ヤクザは静かに愛を与える。

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ヤクザは静かに愛を与える。

『やあ辰巳、ご機嫌は如何かな? 一人でちゃんと帰れたかい? 浮気はしていない? 僕が居なくて寂しいからって、家に女性を連れ込んだりしてないだろうね?』 「馬鹿じゃねえのか?」 『ええー…? 少しは寂しがってくれてもいいんだよ?』  回線の向こうから聞こえてくるフレデリック(Frederic)の拗ねた声に、辰巳一意(たつみかずおき)は苦笑を漏らした。辰巳の胸元でスマートフォンが振動したのは、血塗られたパーティーから一週間後のことだ。  当初は辰巳とともに日本へ戻ると大騒ぎしていたフレデリックだが、さすがに立場上我儘を通すことは適わなかった。ましてフレデリックのファミリーは、パーティーの晩を境にイタリアンマフィアと一触即発の状態である。帰れるはずもない。 『ところで辰巳、次はいつ僕に会いに来てくれるの?』 「ああ? なんで俺が出向かなきゃならねぇ」 『だって…キミがいないと僕は呼吸困難になってしまうから…』 「馬鹿な事ばっかり言ってんじゃねぇよ。とっとと仕事片ぁつけて帰ってくりゃいい話だろうが」  とはいえど、フレデリックの状況がすぐに解決できる類のものでない事は、似たような家業の辰巳にもよく分かっている。 「まぁ、どうしようもなく暇で気が向いたら出向いてやるよ」 『辰巳が僕に会いたくなるように呪いをかけておかなくっちゃ』 「阿呆か」  相変わらずふざけているとしか思えない台詞ばかりを並べ立てるフレデリックの声を聞きながら、辰巳は事の発端となった一週間前の晩のことを思い出した。    ◇   ◇   ◇  その日、観光地としてもよく知られているニースの小高い丘に建つホテルには、フレデリックをはじめとするマフィアの幹部が勢ぞろいしていた。  年に一度行われるという組織のパーティーに、辰巳が同行したのは初めての事だ。  組織のボスであるクリストファー(Christopher)はもちろん、フレデリックの養子であるガブリエル(Gabriel)と知った顔が居るのはもちろんのこと。それにクリストファーの養子であるシルヴァン(Sylvain)を紹介された。  クリストファーの挨拶も終わり、中庭でのパーティーは比較的和やかな雰囲気で進んでいた。…途中までは。  事が起きたのは、慣れない雰囲気に辰巳がホテルの一室で一息入れていた時のことである。  照明の落ちた館内をフレデリックとともに抜け出した辰巳の目に飛び込んできたのは、映画と見紛うばかりの銃撃戦だった。否、思い返してみれば、身内のパーティーというには些かならず物騒な得物をぶら下げた男たちが警備にあたっていた気もするが。  中庭を抜けた辰巳とフレデリック、それにガブリエルは、途中でクリストファーと合流した。  敵に押される形でホテルの敷地内を移動する一行は、コテージの一棟に辿り着いた。用意されていた銃火器に、楽しそうな口笛を吹いてみせたのはクリストファーである。 「さぁて。戦争を始めようか」  歌うように言ってのけるクリストファーは、窓際に設置したマシンガンを躊躇いもなく斉射した。轟音とともにブローバックされた褐色の薬莢が辺りにキラキラと散らばりながら澄んだ音をたてる。  訳あって負傷した辰巳は、待機していたマイケル(Michael)の手当てを受けるために地下室へと移動した。  手当てを終えて地上へと出れば、案の定フレデリックが暴走しているのは言うまでもない事で。床から這い出た辰巳が轟音の中フレデリックを呼べば、返ってきたのはクリストファーの怒鳴り声だった。 「残念だな辰巳! フレッドは今ここには居ないぞ!」  カウンターから顔を覗かせれば、窓枠に張り付いたクリストファーとシルヴァン、ガブリエル、それに、相談役だというレナルド(Renald)の姿が見える。どうやら、フレデリックが外に出た事でマシンガンは使えずにいるらしい。いやむしろ、こちらへの攻撃よりも外で行われている銃撃戦の方が派手なくらいだった。  ゆっくりと、火線にさらされないように用心しながら辰巳はクリストファーへと近づいた。 「何があった」 「予想は出来てるだろう?」  おどけたように肩を竦めるクリストファーの視線が外に向かい、次いで辰巳の負傷した右足を捕らえた。思わず額に手を遣った辰巳である。 「何やってんだあの馬鹿は…」 「まったくだな。旦那が絡むと見境がない」  呆れたというよりは嫌味の色が濃いクリストファーの台詞にも、辰巳は反論のしようもなかった。  