった。   「俺から逃げられるとでも思ってるのか?」 「思って、ねぇよ」 「なら、お前はこの後どうすればいい」  ん? と首を傾げるヴァレリーを辰巳は片腕で引き寄せた。たいして力を入れずともぴたりと密着する躰に熱は感じられない。 「お前、どうせ本気じゃ、ねぇんだろぅが」 「俺が本気でないとしても、お前には関係などない。俺が機嫌を取れと言ったら、お前はそうしなきゃならない立場にある、そうだろ?」 「後先考えねえ我儘は、やめとけって、忠告してやってんだよ、阿呆」 「そりゃどうも。だが、お前が心配するような事じゃない」  はっきりと言い切られてしまっては、辰巳にそれ以上の抵抗は残されていなかった。あわよくば……などと思っていた自分に小さな笑いが漏れる。 「何を笑ってる」 「いやぁ? 俺らしくねぇ問答しちまったと、思ってな」  腹を括る気になったかというヴァレリーの問いかけに、辰巳はだがあっさりと首を振った。 「断る。言っとくが、俺はフレッド以外の男なんぞ、これっぽっちの興味もねぇな」 「それがお前の答えか?」 「ああ。分かったらとっとと腕退けろ、クソガキ」  フレデリックが困ろうが、クリストファーが困ろうが、辰巳にとってそんなものは最初からどうでもいい問題だった。ヴァレリーの方から引かせられるのならそれが最善である事は確かだが、だからといって辰巳が折れるという選択肢はない。  喉元の腕を軽く振りはらえば、ヴァレリーはあっさりと腕を引いたかに見えた。  ぐいと引かれた左腕を捻られる感触に、姿勢を低くした辰巳が足を払う。狭い密室の中で大きな躰が壁に当たり、ガタガタとエレベーターが揺れる。  バランスを崩したヴァレリーを遠慮なく腕ごと跨げば、鋭い舌打ちが聞こえて辰巳は笑った。 「悪ぃな、お前相手に手加減してやれる余裕はねぇわ」 「案外動けるじゃないか」 「どうせお前、手ぇ抜いてただろ」 「にしても、まさかこんな格好をする事になるとは思ってもみなかったぞ俺は」 「大人しくする気になったかよ?」 「これじゃ大人しくしてるしかない」  窮屈そうに肩を竦めるヴァレリーを、だが辰巳は解放しようとはしなかった。奇跡が二度起こるはずもない。 「さて、どうすっかな……」  辰巳はヴァレリーの上でガシガシと頭を掻いた。運よく押さえたものの、いつまでこうしていればいいのかと。その刹那、背中へと強烈な一撃を食らって辰巳は前のめりにヴァレリーへと突っ込んだ。すぐさま抜き出された片腕に首を引き寄せられる。 「ッ!」 「甘いな、辰巳」  辛うじてもう一方の腕は抑え込んでいるものの、片腕を回されただけで上体を起こせなくなった辰巳は溜息を吐いた。 「勘弁しろよ……」 「今さら弱音か? 仕掛けたのはお前だろう」 「お前がつまんねぇ駄々捏ねたのが原因だろぅが」  しばしの間耳元で罵り合う。やがて、ふっとヴァレリーの腕の力が抜けて辰巳は床へと転がった。盛大に息を吐けば隣から可笑しそうな笑い声が聞こえてくる。 「俺が本気だとは思わなかったのか?」 「お前が本気でフレッドと喧嘩してぇなんて馬鹿だったら、どうしようもなかったけどな」 「今はまだお前にそこまでの魅力はないな」  しれっと言ってのけるヴァレリーには苦笑が漏れる。 「ンなもんなくていい」 「怒らないのか?」 「ああ? 言ったろ、俺は他の野郎になんぞ興味はねぇんだよ」 「なるほど、これはフレッドが夢中になる訳だな」 「どうでもいいがどうすんだ、エレベーターは止まっちまったしよ」 「まぁ、多少の遅刻は許されるだろ」  そう言ってヴァレリーはさっさと立ち上がると、壁のパネルへと指を伸ばす。設置されたスピーカーから返事が聞こえてくるまでに、そう時間は掛からなかった。
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