第3章 担任と教育実習生と

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 正門をくぐって敷地内に入ったときも、体育館の入り口の近くを通ったときも、昇降口で靴を履き替えてる間も、誰かの怒号や掛け声と言ったものが四方八方から絶え間なく聞こえてきた。 「よく頑張るな……」  特に強化部。  経営母体の大学様の支援を得て全国大会やコンクールで上位を目指す部は運動部、文化部合わせて7団体。硬式野球に始まり、サッカー部、バスケ部、バレーボール部、登山部、吹奏楽部、合唱部だ。  これらの部活は高校だけじゃなくて、東濃(とうのう)大学そのもののブランドを背負わされてるから県大会を勝ち抜くのは当然という目で見られてる。加えて飛騨(ひだ)高山(たかやま)地区の期待もあるから相当なプレッシャーだと思う。  まぁ、系列校の制服には軒並み大学名を入れるあたり、一般生徒にも「大学のブランドは守れよ」と言いたげな気はする。  一地方の一私立大学なんだからブランドって呼べるほどブランドもないと思うんだけど。あ、逆か。一地方の一私立大学に過ぎないからブランドを維持しようと。学校経営も大変なものだ。  どうであれ、自分が経営者なわけじゃない。不都合が出ない限りは言われた通りにやってればいい。完全に他人様の話だ。  そんなどうでもいいことを考えながら朝の廊下を進む。  窓から差し込む強烈な朝陽。  グランドの声は校舎の壁や窓に阻まれてさっきよりやや小さくなった。そして代わりに校舎の奥の方から絶え間なく聞こえてくる音楽は吹部(すいぶ)や合唱部のものだろう。けれどもまだ人通りは少なく、まだ誰ともすれ違っていない。それに廊下や教室の電気もほとんど消えていて薄暗い印象。  この時間はこの時間でいいなと思う。  すぐ近くに人の営みを感じられて、でもそれから距離を置いていられて……何かこういうのがすごく性に合ってていいっていうか。  東側突き当りの階段の前でふと時間を確認する。  懐中時計が示していたのは7時40分。これがあと50分ほど遅ければ朝練を終えた部活組と登校してきた一般組でごった返す。  私は入学初日にその洗礼を浴びて以来、基本的には少し早めに登校することにしてる。  その弊害として、ときどき吹部や合唱部が自分の教室でパート練習をやってたりすると居場所に困るがある。さすがに練習してる横でボケーとするほどハートも強くないので、そういうときなんかは屋上で教室が開くのを待っている。  4階の踊り場に着いた時点で楽器の音や合唱の声が小さくなっていた。  この様子だと今日は使ってなさそうだ。  教室の引き戸を開けると案の定部活組はいなかったけど、先客が教室掃除をしていた。 「おはようございます!」  清水(しみず)くんだ。  彼はこちらを見てニコッと軽く会釈をすると再び黒板の掃除を始める。  帰宅部のエースは下校するのが早ければ登校するのも早い。いつも朝早く来ては教室の掃除をしている。  今日だって各部の朝練が始まるくらいには来ていたはずだ。  ちり取りにまとめられたホコリや袋が新しくなったごみ箱、机だって水拭きされてる上に整頓されてる。そして腕まくりしたワイシャツの袖は先っぽがちょっと濡れているし、漆黒のスラックスもチョークの粉が所々に付いている。  こういう所が学級委員に推挙される理由なんだろうなって思うけど、彼の朝のルーティーンはこれだけじゃない。 「今日も吹くの?」  私は清水くんの机に置いてある楽器ケースを指さしながら尋ねる。 「やりますよー。もうすぐ終わるので」 「だよね」  清水くんは毎朝、1曲だけ私にフルートの音色を聴かせてくれる。というかたまたま彼の演奏時間に私がいるだけだけど。  これが教室を部活組が使うときなんかは掃除ができないので、その分演奏会場を屋上に移して2、3曲くらい吹いてくれる。  奏者1人、観客1人の小さな演奏会……私は嫌いじゃない。  けれども疑問に感じることも1つ。  彼はそこそこフルートができる方だ。にもかかわらず何で吹部に入らなかったんだろうって? 趣味と言い切ればそこまでだけど、彼なりにちゃんとした理由がありそうな気はする。気はするけど、人の事情に深入りするようなことではないから絶対に訊かない。 「それじゃあ、手を洗ってくるんで、戻ってきたらやりますね」 「うん」  軽く手を払い、教室から出ていく清水くん。  月並みかもしれないけど、帰宅部のエースも野球部のエースに負けず劣らず凄いな。あんなにニコニコしながらどんな人間にも接するなんて、やっぱり私にはできないや。71131871-7b3a-45d0-acc6-8b392161819b  ショートホームルームの始まりを告げる短いチャイムが鳴ると同時に担任の荘川(しょうかわ)先生がガラッと扉を開けて入って教室に来る。  それに続けてスーツ姿の女性がもう1人。  背丈は目視でだいたい160くらいだろうか。大体(しずく)先輩と同じくらいだ。  ややつり目の凛とした顔立ちに、少し赤みがかった黒髪はボブカットで切り揃えられている。あと特徴といえば右目下にある泣きホクロかな。  パッと見た感じの印象は気の強そうだなと、そんな風に思える。  きっとこの人が神田(かんだ)くんの言っていた教育実習生だろうな。  