辰巳に怪我を負わせた相手を、フレデリックが黙って見過ごす筈などないのだ。クリストファーの制止も聞かずに飛び出したに違いない。 「そんで? どうすりゃいい」 「嫁を連れ戻せ」  クリストファーのオーダーは至極簡潔なものだった。だがしかし、この状況でどう呼び戻せと言うのかと、辰巳は頭を悩ませる羽目になる。まったく面倒な嫁だとばかりに溜息を吐いた辰巳は、大きく息を吸い込んで声を張った。 「おいフレッドッ!! てめぇ今すぐ戻ってきやがらねぇと、ぶっ飛ばしに行くぞクソがッ!!」  聞こえるかどうかなど問題ではない。否、フレデリックに自分の声が聞こえない筈がないと、辰巳は何故か確信していた。案の定、すぐそばの植え込みがガサリと音をたててフレデリックが顔を出す。 「辰巳…っ!」 「てめぇ…ぶっ飛ばしてやっからこっち来いコラ」  殴ると言われようとも嬉しそうにすっ飛んでくるフレデリックに、呆れたのはクリストファーだけではない。ガブリエルもシルヴァンも、その顔には苦い笑みが浮かんでいた。レナルドさえも。  まるで飼い主の元へと走り寄る大型犬の如く。フレデリックは辰巳の元へとすぐさま戻ってきた。 「辰巳っ。怪我は大丈夫かい? ちゃんとマイクに手当てをしてもらったんだろうね?」 「うるせぇ阿呆が。勝手に単身で乗り込んでる馬鹿に言われたくねぇんだよ」  ゴツリと、鈍い音を響かせて金色の頭に拳が直撃する。開け放たれた窓を挟んだガブリエルの口から、乾いた笑いが漏れた。 『あの日本人は…大丈夫なのか?』 『ははっ、フレッドが親父をどうにかするはずがないね。親父になら銃口を突き付けられても、喜んで殺されるんじゃないかな』 『まさか…』 『いやいや、あながち冗談でもないよ。あの二人は、ね』  噂には聞いていても、シルヴァンが辰巳とフレデリックが二人でいるところに居合わせるのは初めての事である。  冷血無比、人を人とも思わない化け物、殺人人形などなど。組織で囁かれるフレデリックの噂は数えきれないほどあるが、どれも目の前の男には似つかわしくない。シルヴァンが戸惑うのも当たり前の事だった。  フレデリックが戻ったことで幾分か激しさを増した銃撃に応戦しながらも、シルヴァンは信じられないものを見るような目でフレデリックと辰巳を見つめていた。 『信じられないって顔をしてるね、シルヴァン?』 『当然だろう…。あのフレッドだぞ?』 『まぁ、だからこそ今まで、フレッドはファミリーが絡む場所に親父を連れてこなかったんだろうね。キミのように、見る目が変わる(やから)は多そうだ』  そしてそれが何を意味するのかを、ガブリエルもシルヴァンも理解はしている。 『キミが愚か者でない事を俺は心から祈ってるよ、シルヴァン』 『忠告か?』 『まぁね。たったひとりの従弟が居なくなったら寝覚めが悪いだろう?』 『肝に銘じておこう』  真面目な顔をして頷くシルヴァンに、ガブリエルは微笑んだ。  一方反対側では、年長者四人が些か窮屈そうに侵入者を迎え撃っていた。 『クリス、僕と辰巳はカウンターの裏に回るよ。中央から攻撃できるはずだからね』 『了解だ』  さっさと行けと手を振るクリストファーの後ろに下がり、フレデリックはレナルドを見た。 『相談役、ここは任せても?』 『好きにするがいい。クリストファーのサポートはしよう』 『ありがとうございます』  嫌味なほど丁寧に頭を下げて、フレデリックは辰巳へと手を差し出した。 「行こう、辰巳」  一瞬、叩き落そうかとも思いながら、だが辰巳はフレデリックの手を取ると、そのまま肩へと腕を回して寄り掛かる。無理をしたつもりはないが、さすがに銃弾の掠めた右足が(うず)くような痛みを訴えていた。 「いったい相手はどんだけ居るんだ?」 「報告によれば、もうそんなに残ってはいないはずだけどね。追い詰められたからこそ、連中も必死になるというものだよ」 「ったく、そんなところに一人で乗り込みやがって」 「ふふっ、心配してくれた?」  嬉しそうに微笑むフレデリックには呆れかえる辰巳である。辰巳には無謀な真似をするなと言いながら、フレデリック自身は無謀ともいえる事を平気でするのが気に食わない。  だがどうせ、言ったところで僕は大丈夫だといけしゃあしゃあと(のたま)うのがフレデリックという男である。 「心配なんぞしてねぇよ。呆れてんだタコ」  カウンターの裏側。ベチッとフレデリックの額を辰巳の武骨な手が叩く。 「痛いよ」 「引っ叩いてんだから当たり前だろぅが」  じっとりとフレデリックを見る辰巳の目には、呆れを通り越して落胆の色が浮かんでいた。どうしてこんな馬鹿に惹かれてしまったのかと今更ながらに後悔する。  他人が見たならば吐き気がするほど甘ったるい空気を醸し出す辰巳とフレデリックだが、その動きには一切の無駄もなかった。  フレデリックが無謀にも突っ込んだ事で、僅かに下がっていた侵入者たちの前線は今や建物のすぐそばまで迫っていた。それに合わせて組織の人間たちの追い込みも輪を狭めているように感じる。  相変わらず軍隊か何かかと突っ込みを入れたくなるようなマシンガンの斉射が、侵入者たちを適度な距離に阻む。まるでお遊びであるかのように敵を翻弄するクリストファーは、上機嫌で口笛まで吹く始末だ。  今夜、パーティーに押しかけてきている連中にどんな事情があるのかは知らないが、辰巳からすれば哀れみすら覚える。マフィアを相手に喧嘩を売るなど馬鹿げているにも程があるのだ。しかも、地の利はこちらにある。今更逃げる事すら適わないだろう。  プールサイドからここまで、侵入者たちは相手を追い込んでいると思っていたに違いない。だがしかし、こちら側にいる辰巳から見れば、クリストファーが追い込まれているフリをして侵入者たちを誘い込んでいる事は明白だった。  ――まったく、敵に回したくねぇ連中だよ…。  フレデリックがマフィアだと知り、フランスへと筋を通しに赴いたその時から十年近く。辰巳は組織の規模に驚かされてばかりいる。頭では分かっていても、フレデリックやクリストファーを目の当たりにしてみれば日本の極道など赤子にも等しいと思わざるを得なかった。  潤沢な経済力と並外れた団結力。正確な数さえ把握できない組織のメンバーの、個々の能力でさえ足元にも及ばないかもしれない。存在しているのに、存在していない組織。そんなものに喧嘩を売る気には、辰巳にはなれない。 『フレッド! そろそろメインディッシュの時間だぞ!』 『いいだろう。もう少し前菜(オードブル)を愉しみたいところだけれど、肉料理(ヴィアンド)を美味しくいただくとしようか』 『歯ごたえのある肉だといいがな』  嘲笑うクリストファーの台詞とともにマシンガンの轟音が止み、静寂が辺りを包み込む。もはや撃つ弾も尽きただろう侵入者たちが、組織の人間に囲まれて姿を現すのは時間の問題だった。  静まり返った敷地に、クリストファーの声が通る。 『喧嘩を売る相手を間違えた愚か者に忠告してやる。取り返しのつかない代償を払いたくないのなら、今すぐ命乞いをしてみせろ。事と次第によっては見逃してやらない事もない』  再び辺りを覆った静寂は、引き攣れたイタリア語の怒鳴り声によって破られた。  不意に、クリストファーが窓際で頭を掻くのが見てとれた。次いで、些か精彩を欠いた声が聞こえてくる。 『おいフレッド、ありゃ何て言ってる』 『信用できるかと、そう言ってるね。いい加減キミも、イタリア語くらい覚えたらどうだいクリス?』  一言も二言も多い通訳に渋い顔をして、クリストファーはあっさりと匙を投げた。 『面倒臭い。交渉は任せましたよお兄様』 『まったく、手が掛かるにも程がある弟だよキミは…』  フランス語を理解できるならフランス語で喋れと言いたいクリストファーである。やれやれとばかりにカウンターを抜け出し、窓辺へと寄るフレデリックに、クリストファーはあっさりと席を譲った。 『信用出来ないならどうするというんだい? そのままそこで自殺でもしてみせてくれるのかな』 『お前は誰だッ!』 『僕かい? 僕はしがない通訳だよ。残念な事にうちのボス(Maitre)はイタリア語に不自由でね』  クリストファーが理解できないのを良いことに、ぬけぬけとイタリア語で宣うフレデリックだ。どうせそのうちマイケルを引きずり出してくるだろう事は、クリストファーがカウンターへと引っ込んだのを見れば明白である。  渋い顔をしながらカウンターへと下がってきたクリストファーを、辰巳は頭を掻きながら迎え入れた。辰巳も、イタリア語など理解できない。 「何語だ?」 「イタリア語さ」  肩を竦めてマイケルを呼んでくると言うクリストファーに、辰巳もまた肩を竦め返した。フレデリックが、いちいち交渉内容を通訳してくれない事など分かり切っている。  地下室へと続く床下を覗き込み、クリストファーがマイケルを呼ぶ間もフレデリックの交渉は続いていた。意味がさっぱり分からないそれを、辰巳はただ黙って聞いている事しか出来ない。
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