それが確信に変わったのは意外にも早かった。  ホームルーム終わりの5分休み、荘川先生に「ちょっと」と呼び出される。 「日立(ひたち)は昨日休んでたから初めてだろう。こちらは昨日から教育実習でお世話になる藤原(ふじわら)朱鶴(すず)先生だ」 「東京(とうきょう)教育大学から来ました、藤原です。担当教科は現文なのでどうぞよろしくお願いします」  荘川先生に紹介されて深々と頭を下げる藤原先生。  見た目の印象より口調が柔らかい。  初見の開口一番に刺々しい言葉を発する人なんてまずいないとは思うけど、そういうことが言いたいんじゃなくて。ただ単純に想像してたより声が優しいなぁって。 「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」  藤原先生に倣って私も頭を深々と頭を下げる。 「朱鶴……いや、藤原先生は自分の教え子でな。まぁ、こうやってわざわざ東京から帰ってきてくれたわけだし、とにかく2週間よろしく頼むぞ」 「は、はあ……」  正直困惑した。  1日休んだ生徒のためにこんな初顔合わせの場を設ける必要があったのかと。  神田くんが聞いたっていう、荘川先生と藤原先生のやり取りもなんだか不自然に思えてきた。  教室に戻って後ろの時間割表に目をやると、ちょうど今日の4限めにある……現文の授業が。  ちょっとだけ嫌な予感がした。  昼休みになって授業のことを思い返してみるけど、特にこれといって変わったことはなかったような気がする。  嫌な予感だったから外れてくれるに越したことはない。  ホッとしつつ休み時間に購買で仕入れたレーズンパンを鞄から取り出す。 「そういえばあの教育実習生、どんなだった?」  隣でお弁当を食べていた神田くんが急に箸を止めて尋ねてくる。 「ご飯粒、ついてるよ」  私から見て神田くんの左頬を指さす。ご飯粒がいくつか点在しているその顔はさながらわんぱく少年。そのせいで本人は真面目な話をしているつもりなんだろうけど、とてもそうには聞こえない不思議。 「お、おぉ、サンキュー。それでどうだった?」  すごい前のめり。  よっぽど興味があるみたいだ。  だけど神田くんが考えてるほど面白そうなものじゃなさそうだし。  だからこそ私は何もなかったことにする。 「まぁ、確かに呼ばれたことは腑に落ちなかったけど、挨拶しただけだしね……。やっぱり昨日休んだから自己紹介したかったんじゃない?」 「ふ~ん、そっか」  あれ? 何か反応薄いな……がっかりしているような。  いや、しょうがないか。  期待してたものと違ったらそんなものだよね。 「何かゴメンね。期待してたものじゃなくて」 「あ、いや、別に……何もないならそれでいいんだ。それより聞いてくれよー! この買ったホットドッグがべらぼうにさぁ――」  一転していつもの笑顔を振りまく神田くん。  切り替え早いなぁ。  ま、私もそろそろ忘れていつもの日常に……ッ⁉  頬杖をつきながら神田くんの話に相槌を打っていたそのとき、不意に誰かから睨まれているような強い視線を感じた。  もちろん神田くんの話は終わっていない。  でもそれどころじゃなくて慌てて廊下に飛び出すもさっきの気配は完全に消失していて。  い……一体何だったんだろう。 「おーい日立ィ、おれの話はまだ終わってないぞー!」  タッパーを片手に追いかけてきた神田くんに肩を叩かれてようやく我に返る。 「あ、話してる途中だったね」 「大丈夫か?」 「大丈夫大丈夫。きっと病床で読んだホラー小説のせいかな」 「お、日立でもそんなことあるのか!」 「当たり前でしょ。私だって人間なんだから……。でも、お騒がせしました。教室に戻ろう。次は移動教室だし早く準備をしないとね」  せっかく人が気楽に考えようとしてたのに、その矢先だから本当に嫌になる。理不尽、不条理……そんな言葉を叫びたい。  現実はいつだってそうだ。  人が発想の転換をしようとしたときに限って、いつもそれを突きつけてくる。  午後の授業でも、ちょくちょく視線を感じた。  その都度あたりを見回すのだけど、結局誰だかわからないまま7限目が終わりを告げる。  どうしよ……自分でもびっくりするくらい授業に集中できなかった。ノートに写した板書 も全部中途半端でこれだけじゃ理解できない。  そもそも私が自意識過剰になっていただろうか。視線とかみたいな所謂ところの第六感って科学的根拠がまだ曖昧なのもあるから、結局最後に判断するのは自分だ。  考えれば考えるほどわからない。  私の主観で物ごとを捉えるなら確実に誰かに見られている。  とはいえ、客観的に見たときに果たして誰が見ているように見えるかとなると話は別で。  あぁ、だからストーカー犯罪の初期段階で被害届を出してもまともに取り合ってもらえないか。  教室に戻る雑踏に紛れて私はそんなことを考える。  ようやく授業から解放されたクラスメイト達は楽しそうに今後の予定を話している。  そんな明るい雰囲気と相対するように渡り廊下から見上げた空はどこか不安げで、どんよりとした厚い雲に覆われていた。  朝はあんなに晴れてたのにな。雨はいつごろから降りだすだろうか。      
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